■結婚前や妊活中・不妊治療中にがんになったらどうするか
食生活の欧米化やライフスタイルの変化などにより、日本人のがん罹患率は増加傾向です。女性特有のがんといわれる乳がんや子宮頸がんなども増えており、罹患する年代も低年齢化しつつあります。

もし、突然がんと宣告されてしまったら、その状況に悲観しなかなか前を向けないかもしれません。治療法についての情報収集もすることになるでしょう。もちろん一番先に優先されるべきは「がんの治療」ということに変わりはないのですが、がんが治せる時代になった今では、その後の生活まで視野に入れて考えることも必要になってきました。

年齢にもよりますが、いずれ結婚して子どもが欲しいと思っている方もいるでしょうし、不妊治療に取り組んでいる最中にがんが発覚するケースもあります。

実は、抗がん剤などを用いたがん治療を受けた場合、その後の生殖機能が低下したり、失われてしまうことはそれほど広く認知されていません。しかし、実際には以前から、「がん治療と不妊」という一見結びつかなさそうなこのテーマに悩まされている方々も多いのも事実なのです。

ここではがん治療と卵巣への影響、そして不妊治療をテーマに、現状と将来についてご紹介していきます。

■がん治療で男女とも不妊症リスクは上がる?
がん治療を行うと、「妊孕能(にんようのう/妊娠する力)」が急激に低下してしまうと考えられています。乳がんや卵巣がん、子宮がんなどにかかった時、抗がん剤や放射線治療を行うことになりますが、これらは非常に体への負担が大きいものです。そのため、治療を長い間続けていく中で標的のがん細胞だけではなく、結果的に正常な細胞も傷つけてしまうことがあります。

また、進行具合によっては完治させることができず、卵巣や子宮そのものの摘出を視野に入れなくてはならないこともあります。

優先すべきは患者さんの命ですが、将来的に妊娠出産するために必要不可欠な生殖機能の損傷や消失も考えられ、結果的に月経や排卵の停止、閉経などが引き起こされることもあります。これらは発症した年齢や使われる抗がん剤などの治療法、そして個人の生殖機能にもよりますが、将来的な妊娠の可能性を低くしてしまう要素ばかりです。

そして何も、これらは女性だけの問題ではありません。男性の場合もがん治療を行うことで生殖機能に影響が生じて造精機能が失われてしまったり、奇形精子の増加、精子数の減少を招くことがあります。

■がん治療直前では時間が足りない?卵子凍結の現状
現在、不妊治療の現場では採取したばかりの精子や卵子を用いて受精させ、そのまま移植する方法のほか、精子や胚を凍結保存してから再び融解して用いる方法も広く行われています。

精子であれば、男性側が長期の海外出張などで、不妊治療中に女性の排卵に合わせてタイミングを取れない場合などに使われますし、胚であれば、採卵後に良質な胚が複数個取れた場合に凍結保存し、次回以降の周期に移植するなどの使われ方をします。

これらの不妊治療の技術は、がん治療を受ける前に、将来的な生殖機能の低下を鑑みた場合にも生かされるようになってきました。具体的には、がんが発覚した時点で受精させた胚を凍結保存しておき、がんが治癒した後に再び胚を体内に戻して、出産を目指すという方法です。

ただし不妊治療の際もそうですが、採卵する場合には卵を育てて成熟させ、排卵誘発剤を投与して排卵のタイミングを合わせる必要があります。そのため、すぐに採卵できるわけではなく、月経周期などを見ながら2週間ほどの期間が必要となります。

男性の場合であっても、がん治療を行うことで造精機能の低下を招くことがありますので、治療前に精子を凍結して半永久的に保存して、将来的なパートナーの妊娠に備えることができるようになりました。しかし仮に男性が亡くなってしまった場合、残された精子の取り扱いをどうするのかなど法的な問題も絡んできますので、事前に医療機関とよく話し合っておくことが大切です。

現代社会では、結婚年齢の上昇や女性のキャリア進出によって出産を考える年齢自体も上がってきていますので、妊活や不妊治療中はもちろん、その前の段階で病に侵されてしまった場合は、卵子凍結という手段も考えられます。卵子の凍結も技術的には可能なのですが、胚よりもさらにデリケートなため妊娠率が下がってしまい、行える施設もまだ少ないという現実もあります。しかしながら、婚姻前であるなどまだパートナーがいない場合などに、これらの方法を希望される方が徐々に増えてきています。

■近年注目されつつある「卵巣凍結」の技術
先ほどお話ししたように、卵子または胚を凍結する場合にはある程度の時間が必要です。そのため、できるだけ早急にがん治療を始めなくてはならないような場合は、対応が難しいケースもあります。そのため、まだ広く臨床の場で行われているわけではありませんが、不妊治療に関わる技術の飛躍的な向上により、卵子を含む「卵巣組織の凍結」も行えるようになってきました。

卵巣凍結とは、腹腔鏡などの手術で卵巣を取り出して卵子や胚と同じように凍結保存し、治療を終えた後に再び体内へ戻すという方法です。卵巣内にはまだこれから成熟予定の卵子が数多く存在していますので、治療後に体内に戻すことで再びこれらの卵子が発育し、排卵、妊娠に至ることが期待できる、というわけです。

この卵巣凍結の技術は海外では認知されつつありますが、日本国内ではまだ研究段階という認識です。実施できる施設も非常に限られています。しかし卵巣凍結をめぐる環境は目まぐるしく変わりつつあります。例えば、仙台と高輪にあるレディースクリニック京野では、抗がん剤の使用により生殖機能への悪影響が想定される女性に対し、卵巣を取り出して凍結保存する卵巣バンクを設立することが決められています。

この背景には、がん治療を行う前に卵子凍結をしたものの、採卵時の卵子の数が十分ではなかったり、または成熟した良質な卵子ではなかったりしたために妊娠の可能性が極端に低くなるという事態を避けるという目的があります。卵巣ごと保存しておけば、これから成長していくであろう多数の卵子も同時に保存しておくことができるからです。

■今後どうなるのか?
このように、がん治療を行う前に、将来的な妊娠の可能性を残す技術も確立されつつありますが、これらの最新技術に関する情報が、全てのがん専門医の中に十分に浸透しきれているとはいえないのも現状です。もともと医師には各専門分野がありますので、専門外の分野での膨大な最新情報を毎日の多忙な診療、手術などの合間をぬって勉強し続けるのには限界もあるでしょう。

そのため、2014年には日本がん・生殖医療学会が乳がん患者の妊娠出産と生殖医療に関する診療について指針を出しています。この中で、乳がん患者に対して治療について説明するとともに、将来の妊娠の可能性、つまり妊孕性(にんようせい)について適切な情報提供をするべきであり、必要に応じて生殖医療を専門とする医師に委ねることも必要だとされています。また、普段はお互いに接触のない分野であるため、様々な職種についての連携もするべきだとも記されています。

現在、アメリカではそのようなネットワークが広がりつつありますが、国内では岐阜県が先駆けとなって、がんと生殖医療のネットワークを構築しています。具体的には、岐阜大学病院内に専門の外来を設置してカウンセリングの実施や情報提供を行うとともに、患者さんが必要とする治療を受けられるようがん診療施設と生殖医療施設をつなぐ役割を担っています。

今後は、これらの連携を整備することはもちろんのこと、公的な保険適用外である高額な治療費についても目を向けていく必要があるといえます。

■まとめ
がん治療も不妊治療も、ゴールが明確に見えにくいという点では同じです。がん治療であれば治療とともに再発リスクも考えつつ検査などを受け続ける必要がありますし、不妊治療も予定通りに進むものでなく、治療を開始したからといって妊娠・出産がいつになるかは誰にもわかりません。また、卵子凍結や卵巣凍結をしたからといって妊娠が保証されるわけではありませんので、時間とコストをかけ続けて叶わないかもしれない妊娠を目指すことよりも、子どもを育てる喜びや幸せを感じられることに変わりはないからと養子などの他の選択肢を選ばれる方もいらっしゃいます。

大切なことは、何も知らずにがん治療を行ってから妊孕性の低下を後悔するのではなく、それらの情報をあらかじめ知ったうえで、自分自身が納得して治療を選択していくことではないでしょうか。

【参考サイト】
・乳がん患者の妊娠出産と生殖医療に関する診療の手引き 2014年度版(日本がん・生殖医療研究会)
・卵巣バンク
・岐阜県がん生殖利用ネットワーク 

池上 文尋