吉田宏記者のコラム、パナソニックの飯島GMインタビュー前編

 国内ラグビーの新リーグ「ジャパン・ラグビー・リーグワン」は来年1月7日の開幕へ準備を進めている。従来のトップリーグ(TL)からプロ化への段階的な移行を踏まえて発足する新リーグで、初代王者を狙うのが埼玉パナソニックワイルドナイツ。その現場の実質上トップに立つ飯島均ゼネラルマネジャー(GM)に話を聞いた。

 前身の三洋電機ラグビーを監督として率い、親会社の吸収合併でチーム生き残りに奔走するなど、グラウンド内外で手腕を振るうキーマンが、新リーグの意義やチームが目指すもの、熊谷移転での新たな挑戦と、熱い思いを語った独占インタビュー。最強軍団の敏腕GMの言葉から、日本ラグビーの未来が見えてくる。(文=吉田宏)

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 開幕まで4か月あまり。日本ラグビーの変革を担うリーグワンへ、ワイルドナイツが本格的に動き出したのは8月30日のことだった。最終工事が続く中で、埼玉県営熊谷ラグビー場に隣接する地で、新たに造成された専用グラウンドとクラブハウスを使ってのチーム練習がスタート。野武士軍団の“ボス”飯島GMも、真新しいクラブハウス2階のチームラウンジから、エメラルドグリーンに輝く真新しいピッチを眩しそうに見渡した。

「60年の歴史がある群馬(太田市)と折り合いをつけて、我々は熊谷にやってきた。怒った人もいっぱいいましたよ。大変なことでした。でも、大きな問題があれば、その時は私の首を切っちゃえばよかっただけですからね。重要なのは、移転したからこそ得ることが出来る恩恵がどれだけあるかです」

 延床面積2000平方メートルのクラブハウスに、同700メートルの室内練習場、いまは1面だけのグラウンドも来年には隣接するサブグラウンドが完成する。外部に業務委託するホテルは、ゴール裏からの壮観なグラウンドの眺めが大きな売りになる。そして、それらの施設の背後には、2万4000席の熊谷ラグビー場が横たわる。練習場から眺めると、国際基準のスタジアムが、あたかもワイルドナイツの持ち物のようなロケーションだ。この新天地には、従来のTLチームが続けてきた、いわゆる“部活”とは別次元の新たな挑戦が盛り込まれている。

「今回、私たちは、ホテルの横にクリニックを作っています。他にも、サイクルステーションというレンタルサイクルの店も作っています。(別資本も含めて)投資額を合わせると170億円超になる。私たちが太田に残っていたら年間7000万円弱くらいのコストがかかっていましたが、熊谷ではラグビー場のあるこの土地は埼玉県の所有で、施設は県協会が造っている。土地代などが減免され、県協会に賃料は払っているが、ここの施設に参入する企業、人たちとは、私たちのスポンサーになってくれることも話し合っています。

 だから、結局賃料とスポンサー料で相殺されることになる。パナソニックの幹部に訴えたのは、ここに移れば170億円の資産が優先的に利用出来て、50億円弱の商売が可能だということです。なおかつ私たちにかかるイニシャルコスト、ランニングコストは0円ですから、こんなうまい話はあるのかということです」

 今年5月にワイルドナイツの優勝で幕を閉じたTLは、いわゆる企業スポーツとして運営されてきた。一部選手はプロ契約を結んでいるが、チームの収益性は0に等しく、運営資金の出どころは企業頼み。福利厚生費や広告費などで賄われてきた。リーグワンでは、3〜4シーズンを1単位とした「フェーズ」という区切りで大会フォーマット、参入規約などを見直しながら、事業性を重視し、段階的にプロリーグへ移行していくロードマップが描かれている。

異彩放つ新たな本拠地「スタジアムがないのにどうやって展開していくのか」

 現状では多くのチームが自社グラウンド、会社の敷地内の施設で強化に取り組む中で、ワイルドナイツの新たな本拠地は異彩を放つ。埼玉県、熊谷市、埼玉県ラグビー協会らとの協議を進め、ホームスタジアム(新リーグではホストスタジアムと呼ぶ)となる熊谷ラグビー場に隣接する公共の土地に、借り受けや、減免措置などの特例を生かしながら新たな拠点を構え、活動していくことになる。多くの参入チームがホストスタジアムの確保に難航している中で、いち早く公共のラグビー専用スタジアムのホーム化を実現している。ワイルドナイツが参入チームの中でも積極的に新リーグが掲げる構想に邁進する背景には、飯島GMの強い思いがある。

「事業性という部分に取り組んでいくためには、最初の重要なポイントがスタジアムなんです。企業スポーツから、新たな存続できるフォーマット、形になっていくために、おそらくどのチームもスタジアムで苦労するはずです。でもスタジアムがなければ、その後のストーリーが描けないですよね。たとえば日程、スタジアムを使った波及効果のようなことに地域性という要素を含めると、スタジアムがないのにどうやって展開していくのか」

 そこで白羽の矢が立ったのが、これまでの拠点だった群馬県太田市にも隣接する熊谷の公共スタジアムだった。過去には大学ラグビーを中心に試合が行われてきたが、2019年W杯会場に決まったために、メーンスタンドを新築する大規模な改修が行われ、国際試合を開催可能な施設へと生まれ変わった。この最新のスタジアムをW杯後にどう有効利用できるかは、自治体にとっては大きな課題だったが、飯島GMを中心にパナソニックは積極的なアプローチを続けてきた。その流れを大きく後押ししたのは、新リーグのプロ化構想だった。

 プロ化の旗振り役となったのは、日本ラグビー協会の清宮克幸副会長だ。早大、ヤマハ発動機監督として卓越した指導力、組織マネジメント力を見せ、2019年に協会副会長に招かれると、6月の就任直後にはプロリーグ構想を打ち出した。その中に盛り込まれたのが、W杯日本大会の会場を新リーグ本拠地化するプランだった。

 清宮副会長の頭の中には、W杯の熱気を継承するのと同時に、設備の整った大会会場をそのままラグビーの公式戦会場として使おうという思惑があった。国内の多くの球技場が、Jリーグを中心としたサッカーを軸に使われているという現実も踏まえていた。同副会長は、W杯のレガシーを引き継ぎ、収益性も見込まれるスタジアムを確保するためにも、大会直後にプロ化へ一気に舵を切ろうとしたのだが、参入チームの中では「時期尚早」という声も強く、軌道修正を余儀なくされた。その産物が現在のリーグワンの姿だ。プロ化構想は大幅な図面の書き直しに至ったが、清宮副会長のプランにいち早く理解を示していた飯島GMは、熊谷との連携話を絶好のチャンスと判断して移転構想を押し進めてきた。

「例えばクリニックやホテルの話は、かなり以前から色々な所から、色々な相談がきていたんです。その中で、この熊谷の話が来たときに『いま!』と感じたんです。皆をまとめて話を進めようとね。そうじゃなかったら、わずか数年の間にこれだけの様々な事業はパンパンとまとまらないですよね」

 こんな嗅覚が飯島GMのキャラクターでもある。これは勝負師としてのものか、それとも商人の才覚か。その答えは、新リーグ開幕からの数シーズンで見えてくるはずだ。それでは、ワイルドナイツは新天地で何を目指しているのか。飯島GMが思い描き、現実になりつつあるビジョンを語ってくれた。

パナソニックの敏腕GM飯島均氏【写真:吉田宏】

飯島GMが描くビジョンとは「ホームゲームをお祭りに」

「私たちと埼玉県もしくは熊谷市との協定の中には、地域の方の健康増進など社会課題の取り組みも盛り込まれている。私たちのようなスポーツチームはニュースバリューや求心力を持っている。それを生かしながら、クリニックがあって、地域の方々の子供の頃からの体の状況などを把握、管理したり、お年寄りの健康にも役に立てる。この公園(熊谷スポーツ文化公園)も利用して、いろいろなことが出来るでしょう。リーグワンで8回行われるホームゲーム(リーグ側未発表)は、熊谷伝統の『うちわ祭り』と一緒です。象徴的な祭りなんです。

 それ以外に、日常的にここで私たちの練習を眺めたり、チームが使用していない時には高校のOB戦をやってもいい。アフターマッチファンクションもできます。ワイルドナイツが使っているグラウンドで出来るのも、1つの魅力でしょう。そして、私自身は、このようなホテルが作れるような都市が、まだ幾つかあると思っています。大切なのは、ただ単にラグビーの価値観だけで考えるのではなくて、行政、首長からの理解を得ることです」

 目指しているのは、スポーツがもたらす周辺住民らへの波及効果であり、チームがコミュニティーの架け橋になることだ。熊谷を舞台に、ワイルドナイツがラグビーチームの新たなロードモデルになることに挑もうとしている。健康管理だけではなく、すでに女子ラグビーでは、同じ熊谷が拠点の7人制クラブ「アルカス熊谷」も事務所を構えるなど、ここを1つの拠点とすることも決まっている。将来的には、子ども食堂のような社会福祉事業への取り組みも視野に入れるなど、様々なアプローチにトライを続けている。

 ラグビーのグラウンドを飛び出して、様々な可能性を模索し続ける飯島GMだが、その背景にあるのはプロ化への強い信念だ。原点は、パナソニックワイルドナイツの前身だった三洋電機時代に遡る。

「私たちの場合は、10年ほど前に会社が消滅してしまうという問題があった。そういう現実をまざまざと体感して、これから日本のラグビーが存続発展していくには、今(従来型の企業スポーツ)のままでは難しいと強く感じていましたね」

 東芝府中(現東芝)、トヨタ自動車らと共に長らく日本ラグビーを牽引してきた三洋電機だったが、2000年代には主力商品だった白物家電の業績不振などで経営が悪化。チームも廃部寸前まで追い込まれる状況に陥った。

 結果的には三洋電機自体がパナソニックに吸収され、2011年にラグビー部も同社チームに改称されたのだが、当時副部長だった飯島氏は、チーム存続のために駆け回る中で、企業依存だけではないチームの運営形態、つまりプロへの転換に可能性を感じていた。廃部を目の前に突き付けられ、存続が決まってからも、多くの強豪スポーツクラブを抱える世界的な大企業の中で“外様運動部”としてどのような存続価値を社内外に訴えることが出来るかをひたすら追求してきた飯島GMにとっては、プロ化は難しい筋書きではなかっただろう。

(後編に続く)

■飯島均(いいじま・ひとし)1964年9月1日生まれ。東京都出身。都立府中西高から大東文化大に進みFLとして活躍。4年で同大初の大学選手権制覇に貢献。三洋電機でも主将を務めるなど中心選手として活躍して、全国社会人大会決勝でサントリーと引き分けでの初優勝を遂げた95年シーズンを最後に現役を引退。96-99年に監督を務め、2001-03年は日本代表コーチ、05-07年は三洋電機コーチとしてチームの日本選手権初優勝を経験。08年に監督に復帰して、トップリーグ初制覇を遂げた10年に退任。2019年からGM。(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)

吉田 宏

 サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。W杯は1999、2003、07、11、15年と5大会連続で取材。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。