日本にもようやく新型コロナのワクチンが届き始めた。ドイツのバイオンテックが開発し、米製薬大手ファイザーが販売するmRNAタイプのこのワクチンは、ベルギーから出荷された。ファイザーだけではない。英国がイスラエルに次ぐワクチン接種率を誇るのは、昨年12月にベルギーから英国に出荷されたアストラゼネカ社のワクチンによるところが大きいという。米国や欧州連合(EU)が認可したばかりのジョンソン・エンド・ジョンソンのワクチンも、生産拠点はベルギーにある。ワクチン製造地として、なぜ欧州の小国であるベルギーの名前が何度も出てくるのだろうか。(ジャーナリスト=佐々木田鶴)

 ▽国内あちこちにワクチン製造拠点

 欧州におけるファイザーのワクチン生産工場は、ベルギーの首都ブリュッセルと港湾都市アントワープの中間に位置するプールスという町の郊外にある。最初の日本向けワクチン約20万人分が2月半ばに出荷された頃には、工場の広い敷地の周りに日本のメディアが群がった。

 英国が、昨年12月初めに米国やEUよりも一足早く認可したのはアストラゼネカのウイルス・べクターというタイプのワクチンだ。同社は、スウェーデンのアストラ社と英国のゼネカ社の合弁企業。英国への最初の供給分を製造したのは、ベルギー南部セネフという町にあるバイオ医薬品メーカー「ノヴァセップ」と現地メディアは伝える。

 ジョンソン・エンド・ジョンソンのワクチンもウイルス・ベクタータイプ。米国に続きEUでも認可されたばかりだ。これも、開発拠点と欧州主力工場はベルギー北部ベールスという町にある。ジョンソン・エンド・ジョンソンがこの地にあるヤンセン製薬を買収して傘下に収め、投資を進めた結果、医療分野でのイノベーションが猛烈な勢いで進行し、臨床実験の各フェーズから大量生産までをワンストップで担う一大拠点となった。

 ▽集中するバイオ素材と専門人材

 コロナ禍で、ワクチン開発レースに躍り出たところの多くは、比較的規模の小さな研究開発に特化した企業や研究所だ。彼らが実験室での研究開発から、臨床治験へ、さらには実用化レベルへと進むためには、いくつもの良質な素材の供給元、異なる規模のワクチン製造を担う受託メーカーなどがそれぞれの段階で必要となる。

 「ベルギーには、実は、先端医学とバイオテクノロジー分野に強い大学と多くの研究所、中堅の医療素材メーカー、大手製薬会社などが集中している」。ベルギー医薬品業界総合協会のデビット・ゲリング氏はこう説明する。四国ほどの平坦な国土に高速道路網が完備され、国際空港と欧州屈指の貿易港にどこからでも1時間以内でいける。EUの主要機関が集中することもあって、欧州、いや世界中から、先端分野の人材が集まりやすいのだという。

 ▽20年の長期戦略で育成

 英国とほぼ同時に産業革命を達成したベルギーは、石炭、そして鉄鋼で潤ったが、第2次大戦後に荒廃した。寂れた炭鉱・鉄鋼の町が国中に点々と残り「資源も産業もない小国」となってしまった。

 筆者は90年代初めにベルギーに移り住んだ。戦後に誕生した欧州共同体の統合への動きは、その頃から加速した。2000年代に入ると、EUとして新しい基幹産業を育てて雇用を作り出す長期戦略を立てた。多年次にわたるEUの研究開発資金や戦略基金が予算として付けられるようになった。

 ゲリング氏は、この時期にまでさかのぼって解説してくれた。「知識産業による経済発展を達成せねば、世界から取り残されてしまうと考えたEUは、加盟国に猛烈にはっぱをかけたのです。狙ったのは、再生可能エネ、5G、そしてバイオテクノロジー。GDPの3%を研究開発につぎ込む野心的な目標を掲げました。でも、万年財政破綻状態のベルギーでは、国が私企業に研究開発費を出すなんてできそうにない。それで考えたのが、研究開発に熱心な外国企業にどんどん投資してもらい、外国から優秀な人材に来てもらえるための税制優遇策です」

 例えば、外国から優れた人材を確保するために駐在者への所得税などの源泉徴収を免除した。駐在者以外でも、イノベーションに貢献した研究・技術者には、税や社会保障の軽減という「ボーナス」を実施した。

 製薬・バイオ系企業には、研究開発(R&D)への投資を奨励するため投資額に見合った法人税の直接控除も実施。ベルギーでは、特許など知的所有権から得られる所得にはもとから非課税。これも研究開発型企業・個人にとっては、大きな魅力となった。

 イノベーションや知的所有権、投資への優遇措置がいろいろあるベルギーでは、こうしたメリットを最大限に利用するためのコンサルタント会社まであるという。

 これらがうまく機能し、R&Dに熱心な中堅会社と、そこに投資したい大企業がシナジーを生みやすい環境を、20年という長い歳月の間にベルギーは形成してきたのだ。

 ▽ワクチン外交の中で

 日系企業にも、ライフサイエンス分野の将来性を見込んで、ベルギーの中堅企業に投資したところがある。バイオベンチャーのユーロジェンテックを買収したカネカだ。

 ユーロジェンテックは、ベルギー当局はもちろん、FDA(米国食品医薬品局)やEMA(欧州医薬品庁)の認定を受けた世界でも数少ない医薬品開発製造受託機関(業界ではCDMOと呼ばれる)で、医薬・診断薬及び研究試薬向けのタンパク、核酸、ペプチドなどのバイオ医薬素材を委託製造する。コロナ禍では、ベルギー政府の緊急要請を受け、PCR検査試薬を大量供給したほか、ワクチン用バイオ素材作りでも大活躍。DNAやRNAを用いたがんや遺伝病、ワクチンなどの先端企業として急成長し、従業員もここ数年で倍増しているという。

 世界は今、ワクチン生産が間に合わず、熾烈(しれつ)な獲得競争から、なりふり構わぬワクチン・ナショナリズムやワクチン外交に走っているといっていいだろう。イスラエルや英国は先行買い占め・接種に突き進んだ。米国が国産ワクチンの輸出を許さない間に、ロシア製や中国製のワクチンが、アフリカ、中東、アジア、南米に販路を広げている。

 各国のさまざまな動きの中、ベルギーは今、バイオ医薬を牽引し、ワクチンをEUや日本に供給し続けている。