近年はスポーツ界でも体の健康だけでなく「メンタルヘルス(心の健康)」に注目が高まっている。新型コロナウイルス感染拡大で1年延期された東京五輪・パラリンピックでもアスリートへの心の影響が懸念された。さらに近年は、選手を苦しめる会員制交流サイト(SNS)上の誹謗(ひぼう)中傷も後を絶たない。

 10月10日の「世界メンタルヘルス・デー」に合わせ、アスリートの心の健康について、国際オリンピック委員会(IOC)のマーケティング委員でメンタルトレーニング指導士でもある五輪銅メダリスト、田中ウルヴェ京さん(54)に、現状の課題と対策を話してもらった。(共同通信=木村督士、田村崇仁)

 ▽問題は昭和の時代から

 ―テニス女子の大坂なおみ選手が全仏オープンで精神的負担を理由に記者会見を拒否し「うつ」を告白した。スポーツ界への影響はどうか。

 結論としてはメンタルヘルスという言葉自体の本当の理解が、どこまで進んでいるかどうかはまだまだと感じる。一方で確かに大坂さんという、世界中で、いわゆる心も体も強いであろうとみんなが思っている方が、心の不調を言えた。勇気を出して言えたことは本当に良かったなと思う。

 ―問題は以前からあったのか。

 別にここ数年でトップアスリートが心の不調を訴えているわけではない。当然ながら昭和の時代から。体でけがと病気があるのと同時に、心でもけがや病気は当然ある。

 ―ゴルフのロリー・マキロイ選手(英国)は心の不調もけがと述べた。

 おそらく自分がこの仕事に関わってからもう30年近く常に選手に言い続けてきた言葉。スポーツ心理学を専門にしている人間であれば、とても一般的な言い方だ。だから(心の不調を)言っていいんだよという話。言わなきゃ修復できない。

 ▽IOCも対策へ取り組み開始

 ―メンタルヘルス・リテラシー(理解)を高めなければいけない。

 世界中でメンタルヘルス・リテラシーをアスリートは高めないと、とIOCは2018年から提言している。オリンピック選手のメンタルヘルスって何だろう、何が問題なんだろうみたいな研究から始めて、2021年にツールキット(心の健康に関する事例、対処法などを集めた文書)を出した。

 ―日本の状況は。

 日本ではやはり言語の壁もあり、IOCのこういったいろんな活動が日本に伝わりきれていない。もちろん皆さん個別ではアクセスできるが、なかなか日本オリンピック委員会(JOC)も取り組みが始められない難しい状況がある。そもそもIOCがそのことをやっていることをまだ知らない組織の方々がたくさんいたり、メンタルヘルスという言葉自体を知らないという意見もまだ日本ではある。

 ▽五輪で体操のバイルス選手も演技見送り

 ―体操のシモーン・バイルス選手(米国)が東京五輪で心の健康を理由に一部の演技を見送った。メンタルヘルスの認知度に与えた影響はどうか。

 ここ数年で非常に感じていることは、特にコロナ禍によって、ようやく日本人の多くの人がストレス対処に関心を持つようになっている。ストレスとかメンタルの健康というものに当事者意識が生まれ始めた。なのでそういう目で見るから、バイルスさんとか大坂なおみさんの話を「ああ、なるほどね」と、そこに焦点がいくようになる。

 ―メンタルヘルスの昭和時代との比較は。

 調査したわけではないが、量は変わっていないと思う。確かに種類は変わり、特に情報化社会というものの善しあしがある。

 ―デメリットとメリットは。

 まずデメリットはご想像の通り、SNSでの誹謗中傷や、それが伝わってくることがメンタルヘルスに危機感を与えるようなことっていうのは当然ある。メリットも実はある。情報化社会によってメンタルヘルス・リテラシーを勝手に高めていってる選手も多くいる。要は情報を入手できるから。たとえばJOCがやっていなくてもIOCに直接コンタクトを取って、直接メンタルヘルス・リテラシーのことをやっている日本人選手もいる。

 ▽コロナ禍で金メダリストも相談に

 ―新型コロナウイルス禍が選手に与えた影響は。

 ストレスと相関関係にあるとされるのがモチベーション。私のところにも去年の3月以降に、メンタルが強いとされている五輪の金メダリストが「やる気がなくなった」とメンタルトレーニングに数名いらっしゃった。

 ―五輪でもSNSとの付き合い方は課題になった。

 見るなって言われたら、人は見てしまうもの。見ないことが逆にストレスだという選手もたくさんいる。だから気にする自分をどう調整するか。誰でも共通の簡単な対処法はありません。

 ▽勉強不足を痛感、スポーツ心理学に

 ―自身が引退後に学究の道に進んだ理由は。

 選手時代はメンタルのことなんて全然興味がなくてメンタルトレーナーなんかうさんくさくて大嫌いで、人になんか絶対に頼りたくなかった。小さいころから私はメンタルが強いと決めていた。

 ―何が転機に。

 21歳で引退をして、10年間いわゆるシンクロの代表チームのコーチをフランスとアメリカと日本でやった時に、ショックを受けた。つまり特にフランスやアメリカで心技体の中でも技とか体のことを教えることはできたが、心についてどう対応していいか分からなくて。指導力で勉強不足と感じたのでスポーツ心理学を学ぶようにした。

 ―学んでみてどうだった。

 一番に気付いたことは自分の弱さっていうものによろいをかぶせていた自分がいるんだなっていうこと。私は実はたくさんの弱さもあって、一番の弱さは人に相談ができないっていうことだなって。自分の弱さを認めることはまあ難しかった。何十年もかかった。コーチ業でもそうだし、子育てでもそう感じるが、自分がちゃんと弱さに気づいている大人でないと、結局相手に迷惑を掛けちゃう。ちゃんと自分がプライドとかエゴとかに気付くっていうのが大事。

 ▽「弱い」はたくさんある

 ―競泳の元スター選手でうつに苦しんだマイケル・フェルプスさん(米国)は大坂選手の告白で救われた人がいると、米タイム誌に語った。

 アスリートの中で、それこそ、フェルプスさんとか大坂さんのことで救われたという実際の事例を自分は何人か知っている。それは弱くていいんだって分かったということ。だって体も、右の肘の使い方が弱いなって気付けるから強くするんだよねって。気付かないと、それを調整できないから。どこが弱いのか。感情の調整なのか、考え方の傾向なのか、行動につなげるプロセスが弱いのか。『弱い』はたくさんあるんだよって言うと、みんなめちゃくちゃ興味を持つ。弱いところを知りたくなるところに持っていくというのが大事。

 ―世界メンタルヘルス・デーの意義とは。

 心と体はつながっている。体の健康も皆さん気を使うのであれば、ぜひ心の健康にも興味を持ってほしい。そもそも心ってなんのことかな、心の健康ってどういう意味なのかなと好奇心を持っていただく。なぜならそれはご自身の幸せ、健康につながることだから。

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 田中ウルヴェ京(たなか・ウルヴェ・みやこ) 1967年東京都出身。88年ソウル五輪シンクロナイズドスイミング・デュエット銅メダリスト。日米仏の代表チームコーチを10年間歴任。91年渡米、米国大学院で修士修了(スポーツ心理学)。日本スポーツ心理学会認定メンタルトレーニング上級指導士。アスリートから経営者、医師、研究者などに心理コンサルティングを行う。2017年、国際オリンピック委員会(IOC)マーケティング委員に就任。スポーツ庁スポーツ審議会委員も務める。また、報道番組のレギュラーコメンテーターを多数務めている。フランス人の夫と1男1女。

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 世界メンタルヘルス・デー 1992年10月10日に世界精神保健連盟がメンタルヘルスについて支持を訴える活動として始めた。現在では世界保健機関(WHO)も協賛。毎年10月10日が正式な国際デー(国際記念日)として認められている。WHOは世界中で認知度を高め、メンタルヘルスのサポートに力を結集させる狙いがあるとしている。

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