甲子園を目指す夏の大会の幕が上がった。高校時代は徳島商で活躍し、今年現役を引退した元中日ドラゴンズ投手、川上憲伸さんに高校野球への思いや、球児へのメッセージを聞いた。

 ――高校時代、一番思い出に残っている試合は

 思い出はたくさんあるが、甲子園初戦(2回戦)の久慈商(岩手)戦。

 ――八回まで0―7で負けていた。当時のベンチは

 焦っていたよ。中盤ぐらいから負けはいいんだけど徳島代表として、3点ぐらい取ったらなんとか徳島に帰れるかなと。

 ――でも、八、九回で大逆転。当時1イニングで7点差を追いついたのは大会史上初だった

 ちょうど、試合が終戦記念日で、間に1分間黙禱(もくとう)があった。亡くなった方々のご冥福を祈りながら、奇跡を起こさせて下さいと祈っていた。後で聞いたら選手みんなそうだったらしい。そこからどうやったら立ち直せるかを考えることができた。それまでやることなすこと全てが焦り気味だったから。周りが見えるようになったというか。

 ――相当盛り上がったでしょう

 盛り上がりすぎて、何がなんだかわからない状態(笑)。八回が終わり、マウンドに向かう時、拍手が球場全体に鳴り響いているのを聞いて、鳥肌がたった。何万人も入る球場でやったことがなかったので、「すごいな」と。

 ――久慈商戦後、智弁和歌山(和歌山)を倒し、春日部共栄(埼玉)に敗れたものの徳島商を33年ぶりのベスト8に導いた

 徳島で当時強かったのは池田か徳島商。当時、全国で1、2位を争う池田高校に憧れていた自分がいた。池田と同じ土俵に立てたというのがうれしかった。

 ――高校3年間を振り返って

 プロに入って「下半身がしっかりしているな」「お前の下半身は一流の下半身だ」と言われた。それは当時の厳しい練習が強引に鍛えてくれていた。自分1人ではできなかった。感謝している。また、徳島市内の西端の国府町から約1時間かけて、自転車で通ったことで足腰が鍛えられた。あと、夜遅くに帰って、母親がご飯を作って、汚れたユニホームを朝には乾くように洗ってくれて、そういう思いをうけて、「甲子園に行かなきゃ」「恩返ししなきゃ」という気持ちが常にあった。家族が喜ぶ顔がみたい。だから自分が夢を追って楽しめた。

 ――念願の甲子園出場。家族は喜んでくれましたか

 ベスト8まで行って、学校に帰って来た時、友達や家族、先生たちが「よくやった」と正門で出迎えてくれて。それは試合とは別に思い出に残っている。

 ――高校時代からプロは意識していましたか

 それが不思議なことに、小中学生の時はプロが夢だったが、高校に入ると甲子園が一番の夢。その後はなくて。高校3年間は甲子園が最終地点だった。

 ――球児にメッセージを 

 本当に、高校野球は青春。自分にとっても「一番チームで戦った」という思い出は、高校時代。1回戦で負けても決勝で負けても、涙の重みは変わらない。その時は悲しいが、一緒になって戦ったという熱い思いは一生の思い出。これは高校生にしかない。(聞き手・佐藤祐生)

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 かわかみ・けんしん 1975年6月22日生まれ。徳島市国府町出身。徳島商、明治大を経て98年にドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。1年目に14勝を挙げ、新人王に輝いた。04年には最優秀選手や沢村賞などを獲得し、リーグ優勝に貢献した。09年米大リーグのブレーブスへ移籍し、12年に中日に復帰。今年3月に現役を引退し、野球解説者として活躍中。