2021年7月にサッカースイススーパーリーグ「グラスホッパー・クラブ・チューリヒ」に移籍してきた川辺駿(かわべ・はやお)選手が4月21日、今シーズン2度目のベストプレーヤーに選ばれた。同16日に行われたマッチウイーク30週目の試合は川辺選手の活躍もありグラスホッパーが9試合ぶりに勝利を飾ったのだ。試合の6日後、川辺選手にスイスでのサッカー生活を振り返ってもらおうとクラブハウスを訪ねた。(チューリヒ在住ジャーナリスト中東生 共同通信特約)
 ▽移籍からブレイクまで
 まず、今シーズンからグラスホッパーの監督に就任したジョルジョ・コンティーニ監督に、川辺選手との出会いについて聞いた。
 「去年の6月ごろ、川辺選手のビデオを見て、わがチームに必要な人材だと思いました。素材の良さ、技術力、戦略力、そして日本人の折り目正しさが魅力でした。スイス人の内省的な性格に似た日本人の国民性は、自画自賛するようなところもなく、20代半ばという年齢も、異文化に慣れていくには若過ぎないちょうどいい頃合いだと思いました。予想通り、短期間のうちに環境に慣れ、チームの一員となった彼は実力が十分に出せるようになり、チームメートからの信頼も深まっていきました」

 監督が話すように、川辺選手はその困難な時期を無事克服した。昨年10月12日に最初にインタビューした時は、そんな過去の苦労話を聞かせてくれながらも、ようやくチームになじんできて、インタビュー中に通りかかったチームメートが「皆、ハヤオを愛してるって書いて!」と声を掛けてきた。「ヨーロッパでキャリアをスタートしたのが、この街、このチームで良かった」「自分の活躍を通して、このクラブが次に日本人と契約する機会にもつなげたい」と語っていたのが印象に残った。
 その後、10月31日に初ゴールを決めてからは、1試合おきにシュートを決める勢いに目を見張った。そのブレイクの要因として「日本の家族やファンにスイスでの活躍を見てもらうのはなかなか難しいが、ゴールを決めれば、目に付きやすい」というコメントが現地メディアで紹介されていた。今回のインタビューで聞いてみると、そのような思いに加えて「あと1カ月くらいで日本に帰れる、と思ったのも元気の源になっていた」と自身を客観的に分析した。

 そんな川辺選手の躍進が、子供の頃から憧れていたイングランド・プレミアリーグへの道を開いたのだった。昨年12月初旬にウルバーハンプトンからのオファーがクラブに来た時には「まさか、半年で!?」と驚いたという。そして2021年最後の試合である12月19日もゴールを決め、その直後に1度目のベストプレーヤーに選ばれたのだった。「あの時はゴールを決めたので選ばれたのだと思ったけれど、今回はゴールを入れたわけでもないので、試合全体で認めてもらえたのだと思うとうれしい」と驚きと喜びが入り交じった表情で話してくれた。
 ▽プレミア・リーグで活躍するために
 昨年12月20日に日本に里帰りし、そこから今年1月4日に直接イギリスへ渡り、ウルバーハンプトンと契約を交わした。現地の練習に参加した時の気持ちはどうだったのか。
 「今までもオフシーズンにイギリスの試合を見に行ったことがあり、いつかはこんな所でプレイできたらいいなあとは思っていましたが、まさか半年で実現するとは思っていませんでした。クラブハウスからスタジアムまで全てが大規模で、今まで見た事もないような整った環境でした。練習中でも選手のレベルは高く、2週間の滞在期間中に見に行った2試合もスピーディでハイレベルでした。せっかくプレミアリーグに移籍しても、出場機会が与えられなければ無意味になるので、スイスに戻ってフィジカル、クオリティー、メンタル全ての面で力をつけたい、と思いました」

 その後はグラスホッパーの新年初試合に間に合うように1月19日にスイスに戻り、練習に合流した。しかし最初は気持ちを戻すのが難しかったという。「例えばピッチも、寒さで芝生が伸びず、ボコボコしていたりする。メンタル面でも『活躍したい』ではなく『活躍しなければならない』に変わった」。そんな状況が5試合ほど続いたという。
 実際に試合を見ていても、選手間の連係が悪いようにも見えた。別のチームと契約してローンとして戻って来た選手を他のチームメートが受け入れにくいのでは、と一観客として心配したが、それは周りからの扱いではなく、自身の葛藤が原因だったのだという。そうした思いから抜け出た今、それも大切な経験だったと川辺選手は振り返る。そうして3月6日と20日、見事にゴールを決めたのだった。
 ▽「日本大使」の意味
 しかしクラブとしては5試合も負け続けていた。その理由をコンティーニ監督に聞いてみた。「新型コロナ感染者が7人も出たり、ハヤオと一緒にウルバーハンプトン行って戻って来なかった選手もいたりして、帰って来ても精神的にまた立て直さなければならず、そのような移動はチーム内での役割も分担も変えるから苦労しました。でもサッカーはスポーツであるとともにビジネスであり、『もしもこれがなければ勝っていたのに』という逃げ道は通用しません。どんな状況も受容するのがサッカーなのです。安易な道を選びたいのなら、わざわざアジアから選手を獲得してくる必要もなく、オーストリアからにすればいい。アジアの素質ある選手を育てて、より大きなクラブに売る、そういう事も現在のサッカーの一面なのです。そういう面から見ても、ハヤオは『在グラスホッパー日本大使』となりました。アユム(瀬古歩夢選手)が来て、うまく慣れていく手助けにもなり、これからも日本の若手がこのクラブを通して欧州でプレイしようというモチベーションにもなる。これもサッカービジネスの重要な要素なのです。」

 スイスのメディアでは負け続けるコンティーニ監督が何故クビにならないのか、と攻撃する記事も見られたが、そんなコンティーニ監督に導かれて「負け戦の連鎖」をチームが断ち切った時、川辺選手は2度目のベストプレーヤーに選ばれた。コンティーニ監督によると、川辺選手は来シーズンもグラスホッパーに残るという。シーズンを終え、日本に帰ったら、川辺選手には今度こそゆっくり休んでもらって、次シーズンはリーグ優勝を目指してほしい。「監督の私を含め、当クラブは今年から新体制になったので、最初の年は難しいのが当然だ。ハヤオも引き続きこのチームに残ってくれる来シーズンは、皆の力が集結できる」とコンティーニ監督も期待をかける。

 川辺選手はウクライナ侵攻に関しても、広島出身者として「核兵器廃絶」と「No War」を掲げる試合を観客に見てもらうことに意義を見いだしているという。そんな川辺選手の考え方に敬意を表してコンティーニ監督は「在グラスホッパー日本大使」と呼ぶのだろう。
 そして、インタビューの2日後、マッチウイーク31週目の試合ではさらに躍動した川辺選手の姿がホームスタジアムのピッチ上にあった。今シーズン7本目のゴールを決め、チームを連勝に導いた。続く32週目の試合でも同点ゴールをアシストした。川辺選手は今、スイスのサッカー界になくてはならない選手となったのだ。