連載「Voice――今、伝えたいこと」第25回、日本人唯一のNHL経験者のメッセージ

 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。

 日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は新連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。

 第25回は、アイスホッケー日本代表の福藤豊(H.C.栃木日光アイスバックス)が登場する。日本人で唯一、世界最高峰のNHL(北米プロアイスホッケーリーグ)でプレーした37歳。今も代表の正GKを務める男が、マイナ―競技の枠から抜け出せない日本の現状に危機感を訴え、最短距離で答えを求める若者に“遠回りの大切さ”を語った。

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 男子アイスホッケー界に北風が吹いている。日本人で唯一、NHLのリンクを踏んだ男は言った。

「若い選手がもっともっと出てこないといけない。『本当に俺でいいのか』という疑問はずっとあります。世界選手権や五輪予選に呼ばれるたびに思う」

 9月で38歳になる。高校3年で初めて日本代表に呼ばれて約20年。福藤はずっと日本のゴールを守ってきた。2月の2022年北京五輪3次予選は2勝1敗で敗退。「スマイルジャパン」の愛称で注目される女子は3大会連続の五輪出場を決めた一方で、男子は最終予選に進めず。開催国枠で出場した長野五輪以来、24年ぶり出場の夢は散った。

 マイナー競技――。時代によって光と影が移りかわるが、アイスホッケーが日本中から光を浴びた時代があったとは言えない。

 かつては「日本リーグ」が国内トップだったが、03-04年に「アジアリーグ」が発足した。日本、韓国、ロシアのアイスホッケー連盟が参加する7つのプロクラブチームによる国際リーグ戦だ。福藤の所属するH.C.栃木日光アイスバックスの場合、ホームゲームの観衆は「1000人以上は入る。最終戦など多い時は2000人くらい。小さい規模ながらも来てくれるファンは多い」という。

 国内トップレベルに長くいる立場から見て、日本のアイスホッケー界は昔と比べて進歩しているのか。この問いに複雑そうな声色で答えた。

「正直、ないような気がします。アジアリーグができた時に何かしらの試みがあって始まったと思いますが、どういう方向に向かっているのか見えてこない。憧れて見ていた部分もありますが、僕が子どもの頃に見ていた日本リーグ時代の方が盛り上がっていた印象がある」

 現役選手として唇をかむ瞬間がある。「アジアリーグに行くなら、普通に就職したほうがいい」。学生のリアルな声を耳にした。収入面で安定した一般企業を選ぶ人がいるのが現状。「それが凄く悔しい。何かしら変えないといけない」。プレーさせてもらえる環境に感謝の思いがあるからこそ、胸に突き刺さる言葉だった。

 例年は9月開幕だが、新型コロナの影響で11月に遅れる可能性が浮上。選手たちはSNSやYouTubeで積極的に情報を発信し、コロナ禍のオフシーズンもファンとの交流を図っている。他競技に比べて多くはないが、いつもそばにいてくれる確かなファンが離れないように動いてきた。しかし、選手だけでは限界がある。

 第一人者は慎重に、でも、臆さず言葉を並べた。

「選手任せはきっと続かない。(日本アイスホッケー)連盟がしっかり舵を取ってくれないと、僕たち選手も行くべき方向性が全然わからない。そこにもっと力を注いでほしい。もちろん、オリンピック出場がアイスホッケー界を変えるとは思うけど、ざっくりとした大きな目標でしかない。そこに行くためにはどうしたらいいか、どうしたらそこに行かなくても盛り上げられるのか。それがあまり見えてこない。選手も思うだけではなく、真剣に考えながら行動していかないといけない」

 アイスホッケーだけでなく、マイナーから脱することができない他の競技にも当てはまることかもしれない。

もがき苦しんだ末、07年1月にキングスで日本人唯一のNHL選手となった福藤【写真:Getty Images】

“アジア人”のヒエラルキーを感じたNHL、練習すらできない立場から這い上がった

 強化面の課題の一つは、代表活動が少ないことだという。「日光アイスバックスの福藤豊として活動することはあっても、代表の時期に『アイスホッケー日本代表の福藤です』と背負いながら仕事をすることはまずない。代表レベルで活動をしていくことも必要」。イベントでも、メディア出演でもいいだろう。できることはあっても、各チームの代表強化への協力姿勢がしっかりしているわけではないという。

 メジャー競技でない限り、今や世界で活躍しなければなかなか日の目を見ない傾向がある。錦織圭や大坂なおみ、八村塁、井上尚弥らプロ競技のほか、東京五輪種目で言えば桃田賢斗、張本智和、羽根田卓也、楢崎智亜などメダル候補が脚光を浴び、競技にも注目が集まる。団体競技だって昨秋は国民的大ブームが沸き起こり、世間のラガーマンを見る目が見違えるように変わった。“世界で勝てる”が一つのキーワードかもしれない。

「代表として戦う時間が長ければ強化にもつながる。若い選手をどんどん海外に出してあげる環境も必要」。代表戦が増えるだけでも経験の場が広がる。大学生、高校生を“飛び級”で日本代表や海外でプレーさせることも一つだ。ただし、福藤は「できることはたくさんある。でも、議論し合う場所もないというか、話し合っている部分も見えてこない」と訴えた。

“できない”ではなく“やっていない”という現状にもどかしさがある。選手の声を吸い上げる環境もないため、選手会発足も「僕が現役でいる間に解決したい問題」と視野に入れているという。

 ただ、暗い話題ばかりではない。最近では、中学、高校年代から海外挑戦する選手も徐々に出てきた。その一人が16歳の安藤優作だ。1月のU20世界選手権に“飛び級”で出場したFW。今季から16〜20歳で構成される米ジュニアリーグ、USHLの「ヤングスタウン・ファントムズ」でプレーする新星に、福藤も期待している。

「NHLのドラフトにかかるんじゃないかと言われている。シュート、パスのセンスがズバ抜けて凄い。サイズは小さいけど、スマートにプレーしながら結果も出している。そういう選手が向こうで結果を出してくれると、いい勇気を与えられるし、日本人のお手本になる。『日本代表を強くするために』と言って海外に出る熱い選手が増えてきた」

 平野裕志朗、寺尾勇利など1995年生まれの2人もNHLを目指し、海外の下部リーグに挑戦中だ。福藤がロサンゼルス・キングスでNHLデビューを果たしたのが2007年1月。2人目の日本人NHL選手は現れていないが、少しずつ近づきつつある。

 自身が米挑戦を決めたのは18歳だった。高校卒業前に初めて見たフル代表の世界選手権。日本リーグを見て育った青年は、外の世界を知った。「こういう世界もあるんだ」「高いレベルでやってみたい」。幼い頃に日本リーグに抱いたものと同じ憧れの思いで海を渡った。

 02-03年から3部相当のECHLでプレーし、世界最高峰のNHLを目指した。右も左もわからぬまま単身で飛び込んだ戦場。言葉の壁、「自分を前面に出す」という文化の違い、“アジア人”というヒエラルキー、練習すらさせてもらえない第3GKの苦悩を味わいながら、遠回りを繰り返した。

「少ないチャンスでどう自分を出していけば、このチームに認めてもらえるのか。模索しながらやって、ようやくチームメートとして受け入れられた瞬間を肌で感じた。自分で打破していくしかない。凄く貴重な体験でした」

 米国は結果を出せば、素直に実力を認めてくれる場所だった。もがきながら階段を上ってNHLデビュー。4試合に出場したが、自己評価は「全くですよ」と苦笑いの奥に悔しさを滲ませる。本場で結果を残すために足りなかったことは何だろうか。後輩たちに同じ轍を踏んでほしくはない。

「NHLに行ったことが評価されがちですが、僕はそこで結果を出すという思いでずっと戦っていた。それを達成できなかったのは凄く残念だし、僕自身はアメリカで成功したとは思っていない。だから凄く悔しい。やはりいろんなことを知らな過ぎた。アメリカのホッケーってどんなものだろうと思っていて、行ってみるまでわからなかった。初めて知ったのが18歳。もっと早い段階でそういった環境が自分の頭の中にあれば、将来も変わってくると思う」

 一概に海外に出ればいいというわけではないが、早くから環境やレベルを知れば、やるべきことが見えてくる。

NHLで戦った当時24歳の福藤、若手に伝えたいのは遠回りの大切さ【写真:Getty Images】

若手に伝えたいこと「簡単に得た答えは…」、五輪出場で「見てみたい」景色とは

 紆余曲折の末にNHLの空気を吸ったからこそ、後輩たちに還元できるものがある。日本の正GKの座を奪う選手が出てこない今、最短距離で答えを求めようとする若い世代に伝えたい。これからのアイスホッケー界を背負っていく選手たちへ言葉をぶつけた。

「答えって簡単に出ないということを、みんなにわかってほしい。一つの問題をクリアすると、きっとまた新しい問題や目標が生まれてくる。その繰り返しだと思うんですよ。僕なんかはオリンピックに出たい、日本でメジャーなスポーツにしたいという思いがありながらも、何か達成できているわけではなく、常にもがいている。

 答えに早くたどり着こうとするのではなく、もっともっと自分の競技に苦しんでもいいんじゃないかな。たぶん、簡単に得た答えは自分のものにならない。悩んだ時、すぐに答えを出してくれる人を見つけるのではなく、自分で考えてみていろんなことを試してみる。失敗も繰り返すだろうけど、そこで出た答えは必ず自分のものになる。そういう道もいいんじゃないかな。もがきながら自分で答えを出して、いい選手になっていってほしい」

 もがきながら得たからこそ、また壁にぶつかった時に対応できる。アイスホッケーに限らず他の競技でも、さらに言えばスポーツだけでなく、コロナ禍で多くが制限された今も役立つ思考かもしれない。「自分ができることを最大限に考えながら答えを出していかないと」。アイスホッケー人生を全うしながら、愛する競技を盛り上げるために頭をフル回転させて答えを探している。

「僕はこの競技に出会えてよかった」

 胸を張って言える。生身の足では出せないスピード感、激しいコンタクトの合間に見せる華麗なパスが好きだ。ソルトレークから北京まで、6度も過ぎ去った五輪出場のチャンス。2月に夢が絶たれ「3次予選に懸けていた。正直、この先どうしようかなと思っていた」と燃え尽きたような気持ちにもなった。

 ただ、わずかに残った火種は消せなかった。

「年齢的に考えても次の五輪予選に僕が参加できるか凄く難しいし、参加しているのもどうかなと思う。でも、最大限やって出し切った感じもあったけど、やっぱり本当に悔しかった。オフにいろんなことを振り返ると、もう一回目指してみたい気持ちになる。オリンピックがやっぱりアスリートとして最大の目標。今はまた挑戦したい気持ちがあります」

「俺でいいのかな」と葛藤がありつつ「呼んでもらえて光栄。呼ばれたからにはベストを尽くす」と日の丸に身を捧げる覚悟がある。アイスホッケーに出会ってもうすぐ30年。そこまでして五輪を目指す理由は何なのか。やはり競技を思う純粋な気持ちからだった。

「やっぱり男子の日本代表が五輪に出た時、アイスホッケーに対する世間の目がどう変わるのか、それを見てみたい。僕たちが目指してきたものによって『ここまで変わるんだ』となるのか、『あれ、こんな感じだったのか』と思うのか。そういうものを感じてみたい。女子の注目度が一気に変わった部分を見てきたし、男子だったらどうなるのかな。それを見てみたいと常に思っています」

 アイスホッケー界に吹きすさぶ北風を止められるのか。イタリア開催の2026年大会は43歳。目尻のしわが増えても、夢は年をとらない。

■福藤 豊(ふくふじ・ゆたか)

 1982年9月17日生まれ。北海道釧路市出身。小3からアイスホッケーを始め、宮城・東北高に進学。2000年アジア杯で高校生としては初の日本代表入り。01年コクド入団後、02年に約半年の米国留学を経験。04年6月のNHLドラフトでロサンゼルス・キングスから8巡目(全体238位)指名を受けた。下部組織のAHL、ECHLでプレーし、06年12月にNHL初昇格。07年1月にデビューした。現在はアジアリーグのH.C.栃木日光アイスバックスに所属。ポジションはGK。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)