2023年5月19日発売の特集「」。暮らしを取り巻く状況が変化し、自分らしい生き方を模索してきたここ数年。日常を取り戻しつつある今、これからの人生を心から楽しむためのヒントを、自分らしい素敵な生き方を実現している人々から学ぶ特集です。ここでは、自分らしく働く5人のストーリーを聞いたBinB企画より、『スナック水中』のママ、坂根千里さんの働き方を紹介します。

"バリキャリ"志向の大学生は 卒業と同時にスナックのママに。

止まり木として、社交場として。 女性の居場所をつくりたい。

 

4年前。生まれて初めてスナックに足を踏み入れたその日を境に、坂根千里さんの人生は思わぬ方角へ転向した。当時、彼女は大学2年生、20歳。大学近辺の国立市内にゲストハウスを作るべく学生団体を立ち上げた頃だ。

「地元の協力者の方と打ち合わせをするために連れてこられたのが近所のここ、『すなっく・せつこ』だったんです」

 ママと常連の男性客らに迎えられると、しきりに話しかけられ、歌わされ、「打ち合わせなどさせてくれなかった(笑)」。が、人との距離の近さに抱いた戸惑いは、じきに心地よさに変わる。夏休みに行った、奄美大島での体感と重なることに気がついたからだ。

 東日本大震災のあと、街を再生する人やローカルで働く人をメディアで目にして憧憬を抱き、大学では都市政策を専攻した坂根さん。

「張り切って入学したものの、なんだか期待はずれで、教室にこもってカリカリ勉強してばかり。これじゃ浪人時代と同じじゃんって」

 加えて、地域活性化活動のインターンで訪れた奄美大島でローカルなコミュニティと人の多様性に接したことで、大学の世界がより小さく感じられた。「何か変えなくちゃ」。そうだ、あの旅の体験を味わい続けるには、ゲストハウスを運営して旅人を迎え入れるハブを自分で作ればいいんだ、と思いついた。そこで話は冒頭の『すなっく・せつこ』に戻る。

「奄美大島にあって東京にはないと思っていた、あの感じ。情けないところや弱いところを見せ合えるローカルな人間関係。そういう空間が、自分がいつも大学に通っていた道の、扉一枚隔てた場所にもあったんだ!って」

 そこにすかさず、初対面のせつこママが「ここで働かない?」と声をかけ、翌週から店でアルバイトをすることになった。

「〝バリキャリ〞志向だった」坂根さんは3年生になると就職活動を始めたが、同時に引退を決意したママから店の後継を打診されるように。デベロッパーになり都市開発に関わるか、スナックを引き継ぎ街の人たちの社交場を手がけるか。悩みに悩んだ結果、軍配が上がったのは「女性のための場所づくりがじかにできる」スナックのほうだった。というのも「自分を含め、他人に弱みを見せるまじとガードを堅くしている女性が多いと感じていて。彼女たちの心がほぐれる場所として、スナックはよさそうだなと。働く女の子たちを支える場にいたい。それが自分がやりたいことだってわかったんです」。

 

『すなっく・せつこ』時代のせつこママと。これまで多くの人間を見てきただろうママが坂根さんに白羽の矢を立てたのは、出会ったその日だった。
〈KUNITACHI BREWERY〉のクラフトビールやとれたてミントのモヒートなど、地元のメーカーや食材のドリンクも取り揃えている。
〈KUNITACHI BREWERY〉のクラフトビールやとれたてミントのモヒートなど、地元のメーカーや食材のドリンクも取り揃えている。

 

 それからはひたすら開業の準備。銀行の融資や行政の補助金を受け、改装費はクラウドファンディングで募った。そして大学を卒業した翌月の2022年4月、『スナック水中』はオープンにこぎつけた。

 たとえば男女1人ずつのスタッフを必ず配置するようにしているのも、その現れ。誰がどこに座るか客席の采配も、初訪の客がもしも戸惑ったら出してもらう合図を伝えておくのもそう。空間を仕切って逃げ場を用意しておくのも、花を飾り、本を置くのも。すべて、女性が居心地よく過ごしてもらえるようにと考えた工夫だ。

「いろんな世代の男女が場を共有するって、聞こえはいいんですけど、実はなかなか難しいシチュエーションで。そのなかでみんなが程よく楽しく過ごせるようなルールづくりやケアをするのが、私の役割だと思っています」

 全然違うタイプだと思っていたのに類似点を見つけたり、無関心だったのに興味が湧いたり。ときには安心感を覚えることもあれば、孤独感が解きほぐされることも。たまたま隣り合わせた異世界の住人と接することで生まれる良質な化学反応は意外にたくさん起こり得るし、みんなそれぞれいろいろ抱えているけれど、今はこうして楽しく飲んでいる。

「たとえばオーセンティックなバーやクラブなどは、かっこつけて非日常の自分を楽しむ場所だと思う。でもスナックでそれをするとシラけちゃう。ここではむしろ、カラオケで面白く歌った人がヒーローです」

 自分の情けないところ、どうしようもないところを晒すことができるのは、スナックならでは、と坂根さん。他店より多いとはいえ、女性客はまだ3割ほど。でも、いろいろな世代が居合わせて、歌があって、くだらない話や、真面目な話が交わされて。

「それがなんだか、いい風景なんです。こういう場所を求めている人は確実にいて、自分がやっていることは間違ってないんだっていう確信みたいなものは、1年間やって、つかめました」

 その確信は、100店舗展開という目標につながる。すでに2店舗目の出店計画も進行中で、年内にはオープン予定だ。さらに「全国にスナックは5万軒もあるのに、業界団体もグループ会社もなくて、ママさんみんなが孤軍奮闘状態。だからママ同士で支え合える、最強のママ集団を結成したい(笑)」と。どうやら彼女はやはり、根っからの〝バリキャリ〞志向のようだ。

 

スナックといえば内部がうかがい知れず一見客は臆してしまうイメージがあるが、『スナック水中』は外から店内を見渡せる開放的なつくり。
新規の若年層もいれば、前店から通い続ける年配客も。店は東京・国立市の谷保駅そば。火〜土に営業。詳細はInstagram()へ。

 

坂根千里 Chisato Sakane

1998年東京都生まれ。株式会社を立ち上げ代表に。2019年、一橋大学在学中に東京・国立、谷保駅すぐの『すなっく・せつこ』と出合う。来店初日にママのスカウトを受け、アルバイトをスタート。'22年、大学卒業と同時に事業継承とリノベーションを経て、『スナック水中』と名称を変え、オーナーに。開店1 年ながら、客前でのカラオケもすでに堂に入っている。カウンターには常連客らが揃う。

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photo:Shinsaku Kato text : Mick Nomura(photopicnic)