(8日、高校野球 済美10―4東筑)

 東筑の2年生エース石田旭昇(あきのり)は泣いた。負けた瞬間に泣いて、いったん落ち着いていたが、「3年生と野球をやるのもこれが最後になってしまいましたが」という質問に、再びの涙をこらえきれなかった。「先輩と一緒に校歌を歌いたかったです」。濃い夏が終わった。

 右サイドスローからの多彩な変化球で打たせてとる男が、しょっぱなから荒れた。一回は2四死球と、右打者の背中を通過する暴投で1失点。三回は雨が強くなり始めているのにロージンバッグをポケットに入れ忘れた。先頭打者への死球をきっかけに1失点。

 味方が逆転してくれたあとの五回は、変化球でストライクがとれずに直球頼みになったのを見透かされ、3ランで再びひっくり返された。六回にも直球を左中間スタンドに運ばれる。八回、この夏初めてマウンドを譲った。マウンドへ駆けてきた2番手の升田(3年)は「よう投げた」と言ってくれた。

 被安打10、四死球6で10失点(自責は6)。石田は両目を見開いて試合を振り返った。「非常に情けないです。自分の力が及ばなかった。地に足がついてないというか、自分が自分じゃない感じだった。一発勝負の怖さを知りました」

 「伝説」とも戦った夏だった。石田は昨年の春、野球部の新入生歓迎会でOBから言われた。「東筑はエースが石田やと強い」。過去5回選手権に出ているが、実に3回のエースの名字が石田。その日から「東筑の石田伝説」を嫌でも意識するようになった。

 自分の頭で考え、実践し、成長してきた。あの歓迎会の日からほどなく、「このまま上から投げてても通用しない」と自分からサイドスローに転向した。今年の春からは右打者の内角をより効果的に攻めるため、プレートの左端を踏んで投げるようにした。勝てば勝つほど「石田伝説」がクローズアップされる。そのプレッシャーにも負けず、夏の福岡大会決勝では今春の選抜大会でブレークした福岡大大濠の三浦銀二に投げ勝った。公立校が福岡の夏を制したのは1996年の東筑以来。福岡大会の7試合を1人で投げ抜き、21年ぶりの選手権出場へと導いた。自分の名前の漢字が含まれ、好きな言葉でもある「旭日昇天の勢い」を体現してみせた。

 しかし憧れの甲子園は、彼の前に大きく立ちはだかった。大観衆、暑さ、雨……。すべてが敵だった。まるで対抗できなかった。それでも、三塁側アルプス席からの「石田コール」には励まされた。八回には先輩たちがマウンドに集まってきて、「これで最後かもしれん。思いっきり楽しんで投げろ」と言ってくれた。

 石田伝説について聞かれ、彼は言った。「プレッシャーは大きかったですけど、いい流れで甲子園まで来られてよかったです。でも、先輩の歴史を塗り替えたかった」。東筑の夏の最高成績は1978年の第60回大会の2勝。エースは石田大介さんだった。石田旭昇には、あと1年ある。「1年間踏ん張って心身ともに成長して、強いエースになりたい。そのために、この悔しさを絶対忘れません」。石田伝説をこれで終わらせはしない。(篠原大輔)