選・文 / 安岡友美子(アーティスト)

This Month Theme画家の人生に触れられる。

二人の対照的な画家としての在り方から、芸術の意味に想いを馳せる。

彼らの絵は、「現象」に似ていると思っていた。
かつて美術館でアルバイトをしていた頃のこと。開館前の数分間、同僚とアール・ブリュットについての雑談を交わしている折に、私はそう発言した。
同じように美大を出てアルバイトをしながら画業を並行している同僚が、私の言葉に「現象…そうだ、そうですね。彼らは現象的なんだ」と噛みしめるように同調してくれたのをよく覚えている。

アール・ブリュットとは、正規の美術教育を受けず、また既存の美術の文脈に影響されずに制作された芸術作品のことである。
美術教育を受けて絵を描く私たちは、しばしばアール・ブリュットの画家たちに憧憬を抱いていた。
シャーマンのように降りてきた幻視を絵に描き続ける者もいれば、自動筆記のようにひたすら「描く」という作業に没頭する者もいる。湧き出るように生みだされる彼らの表現は、社会的な欲求や作為とは無縁であった。
私たちがそれを真似ようと思っても、届かないどころか、彼らの真の純粋さからは遠ざかってしまう。
人為から切り離されて存在する彼らの世界はまさしく、現象のようだった。

この映画で描き出されるニキフォルもまた、アール・ブリュットを代表するポーランドの画家である。
15年ほど前、渋谷の映画館まで一人で観に行った。観客は数人しかいなかった。暗い劇場のシートに体を沈めながら、ニキフォルが過ごした共産主義下のポーランドのどこか鬱屈とした空気を、点々と座った、見ず知らずの数人で共有していたように思う。

スクリーンの上に抑制された色彩で紡ぎだされるのは、生涯で4万点もの作品を残したニキフォルの晩年の生きざま。しかしこの映画で注目してほしいのは、同時に描かれた「アール・ブリュットに届かない」もう一人の画家、マリアンの姿である。

言語障害を持ち、読み書きもできない老人のニキフォルは、観光客に自分の描いた絵を売り、時に物乞いをしながら家を持たずに暮らしていた。そんな彼が保養地クリニツァの役所をぶらついていた際に見つけたのが、画家 マリアンのアトリエだった。ニキフォルはアトリエを気に入り、そのままそこに居着いてしまう。

頑固で口の悪いニキフォルに初めは戸惑い鬱陶しく感じていたマリアンだが、アトリエを共有するうち、次第に彼の才能に惹かれていく。美大を出て画家としての定職を得ながら自分の画業に限界を感じているマリアンに対し、ただ純粋に自分の表現を信じ、描くことに日々没頭しているニキフォル。いつしかマリアンは身寄りのないニキフォルを受け入れ、世話をするようになっていった。ニキフォルが肺結核を患っていることが判明し、感染を恐れた周囲が彼から離れていっても、マリアンは彼を見捨てずに創作を支え続けた。

病と闘いながら、やがて二人はニキフォルの名前を冠した大きな個展の開催すら叶えていく。
マリアンは画家として自ずの感性から実感していたのだ。ニキフォルが、守るべき尊い芸術家であるということを。

寒々しく色彩に乏しい冬の雪景色から、緑の溢れる夏へ。映画はポーランドの季節の移ろいに合わせて、絆を深める彼らの小さな交流を淡々と描き出していく。雪が解け、画面がゆっくりと光豊かな情景へと変化する頃、いつしかマリアンに共感し、理解不能な老人に愛着を感じ始めている自分に気が付く。

偉業とはなんだろうか。果たして、芸術とは誰に向けられたものだろうか。二人の対照的な画家としての在り方にそんな問いかけを得ながら、芸術の周縁に芽生えた友情に、深く心を揺さぶられる映画である。

illustration : Yu Nagaba

視覚的には赤い色彩が印象的な映画。保養地クリニツァの看板、雪景色の中を進む真っ赤な自動車、マリアンの妻が着ているジャケット、白い犬が着けた首輪、ニキフォルのラジオ……終始単調なストーリー展開の中で、赤い色が画面のアクセントになっている。舞台はソ連統治下のポーランド。先の見えない状況のなかで細々と生きる人々を象徴するような「赤」だと思う。エンドロールで暴力的なカットインで鳴り響き始める音楽の歌詞や、男性であるニキフォルを見事に演じ切った大女優の怪演にも注目して欲しい。