山と球磨川に挟まれたJR肥薩線の無人駅には、「秘境駅」の雰囲気が漂う。熊本県球磨村にある那良口(ならぐち)駅もその一つ。名誉駅長の林エミ子さん(69)が別の仕事の合間を縫って駅施設を管理している。約3年前から利用客がいなくなったが、今年4月から1人の高校生が通学に使い始めた。林さんにはうれしい知らせだった。

 那良口駅にはコンクリート製の簡易待合室が一つあるだけで、周辺を見渡しても森と川しか見えない。林さんが嫁いできた45年前に無人化された。

 林さんは駅から約200メートル離れた十数世帯の集落に暮らす。大工職人の夫について建築現場へ行き、清掃などを手伝うのがおもな仕事。駅には週1回ほどしか来られないが、清掃や草取り、花壇の手入れをする。アジサイや、色とりどりの小さな花が咲くフロックス、ツツジなどが自慢だ。90歳前後の旧国鉄OBたちがたまに手伝ってくれる。

 JR九州から名誉駅長を委嘱されたのは2016年11月。前任の旧国鉄OBが高齢のため退任し、地区の老人会から後任を頼まれた。報酬などはない。嫁いだころは立派な駅舎と官舎などが誇らしく見えた思い出があり、「人が行き交う駅を残すために役立ちたい」と引き受けた。

 那良口駅は約3年前まで数人の通学客がいたというが、林さんが名誉駅長になってからは1人もいなかった。週末などに運行されるSL蒸気機関車を「秘境駅」で撮影するため、愛好家たちが集まってくるのが数少ない楽しみだった。

 今年4月、林さんとは別の集落に暮らす男子高校生(15)が那良口駅から人吉方面の高校に通い始めたことを人づてに聞いた。その後、高校生を駅まで車で送り迎えする母親(53)が、林さんの自宅を通りかかった際にあいさつしてくれた。名誉駅長の仕事にやりがいを感じたという。

 ところが、JR九州の3月のダイヤ改定で列車本数が減って不便になったことを受けて、球磨村が高校生を人吉駅まで無償で送迎するバスの検討を始めた。高校生は送迎バスの利用を考えているといい、実現すれば、那良口駅の通学客はまたいなくなる見込みだ。

 その話を聞いた時、林さんの声は沈んだ。それでも「また誰が来てもいいように整えておきたい。来年は主人が仕事を引退するので、私は駅にもっと来て世話をすることができる」と話し、駅を守っていく決意を語った。(村上伸一)