■歴代担当記者がみたボルト

 8月4日にロンドンで開幕する世界選手権でラストランを迎える世界最速の男、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)。過去の世界選手権で獲得した金メダルは11個と、圧倒的な強さを誇ってきたが、11年韓国・大邱大会の男子100メートル決勝だけは、本人も予想外の結末が待っていた。

 100メートルを9秒58、200メートルは19秒19という鮮烈な世界新をマークしたベルリン世界選手権から、2年が過ぎていた。

 2011年夏。「もう一度勝って、伝説になりたいんだ」。まだ世界選手権で連覇がなかった25歳のボルトが乗り込んだ韓国・大邱。だがこの地で衝撃的なシーンが待っていた。

 男子100メートル決勝で、彼のスタートは早すぎた。フライングを犯すと一発で失格になるルールが適用された初めての世界選手権で、その餌食になった。ユニホームを脱ぎ捨て、手で顔を覆って天を仰ぎ、ゆっくりとトラックを去る姿は小さく見えた。記者たちの前に姿を現すことはなかった。

 その6日後、200メートルでは勝つには勝った。ただし、記録は19秒40と彼にしては物足りなかった。

 私は、19秒80で3位に入った21歳のクリストフ・ルメートル(仏)に話を聞こうと、取材エリアで待ち構えていた。白人選手として初めて100メートル10秒の壁を破って伸び盛りだったルメートルに、「ボルトとの差を翌年のロンドン五輪までにどこまで詰められると思うか?」という質問をどうしてもぶつけたかった。

 ルメートルのフランス語なまりがきつい英語に苦闘しながらも1対1で話を聞いていると、そこに、ボルトが笑顔で寄ってきた。そして、ルメートルと私の肩に手を置き、「彼はよく走ったよ。僕のライバルになれるね」とおどけたのだ。

 100メートルの失敗を200メートルで取り返した安堵(あんど)感が大きかったのかもしれない。だが私はそれ以上に、ボルトの細やかな気配りを感じた。有望な年下のスプリンターに対する気配りであり、陸上を取材する記者に対してのサービスも旺盛だ。

 続けて勝つことに価値を置き、「レジェンド(伝説)」という言葉を好んで使うボルトにとって、大邱の200メートルは世界選手権で初めて連覇を果たしたレースになった。そしてその後、彼は400メートルリレーも合わせた3種目で、世界選手権でも五輪でも一度も負けていない。(平井隆介)