長崎市の平和祈念像の修復作業が約20年ぶりに進められている。2020年が原爆投下から75年となるのを前に、劣化した表面を修復し、着色し直す。作業の中心を担うのは富山・高岡銅器の職人たち。20年前の像の修復にも携わった金森正則さん(70)は「祈りを捧げる人たちの思いがこもった像。修復を手がけられるのは誇り」と話す。

 平和祈念像は、原爆の犠牲者の鎮魂と核廃絶に向けたシンボルとして、長崎県南島原市出身の彫刻家、故北村西望さん(1884〜1987)が制作し、1955年に完成した。高さ9・7メートルの青銅製の男性座像で、天を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸びる左手は平和を表している。

 表面の劣化や耐震化などのため、99年から2000年にかけて、像を解体して修復を実施。長崎市は富山県高岡市の「竹中製作所」に作業を委託した。

 当時の修復は、北村さんの助手として制作に携わった彫刻家の故富永直樹さん(1913〜2006)が監修。銅器の着色が専門で、同社の製品を手がけていた金森さんは着色作業の指導役として参加した。

 着色は、表面の加工や塗装で、歳月を経たような色や風合いを銅器に与える作業。金森さんは富永さんから「建立時と寸分たがわぬ色を」と求められたという。塗料のサンプルを何色も作り、何度も塗り直して完成させた。金森さんは「あの色は自分にしか出せないと自負している」。

 修復から20年が経った像は、表面の樹脂コーティングが劣化。長崎市は今回、竹中製作所から事業譲渡を受けた「竹中銅器」に修復を委託し、金森さんは、再び現地で職人らの指導役を担うことになった。

 着色を一からやり直すため、像の周囲には1月28日から足場が組まれている。修復を終えるのは3月末の予定で、シートに囲われ、祈念像が見えなくなる時期もあるという。

 金森さんは20年前、修復作業中も多くの市民が像に手を合わせ、花を捧げていたことを覚えているという。「建立した時と変わらない姿に戻すことが職人としての責任」と話す。

 高い技術を誇る高岡の銅器産業だが、近年は職人の高齢化と後継者不足が深刻という。竹中銅器の高辻武男・取締役部長は「20年後、30年後にも再び高岡の職人が像の修復を担うためには、業界全体で後継者の育成と技術の継承に努めていく必要がある」と話している。(松原央、田中瞳子)