【新潟】公式確認から55年が経った新潟水俣病。新潟市のエッセイスト里村洋子さん(74)は、患者たちの体験を明るく書き残し、本にしている。里村さんと新潟水俣病を結びつけたのは、突然かかってきた見知らぬ男からの電話だった。

 「なんであんな人を載せたんだ。さも良い人みたいに書いて。あいつは新潟水俣病のニセ患者なんだ」。ものすごい剣幕でたたみかけ、男は投げつけるように電話を切った。

 約40年前、エッセイストとして地元紙に団地の生活をつづって寄稿していた頃のことだ。出産前後、助産師のおばあさんが訪ねてくれて励まされた――。電話がきたのは、そんな原稿が載った日の夜だった。助産師の写真は載せたが、新潟水俣病のことは一言も書いていない。患者だったことも知らなかった。恐怖が落ち着いて思った。「知らない人に、こんな電話をかけるほどの憎しみ、社会構造って、一体何なんだろう」

 講演会に通い、患者らと交流するようになった。「研究者ではないから『まじめ』には書けない。楽しく読めるようなものを書いて、考えてもらいたい」。2004年、一人の歌好きな患者の半生を聞き書きして本にした。18年、昭和電工の工場がある町で夫婦が営む商店の日常を描いた。どれも、新潟水俣病と生きる人々の姿を明るくつづった。今も、かつて取材した患者の回想録を準備している。

 ただ、語れる当事者はごく少数だ。「(患者と)お風呂に一緒に入る仲になっても『おめさん、(病気のことは)書くなね』って言われる。それくらい話したがらない。半世紀経っても中傷を言われていて、それが切ない」。あの電話の背景に何があるのか、答えは出ない。今も、社会は変わっていないと思っている。(杉山歩)