連載「松井大輔のベトナム挑戦記」第3回、新たな環境に溶け込むための秘訣とは

 多くのアスリートが人生の節目に進むべく道を決断していく。40歳を機にユニフォームを脱ぐ選手もいれば、40歳を前に新天地を求めて新たな旅路に向かう選手もいる。プロサッカー選手・松井大輔は12クラブ目となる新天地に、ベトナムを選んだ。

 39歳の今も、チャレンジし続ける松井のベトナム生活を、自らの言葉で綴る連載「松井大輔のベトナム挑戦記」でお届けする。第3回はこれまでベトナムを含む6か国のリーグでプレーしてきた松井が言語や文化が異なるチームにどうやって溶け込んできたのか、その秘訣についてお伝えする。

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 皆さんお元気ですか、サイゴンFCの松井大輔です。

 ベトナムは2月上旬の旧正月前に実施した新型コロナウイルス感染症対策が効果を発揮し、3月に入ってからは普通の日常生活を送っています。カフェやレストラン、それからバーも通常営業しているし、路上では1杯150円くらいのビールを飲んでいる人がいて、BGMを流してカラオケを楽しんでいる愉快な人もいます(笑)。芸術作品が飾られているお洒落なカフェなど近代的な部分と、路上で太陽の日差しを浴びながら過ごす昔ながらのアジアの風景が混在しているのがベトナムという国です。

 そのベトナムは僕にとって日本を含めて6か国目となるチャレンジの場です。今年でプロ生活も22年目を迎え、過去に日本以外にフランス、ロシア、ブルガリア、ポーランドでプレーしてきました。そこで今回は、過去の海外移籍や今回のベトナム移籍の事例を交えながら、新たな環境に溶け込むために必要なことやポイントについて話したいと思います。

 僕が初めて海を渡ったのは23歳の時。フランス2部リーグ・ドゥのル・マンで海外キャリアをスタートさせました。フランス人だけでなくブラジル人やセルビア人などさまざまな国籍の選手が在籍していて、今考えれば当然のことだけど、文化や思想が全く違うことに最初は戸惑ったのが正直なところ。そんな集団がチームとして戦って上を目指すためには一体感が必要不可欠で、ピッチ外を含めて選手同士の距離を縮めなければいけませんでした。

 そこでよく使われる手法が、新加入選手の歌唱パフォーマンスです(笑)。シンプルだけど、これが抜群の効果を発揮するから実は侮れない。ちなみにル・マンに加入した時はTHE BOOMの『島唄』を熱唱した記憶があります。久保建英くんがスペインのビジャレアルに加入する際にアニメ『ドラえもん』を歌っていたように、海外クラブでは当たり前のように行われています。選曲はあまり問題ではなくて、一生懸命に歌うことがとても重要。それによって笑いが生まれて、チームに溶け込みやすくなります。

松井流のチームへ溶け込む方法を明かした【写真:本人提供】

サッカー界ではいまや常識? 世界共通のマスト話題は“下ネタ”

 世界共通といえば、下ネタも欠かせないマストアイテムですね(笑)。僕はフランスならフランス語、ロシアならロシア語というふうにその国の公用語で下ネタを言えるように勉強して事前に仕込んでおきます。それを練習前後のリラックスした雰囲気の時に披露すれば、すぐに肩を組んで笑い合える関係を築ける。特に経験値の低い若い選手にとっては大きな突破口で、僕も何度下ネタに助けられたか分かりません(苦笑)。

 この下ネタも含めて、海外生活ではやはり言語の壁を突破することがとても重要になります。言語を習得するには、とにかく一緒に食事をする機会を増やすなどピッチ外でフレンドリーな関係を築くのが手っ取り早い。そのために僕は普段から笑顔を意識して過ごし、自分から積極的に仲間のコミュニティへ飛び込んでいきました。チームメートの家族と一緒にホームパーティーを開催して盛り上がり、その国の文化を知り、とにかく笑ってふざけ合うことがピッチ内での信頼につながっていきます。

 幸い僕自身はもともとのパーソナリティのおかげもあって、積極的に自分からチームの中へ飛び込んでいける性格だと思います。ポーランドではサポーターの人たちと仲良くなって、そのリーダー格の人の家に招かれたり(笑)。海外でプレーしている時は日本を代表しているという感覚で過ごして、とにかく目の前の状況を全力で楽しむことが自分自身を好転させる最大の秘訣です。

 ただし成功体験ばかりではなく失敗談もあります。2度目のポーランド移籍になった2017年のオードラ・オポーレでは外国籍選手枠が1人だったということもあって、なかなかチームに溶け込めずに苦労しました。最初に出場した試合で良いパフォーマンスを見せることができず、仲間たちからの信頼をなかなか勝ち取れませんでした。

 時間が経って思うのは、それだけが原因ではなかったということ。当時の僕は「ポーランド2部なら活躍できて当たり前」と自分の力を過信し、自らチームの中に入っていく努力をしませんでした。ポーランド語を覚えようとはせず、頑なに伝わらない英語で話しかけていました。実際のプレー面でも地盤が緩いピッチコンディションに戸惑い、持ち味であるドリブルがほとんどできない状況でした。それまでのキャリアや実績が無駄なプライドを生んでしまい、パスを出してくれる仲間を作ることができなかったのです。結果として在籍期間は半年未満でした。

 その状況を未然に防ぐために最も大切なのは、結果を残すことです。自分が必要な存在であることをピッチ内でのパフォーマンスや結果で示し、信頼される状況を作り出してしまえばいい。人によっては僕のようなフランクな性格ではなく、どちらかというと控えめで内気な性格の人もいます。そういったタイプの選手にとっては、結果によって周りからの見る目を変える作業をすることがより重要になってきます。

松井は、批判を封じるには「結果を出すこと」が一番だと言う【写真:本人提供】

批判的な報道を封じ込めるためには「結果を出すこと」が重要

 海外で僕たち日本人がプレーする場合は「助っ人」という立場になります。それはJリーグのチームに外国籍選手が加入するのと同じ状況で、彼らへの期待値はそもそも高いですよね。金銭面でも国内選手よりも投資していることが想像できるので、自然と期待値のハードルが上がっていきます。難しいのは時間的な猶予がたくさんあるわけではなく、勝負は加入直後やシーズン開幕からの数試合で何をできるかが重要になります。そこでしっかりと認めてもらうパフォーマンスを見せ、並行してピッチ外でも円滑な関係を築いていくのが理想と言えるでしょう。

 そういえば先日、フランスのマルセイユでプレーしている酒井宏樹くんが批判されている現地報道を目にしました。指摘されていたのは「言語の問題」だったけど、これはチームとして結果を出せていないことによる粗探しだと思います。これまで酒井くんは素晴らしいパフォーマンスでチーム内外からの評価を獲得していましたが、マルセイユが結果を出せない状況になると突然こういった報道が出てしまうのが海外であり、「助っ人」という立場です。反対に言えば、結果さえ出せば批判を封じ込めることもできるわけです。

 話を戻しますが、僕自身は今、これまでのさまざまな経験を経てベトナムの地で新たなチャレンジをしています。アジア圏ということもあって食事に困ることはないですし、たとえばスパ施設なども充実しているので私生活の面でのストレスはありません。それにピッチ内の公用語は英語なので、ベトナム語の難しい発音に手を焼く心配もありません(苦笑)。

 そしてサイゴンFCではチームにプラスαをもたらす役割を求められています。ひとりの選手として結果を残すことはもちろん大切だけど、これまでの経験に基づいてワンランク上のサッカーを伝えていくことで自分自身の価値を高めていきたい。練習ではなるべく身振り手振りを加えて具体的にサッカーを教え、ドリンク休憩中にはホワイトボードに図を描いて説明することもあります。

 僕のアドバイスをきっかけに選手が変化していく姿を見るのはとてもうれしい。もっと良い見本や手本になっていきたいし、それは僕自身に課せられた役割だと思っています。若い頃は自分のことだけを考え、自分が頑張ることでチームのためになると思っていました。決して間違った考えではないけど、年齢とキャリアを重ねたことで立ち位置が変わり、今ではもっと俯瞰した視点でチームやクラブを見ているつもりです。

 でもチームはなかなか結果を出せず、早くも今シーズン2回目の監督交代と苦しい時間を過ごしています。新たなチャレンジには生みの苦しみがつきもので、そういった時こそ自分のような立場の選手がピッチ内外でしっかりとした立ち居振る舞いを見せなければいけません。次回は現況を含めたその辺りの話をしたいと思います。

 では、また来月お会いしましょう。松井大輔でした。

■松井大輔

 1981年5月11日、京都府生まれ。サッカーの名門、鹿児島実業高校を卒業後に京都パープルサンガ(現・京都サンガ)でプロキャリアをスタートさせる。2004年にフランス、ル・マンへの海外移籍を皮切りに、ロシア、ブルガリア、ポーランドでプレーし、Jリーグではジュビロ磐田、横浜FCでプレーした。日本代表としても活躍し、ベスト16に輝いた2010年南アフリカワールドカップにも出場。今年1月からは、ベトナムのサイゴンFCで新たなチャレンジを行っている。(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)