昨年4月にドラコン大会の会場で心筋梗塞を発症したドラコンプロの山崎泰宏は、手術により一命をとりとめ、その後、ドラコンプロとして現役復帰を果たす。誰もが不可能と考えた山崎の復活劇を追ったドキュメント。


今回のトピックは、『生まれ変われたら何をする』。

生まれ変われるとしたら次はどんな人生を歩みたいかとか、今度はどんな職業に就くかといった他愛ない話を人は時々するけれど、私たちがそうやって自分の人生の意義について考えようとするのは、やはり、人生が一度きりのものだからであろう。

実際に、ある種の特異な体験をした人達の中には、自分の中でパラダイムシフト(価値観の劇的変化)が起こり、生き方が変わるというケースも多い。よく知られるのが、宇宙飛行士が地球に帰還した後に伝道者や聖職者になったという例だ。宇宙空間から見る、暗黒の中に生命体が存在する唯一の星である地球がポツンと浮いている、その奇跡的な美しさと生命感に神の恩寵を感じ、先端科学の道から宗教の道へ転じる者がいるというのだ。

九死に一生を得た人もまた、生き方をがらりと変えることが多い。「せっかく助かった命だから」という思いから、それまでの価値観を見直すように、新しい職業に就いたり住む場所を変えたりする。

心筋梗塞を発症し、病院に運ばれた段階で既に心筋に広範囲のダメージを負いながら、手術により一命を取り留めた山崎泰宏は、「せっかく助かった命だから」、残りの人生をまた、同じドラコンプロとし生きるという選択した。

現在、山崎のドラコンプロとしてのパフォーマンスは、トレーニングなどによって心筋梗塞発症前の80%くらいまで戻っているという。彼は今、この復活に至るまでのトレーニング法の確立を目指している。

「以前はヘッドスピードが61〜62m/sだったのが、今は58〜59 m/sくらい。飛距離は365ヤードだったのが350ヤードくらいです。現在の目標は、トレーニングなどによって一年前の自分と同じくらいまで戻すことです。将来的には60歳でHS60 m/s、70歳で300ヤード、これを余裕で実現する。加齢とともに飛距離も数値も下がることは避けられないという定説の中、それが実現できたら、自分の飛距離に特化したトレーニング法が確立できます。そして、このトレーニングをツアープロなどにも広げることで、世界に対抗できる飛距離を持った日本人選手が輩出できるんじゃないかなと思っているんです」

自らの飛距離に対する追求とそのトレーニング法の確率をツアープロも巻き込んだ形で考えている背景には、ドラコンプロとしてのこんな思いがあったからだ。

「正直、ツアープロはゴルファーとしてのドラコンプロのことを馬鹿にしている感じはあるんですよ。ただ飛ばしているだけじゃないかという目で見るんです。僕自身はレッスンやクラブ作りなどを通じてリスペクトしてくれる人もいるので、嫌な思いをしているわけではない。でもツアープロのギャラが1000万円で、ドラコンプロは3万円という状況があるのは事実なわけで。もちろんドラコン選手のレベルが低いからそういうギャラ設定になるとしたら、本物になって価値を上げていかないといけないと思っています」

劣等意識を乗り越えて、山崎は今、積極的にツアープロとの交流を図っていこうとしている。

「ツアープロの中にはドラコンプロをリスペクしてくれるプロもいて、石川遼君のように、自分も飛ばして武器にしたいと僕の所に教えを乞うために来てくれる意識の高い選手もいるんです。だから、この二つが融合することで高い次元のものが生まれるはず。心筋梗塞になる前までは、俺のノウハウを知りたかったら、レッスン受けに来ればいいという感じのスタンスだったけれど、今は、ツアープロから質問が来たら無料でもアドバイスをするようにしています。もちろん本格的なレッスンの場合、レッスン料は貰いますけど、簡単なアドバイスなんかは自分の利益は関係なく“同業者”なんだからという意識でやっています」

山崎がこういった心境に至ったのは、やはり今回の心筋梗塞によって“死にかけた”経験があったからだという。

「人間、いくらお金があっても死ぬときは死ぬんだなと思いました。心筋梗塞のような緊急手術が必要な場合においては、1000万円あったから助かった、200万円では助からないなんてことはない。それからは“仏”になったじゃないけれど、どんなアマチュアでも聞かれた教えるみたいな、そんな感じになりましたね」。

敢えて、山崎にこんな質問をしてみた。『せっかく助かった人生』なのに、何でまたボールを飛ばすことに人生をかけるのか。ドラコンにはそれほどの価値があるのか。

「それをやってきて悔いがなかったから。それで食えてこられたから。あと、それしかやることがないからですよね。人生の長い時間を飛ばすことに時間をかけてきたので、それが心筋梗塞で倒れたことで、飛ばせなくなって、そのまま終わっちゃってもいいのかと思いました。もちろん、心臓に負担がかかるというリスクもあるので無理はできないけれど、でも、もう一度やらないうちにやめるなんて、そんな中途半端に終われないという気持ちですかね」

九死に一生を得た山崎泰宏は、別の道を歩くのではなく、一つのことを究める道を歩くことを選んだのだという。

山崎が一つの道を究めることの凄さや尊さとプロフェッショナルというものを感じたのは、宇部興産中央病院での入院中のことだった。

「それを学んだのは看護師さんです。いつも笑顔でお願いしたことを嫌な顔ひとつしないでやってくれる。仕事と言えばそれまでですけどね。入院生活が長かったので、46人の看護師さんと接しているんですけれど、その看護師さん全員が良い人だったんですよ。あの人たちは物凄く言葉を選ぶんですよ。変に期待を持たせてもいけないけど絶望も与えない。死ぬかもしれない人に対して、残された日々を頑張って生きることができるような不思議な言葉を持っている。僕が生き続けることができたのは自分の体の力ですけれど、でも生かされたのはそういう人のお蔭だとつくづく思います」

入院中に山崎の心の中では、そういった価値観の変化が起こっていたのである。(取材・文/古屋雅章)

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