「THE ANSWER the Best Stories of 2021」、大山さんの壮絶な経験とは

 東京五輪の開催で盛り上がった2021年のスポーツ界。「THE ANSWER」は多くのアスリートや関係者らを取材し、記事を配信したが、その中から特に反響を集めた人気コンテンツを厳選。「THE ANSWER the Best Stories of 2021」と題し、改めて掲載する。今回は連載「THE ANSWER スペシャリスト論」から、元バレーボール日本代表の大山加奈さんが語った「アスリートのメンタルヘルス問題」。

 6月、テニスの大坂なおみがうつ症状に悩まされていることをSNSで明かし、全仏オープンを途中棄権。トップアスリートが闘う心の健康がにわかに注目を浴びた。大山さんも現役時代、メンタルヘルス問題に悩まされた一人。精神安定剤を服用しながらプレーした経験から、アスリートのメンタルヘルスについて考えを明かした。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 SNSに記した大坂のたった一つの投稿が、スポーツ界に大きな影響を与えることになった。

「カミングアウトはとても覚悟と勇気がいること。私が現役時代だったら、絶対に言えなかった。一方で、自分の弱さをさらけ出さないといけないくらい、追い込まれ、心が疲弊している状況。大坂選手と顔見知りではなくとも、すごく心配になりました」

 大山さんは「彼女が背負うものは、私とは比にならないくらい大きい」と断った上で、元スポーツ選手として語った。並外れた身体能力で困難に立ち向かい、勝利のために戦い続けるアスリート。しかし、体の強さと心の強さは決して「=」で結ばれない。

「アスリートだから(すべてが)強いんでしょって、言われることは現実としてあります」と大山さんも頷く。

 今回、アスリートのメンタルヘルス問題を扱いたいと申し出たのは、大山さんの方から。理由について「私自身も現役中に苦しんでいました。コロナ禍で一般の方も心の問題が増えていると聞く。私の発信では影響力は少ないけど、誰か一人でも助けになれば」とし、経験を打ち明けた。

「私はある時期から引退まで、精神安定剤を飲みながらプレーしていました」

 小・中・高すべて日本一を達成し、破壊力のあるスパイクを武器に2002年に17歳で全日本デビューした大山さん。2003年のワールドカップ(W杯)以降は「プリンセスメグ」と呼ばれた栗原恵とともに「パワフルカナ」の愛称で国民的存在となり、バレーボール人気を支えた。

「あれ……なんか、私、おかしい」。そう感じたのは、2004年アテネ五輪に出場した20歳の時だった。

 ある時期から不眠に襲われた。練習で疲れているのに、ベッドに入っても寝付けない。気づけば、午前3時、4時。睡眠導入剤に頼った。追い打ちをかけるように表れたのは動悸、めまいの症状。顕著だったのが「急に人前に出た時」だ。

「汗の量が尋常じゃなく、びしょびしょになるくらい出るんです。電車に乗っていても『あの人、大山さんじゃない?』と言われているのに気付いた時、汗が一気に出てきて、目の前が真っ暗になり、その場でしゃがみ込んでしまったことが何回もありました」

 研ぎ澄まされた肉体の調整が求められるアスリートにとって致命的なメンタル面の症状。それが、日常生活にまで及んでいた。

「ここから飛び降りたら楽になれるかな」 精神安定剤を飲み、窓の外を見て本気で…

 原因は代表争いを巡る心の重圧にあった。

 もともと人と競い合うことが得意ではなく、気の優しい選手。それまでノビノビとしたチームでプレーしてきた。しかし、五輪代表は周りを蹴落としてでも生き残りをかける場。当時は当落線上とあり、余計に心が疲弊したという。コーチ陣からもらう叱咤の言葉も逆に負担になった。

「下手だ下手だと怒られ続けるうち、自信をなくし、自分を認めてあげられなくなりました。腰の怪我もあって思うようにプレーできない。いろんなことが重なりました。『オリンピックに行けない自分には価値がない』『バレーボール選手じゃない自分には価値がない』と思い詰めていました」

 症状が治まらないまま、腰の治療を経て、翌2005年に1年ぶりに代表復帰。メディカルチェックを受けた時のこと。代表をサポートする国立スポーツ科学センター(JISS)の医師に「ぽろっと」軽い気持ちで、自分の体に起きていることを伝えた。

 どんな言葉を言われたか記憶はおぼろげ。しかし、確かなのは「うつ」という表現は使われなかったものの、その口ぶりに「敢えて、私のために隠してくれている」と思い、深刻さを感じ取ったこと。精神安定剤を勧められ、朝晩、服用するようになった。

 そこからの道は、壮絶だった。

 腰の状態は万全ではなく、一人でリハビリすることが多かった。トレーニングルームがあったのは4階。窓の外を見て、本気で思った。

「ここから飛び降りたら、楽になれるのかな」

 担当医師は東京にいるため、滋賀が拠点だった大山さんは一度にまとめて精神安定剤をもらった。薬を口にするたび、脳裏をよぎった。

「一気にこれを飲んだら、どうなるんだろう」

 心が壊れていることも、薬を飲んでいることも周りに言えなかった。同僚、友人、家族、その誰にも……。理由は「心のどこかに恥ずかしさがあった。言ってしまうと、自分の弱さを認めることになる気がしたから」。これが、この問題を根深くさせる要因である。

 所属する東レには高校の同級生である荒木絵里香や妹の未希もプレーしていたが、むしろ距離を取って、すべてを一人で抱え込んだ。海外遠征で自分の姿をニュースで見た母から「亡霊みたいだよ」とメールが来た。「見た目から何から、すべてが悲惨な状況でした」

 救いになったのは、薬を飲み始めてしばらく経った後、担当医師から言われたこと。「こういう選手はたくさんいるよ。あなただけじゃないから」。世界のアスリートを知るJISSの専門家の言葉に、少しだけ心が楽になった。

 しかし、普通なら大学生にあたる20歳過ぎの話。しかも、26歳で引退するまでの6年間、そして、引退後もしばらく精神安定剤を手放せなかった。

「薬をやめると、また症状が出るのが、ずっと怖かったので」

メンタルヘルス問題で願う社会の変化「アスリートも一人の人間として」

 現在は体罰や勝利至上主義といったスポーツ界の問題に取り組み、全国でバレーボール教室や講演を行ってきた大山さん。2月に出産した双子を元気に育てる姿からは、想像できないエピソードだ。

 しかし、すべて現実の過去である。

 大坂のように個人競技であっても、大山さんのように団体競技であっても心の問題は存在する。理由はメディアの対応が苦手だったり、競い合いが苦手だったり、一つではない。かつては五輪史上最多金メダル23個を獲得した競泳のマイケル・フェルプス(豪州)、サッカーの元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタら、少なくないトップアスリートが「うつ」を告白している。

 国立精神・神経医療研究センターが、日本のラグビートップリーグの選手251人にメンタルヘルスの実態調査を行った結果、「うつ」を含め、およそ42%がなんらかの不調を経験したというデータもある。

「人それぞれに心が疲弊する理由があるのは、会社や学校でもきっと同じではないでしょうか」と大山さん。だから、スポーツ界も理解が進むことを願い、「『アスリートだから』という見方を強くしないであげて欲しい」と声を上げる。

「今は『男だから』『女だから』という偏見をなくし、個人が尊重される時代。アスリートも一人の人間として見てあげること。本人が『アスリートだから強くなきゃいけない』と思うこと、周りに『アスリートだから強いでしょ』と縛られるのは本当に苦しいので」

 最近、大山さんが「素晴らしいと思った」というのは、日本ラグビー選手会が昨年立ち上げた「よわいはつよい」プロジェクト。アスリートが率先し、オープンに心の不調と向き合うことで当たり前にメンタルヘルスと付き合っていける社会を目指した啓蒙活動を行っている。

「それこそラグビー選手は強い人がする競技と思われる。でも、決してそうじゃないという発信に救われるアスリートもいる。弱さを見せるのは勇気がいることだけど、蓋をせず表に出してもいい。きっと楽になるから。弱いことは悪いことじゃないと知ってほしいです」

 振り返ると「正直、私も心が折れて引退した」という。晩年は腰の怪我との闘い。復活の舞台裏を捉えようと密着したテレビ取材は「チームが引き受けた仕事」と受け入れたが、耐えきれず、涙して断った日もある。

 まだ26歳。リハビリに取り組めばもう一度、復帰できたと感じている。それを遮ったのは「もう、頑張れない」という心の声。心の健康を保つことは、アスリートの競技寿命を考える上でも大きな意味のあることだ。

「心が疲れてしまったアスリートの相談できる場所がまだまだ少ないと感じています。大坂選手のような影響力の大きい選手が発信してくれたことで変わるきっかけになる。きっと今まで心の問題で潰れてしまった選手も多かったと思います。大好きな競技を健康的に大好きなまま続けてもらいたい。私自身も目を逸らさず、できることをやっていかなければいけないと思っています」

 アスリートも一人の人間。その理解から、第一歩は始まる。

■大山加奈/THE ANSWERスペシャリスト

 1984年生まれ、東京都出身。小2からバレーボールを始める。成徳学園(現下北沢成徳)中・高を含め、小・中・高すべてで日本一を達成。高3は主将としてインターハイ、国体、春高バレーの3冠を達成した。01年に日本代表初選出され、02年に代表デビュー。卒業後は東レ・アローズに入団し、03年ワールドカップ(W杯)で「パワフルカナ」の愛称がつき、栗原恵との「メグカナ」で人気を集めた。04年アテネ五輪出場後は持病の腰痛で休養と復帰を繰り返し、10年に引退。15年に一般男性と結婚し、今年2月に双子を出産した。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)