(2009年決勝 中京大中京10―9日本文理 その2)

 両校は、その年の春の選抜大会の敗戦を糧にした。

 中京大中京は準々決勝の報徳学園(兵庫)戦。1点リードの九回2死二、三塁で堂林はカウント2―2から、痛恨の死球を当ててしまう。そして、次打者に逆転打を浴びた。

 「あと一球」から逃した勝利は、「一球」に対する執着心を強く植え付けた。何事も、最後までやり遂げなければならないと。

 試合後に「優勝できた」と肩を落とす選手たちを、大藤敏行監督は宿舎でしかり飛ばす。勝ち進んでいれば準決勝は清峰(長崎)の今村猛(プロ野球広島)、決勝は花巻東(岩手)の菊池雄星(同西武)が相手だった。監督が2人の名を挙げると一同は言葉を失う。「でも、いまから夏は優勝すると言えば、みんなが応援してくれるぞ」。一斉に顔が上がった。

 日本一。明確な目標に向け、打撃マシンを160キロに設定した。菊池ら全国の本格派投手対策だった。主砲でもある堂林は「人間でこんな球を投げるのかと思った。でも、徐々に慣れてフェアゾーンに飛んだ」。

 守備練習も、一段階上のレベルに上がる。

 ゴロを打たせる投球が持ち味の堂林の直球は、変化する特徴があった。「あれが彼の直球。手首がすごく柔らかく、思い切り投げても少しひねるとギュンと沈む」と大藤監督。堂林が打たせるゴロは不規則なバウンドが多かった。選抜後、監督が社会人野球の関係者に話すと、沈む球をこする結果だと言われた。それを機に、監督はトップスピンのノックを増やした。

 「野手からすると嫌な打球。大藤先生のノックは堂林が投げているときの打球に似ていた」と三塁手の河合完治。両手で捕るのは正面への強い打球のみ。ほかは、バウンドが変わる前に素早く前に出て片手で捕ることを監督は心がけさせる。音で球質を判断して欲しいから、ノックにも金属製バットを使い続けた。

 中京大中京の選手は「うちは守備のチーム」と口をそろえる。強打の印象も強いが、往年の「守り勝つ野球」が受け継がれているのは、こういう練習からもうかがえる。

■練習に加わった「一球バッティング」

 方や「うちは打撃のチーム」と胸を張る日本文理は選抜を制した清峰のエース今村に初戦で完封負けを喫したことに、「一球」への執着心を強めた。

 今村から2安打の武石光司は「本気で投げられたときは2三振。走者がいるとギアが上がって、球に追いつけなかった」。これを機に打撃フォームをコンパクトにする。足は上げず、すり足に。バットは指2本分ほど短く持った。4番の吉田雅俊も「今のままではダメだとみんなが感じた。あの試合がなければ、夏の甲子園決勝というエンディングはなかったと思う」。

 近距離からの速球打ちに続いて、練習に「一球バッティング」が加わった。フルカウントを想定し、甘い球は確実に仕留める。見極めて四球でもいい。一球に集中し、次々と打者が入れ替わった。夏の決勝の反撃はこの練習の成果だろう。

 ともに春夏連続で出場した甲子園。日本文理は初戦で寒川(香川)に4―3で競り勝つ。5回目の夏で得た初勝利に、大井監督も選手たちも「ほっとした」。

 勢いづくと3回戦で20安打、準々決勝も19安打し、大会史上初の2試合連続毎回安打を記録。新潟勢で初めて進んだ準決勝の県岐阜商戦は伊藤が11奪三振の力投で2―1の接戦を制し、決勝に駆け上がった。

 中京大中京も準決勝で目標にしていた花巻東の菊池から伊藤隆比古が本塁打を放つなど、計4本塁打。43年ぶりの決勝へ進んだ。

■「甲子園で戦えたらいいな」が決勝で実現

 選抜大会の開会式で両校は隣同士で立っていた。入場行進曲、GReeeeNの「キセキ」の演奏に合わせて2校が続けて甲子園の土を踏む。前日のリハーサル時に携帯電話の連絡先を交換した選手もいて、それを機に両エースも連絡を取り合うようになっていた。7月、一足先に新潟代表となった日本文理の伊藤は堂林が愛知大会を制すとメッセージを送る。「甲子園で戦えたらいいな」。それが実現したのが、決勝だ。

 2009年8月24日。両チームがグラウンドを使える決勝前の練習の光景を、堂林は忘れられない。キャッチボールをしながら徐々に埋まっていく観客席を見上げる。右肩は悲鳴をあげていた。「痛くて距離を広げられなかった。でも、気持ちが高ぶっていくのを感じていた」

 堂林は選抜後の4月に左ひざの靱帯(じんたい)を痛め、本格的に復帰したのは6月下旬。投げ込みも走り込みもままならないまま、夏の戦いに突入していた。22日の準々決勝から、3連投となるマウンドへ。「ストライク入ってくれよ」と願った。

 午後1時1分に試合開始。一回表を無失点に抑えた堂林は、その裏に先制の2点本塁打を放つ。日本文理も負けていない。二回に4番吉田と5番高橋義人の連続二塁打で1点。三回は2年生の高橋隼之介が左越えに同点本塁打を放った。

 試合は2―2で迎えた六回に動く。無死一、二塁のピンチで中京大中京は2年生右腕の森本隼平を投入し、堂林は右翼の守備へ。森本が無失点で切り抜けると、直後に堂林が2死満塁から2点適時打。さらに1点を加えたあと、柴田悠介が3点二塁打。あっという間に6点差をつけた。

 八回表の守備を終えると堂林は再登板を志願した。逆転負けを喫した、選抜の雪辱も込めて。一度は却下した大藤監督は、少し間を置いてからエースに言う。「投げてこい」

 春に左ひざを痛めた堂林は自ら医者に頼んで1週間ほどでギプスを外し、春の大会は松葉杖をつきながらベンチで仲間を鼓舞した。大藤監督は「全治3カ月と言われていた。ギプスを外してきたとき、『この夏はお前にかける』って本人に言った。あの場面で投げさせない方が、高校野球らしからぬことだと思った」。

 九回。監督に一礼してからマウンドへ走った堂林は先頭若林を外角低めのスライダーで見逃し三振。中村は遊ゴロに打ち取った。

 頂点まであと1死――。