連載「松井大輔のベトナム挑戦記」第1回、コロナ禍の海外移籍で見たベトナムの現状

 多くのアスリートが人生の節目に進むべく道を決断していく。40歳を機にユニフォームを脱ぐ選手もいれば、40歳を前に新天地を求めて新たな旅路に向かう選手もいる。プロサッカー選手・松井大輔は12クラブ目となる新天地に、ベトナムを選んだ。

 39歳の今も、チャレンジし続ける松井のベトナム生活を、自らの言葉で綴る「THE ANSWER」の連載「松井大輔のベトナム挑戦記」でお届けする。第1回は新たな挑戦の場所をベトナムに求めた理由――。

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 日本の皆さん、お元気ですか。松井大輔です。

 ベトナムへやってきて1か月が経ちました。僕が住んでいるのはホーチミンという大きな都市で、平均気温が25〜30℃の熱帯気候です。ベトナムは経済的に右肩上がりの国で、どんどん発展している。クラブが用意してくれた素晴らしいマンションに住んでいて、とても居心地がいい。それから食事も日本人の好みに合っていると思うので、肉も魚も、それからフォーもおいしく食べています。

 唯一の悩みは、ベトナム語がなかなか上達しないこと。なぜかというと、ベトナム語は同じ発音でも音の上げ下げで6個くらいの意味があって……。フランス語を話せる人がいると聞いていたけど、実際には全然いないし(苦笑)。フランス語の公文で問題集をやっていたけど完全に間違いだった。もう英語をマスターしたほうが早いかなと思っている今日この頃です。

 みんなが気になっていると思う新型コロナウイルスの感染状況だけど、ベトナムは日本と比べると受けている影響が本当に少なくて、ほとんどの人々が普通に日常生活を送っています。カフェでティータイムを楽しんでいる人がいて、普通にランチや買い物をする光景がある。国全体として市中感染のリスクがない状況を作り出していて、コロナを怖がる心配やストレスが全くない。世界的に見ても、最も過ごしやすい国だと思う。

 でも入国時の感染防止対策は日本以上に厳しくて、全員がPCR検査を実施した後に2週間の隔離生活を送らないといけない。窓が開かないようになっている完全密閉の部屋で感染防止対策は万全だったけど、とにかく精神的に苦しかった。僕はそこでエアロバイクをこいだり、体幹トレーニングをやったりしてコンディションを維持していました。

 そうやって1日1回は運動する時間を設けていたけど、1日だけ何もしないで体を休める日を作ったら、何もすることがなくて息が詰まりそうになってしまった。毎朝10時からやっていたベトナム語の勉強も、最初に記したようにチンプンカンプンで頭が痛くなってしまったし(苦笑)。1日3回、食事を持ってくる人が鳴らすチャイムの音だけが楽しみでした。

松井が所属するサイゴンFCが掲げる明確なビジョンと将来設計とは

 とにもかくにも2週間の隔離生活を無事に終えることができて、年末からは加入したサイゴンFCのトレーニングに参加できるようになりました。サイゴンFCは昨シーズンから10人以上の選手が入れ替わり、新しいスタートを切ったチーム。僕はトップ下のようなポジションでプレーしているけど、技術や戦術に関しては発展途上かもしれない。でもそれは“伸びしろ”と言い換えることもできると思う。

 僕が今回の移籍を決断した大きな理由に、サイゴンFCが掲げるビジョンや将来設計があった。昨季3位になったことでAFCカップの出場権を得て、その大会で優勝して、さらにステップアップしていくという明確な目的がある。そのためにプロサッカー選手としての立ち居振る舞いやクラブとしての在り方をできる限り伝えていきたい。

 会長のビンさんは25年くらい前に日本に住んでいた人で、日本語も話せる。そして日本と日本人の文化や精神をベトナム人に学ばせたいと考えているようで、いわゆる“おもてなし”の心だね。ただ、プロサッカークラブに何が必要なのか知識が不足していることを自覚していて、そこで僕の経験が少しでも役に立てばと思う。

 例えば、スタジアムにはどのような設備が必要なのか。練習場は天然芝のグラウンドが2面確保できて、クラブハウスにはトレーニングジムや交代浴ができるお風呂があったら最高だ。そういった日本では当たり前なことを彼らは知らない。Jリーグが誕生した1993年前後のような感覚だと思ってもらえればいいかな。

 サッカーと向き合う姿勢についても、僕が伝えられることは少なからずあると思う。ベトナム出身の選手はみんな一生懸命プレーしていて、ただ試合や練習に向けてどのような準備、メンテナンスを行えばいいのか分からない。彼らはこちらに聞いてくる姿勢を持っているので、プロ生活21年で培ってきた知識と経験を生かしてクラブの発展に貢献したいと思っているよ。僕は長年、カズさん(三浦知良)にプロとは何たるかを背中で見せてもらってきたので、今度は自分がその役目を果たしたい。

【写真提供:サイゴンFC】

チャレンジに意味や価値はないのか…その答えは「絶対に違う」

 今年5月には40歳になります。36歳の時、ポーランドの2部リーグでプレーして、それなりに大変な思いや苦労もあった。それから日本に戻ってきたけど、またいつか海外でプレーするチャンスがあったら行きたいという思いはずっと持っていました。実際にオファーをもらって体力や気力を思い起こし、奮い立たせるにはエネルギーが必要だったけど、僕は今までも、そしてこれからもチャレンジの道を選ぶだろう。

 人生の節目の年にこんな経験をできる選手はなかなかいないはず。単純にサッカーだけではなく、そこに関わるいろいろなことが見えてくると、違う観点から物事を考えられるようになる。国と国をつなぐ架け橋になれれば、企業や人の輪を広げることもできる。そんな存在になりたいと思うし、今までサッカーにお世話になってきたので、サッカーを通じて恩返ししたい。

 30代後半ともなれば現役を退く選手がほとんどで、僕の周りでも多くの選手がスパイクを脱ぐ決断をしてきた。年齢は一つ上だけど(中村)憲剛のような例は最高の形で、引退することが羨ましい気持ちも湧いてくる。でも、人それぞれの道があるし、自分は自分の道を歩いていきたい。昔から知っている何人かの選手から電話がかかってきて、みんな羨ましがっていたよ(笑)。

 今は日本人でも10代で海外移籍する時代になってきて、30歳を過ぎた選手は移籍金としての価値はない。それは紛れもない事実だろう。では、自分のチャレンジに意味や価値がないかと言えば、絶対に違うと思う。チャレンジする姿勢や生き様から何か感じてもらえたら、こんなにうれしいことはない。

 ということで、僕は今日もベトナムの太陽の下で大粒の汗を流しながらボールを蹴っています。また来月お会いしましょう。松井大輔でした!

松井大輔
1981年5月11日、京都府生まれ。サッカーの名門、鹿児島実業高校を卒業後に京都パープルサンガ(現・京都サンガ)でプロキャリアをスタートさせる。2004年にフランス、ル・マンへの海外移籍を皮切りに、ロシア、ブルガリア、ポーランドでプレーし、Jリーグではジュビロ磐田、横浜FCでプレーした。日本代表としても活躍し、ベスト16に輝いた2010年南アフリカワールドカップにも出場。今年1月からは、ベトナムのサイゴンFCで新たなチャレンジを行っている。(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)