モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本GT選手権(JGTC)を戦った『ニッサン・シルビア(S13型)』です。

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 かつて、ニッサンが生産していた2.0リッターコンパクトFRスポーツの『シルビア』。そのなかでも特に1980年代後半〜1990年代にかけて誕生したS13、S14、S15型は、今もなおクルマ好きの間で絶大な人気を誇るモデルたちだ。

 このS13〜15型までの『ニッサン・シルビア』は、モータースポーツシーンでも活躍した。特にS14型とS15型は全日本GT選手権(JGTC)のGT300クラスにおいて、チャンピオンを獲得、もしくは王座争いを繰り広げるほど強力なレーシングカーに変貌した。

 そのこともあって、JGTCにおける『ニッサン・シルビア』というとGT300クラスのイメージが強いファンも多いかと思うが、JGTC黎明期にはS13型が最高峰クラスであるGT500(S13型の参戦時点でのクラス呼称はGT1)へ挑んだことがあった。それが今回紹介するマシンである。

 1994年、JGTCは本格的に全5戦のシリーズとしてスタートした。初年度からGTは、現在と同じくGT1(現在のGT500)とGT2(現在のGT300)のふたつのクラスに分けられていた。

 なかでも最高峰クラスのGT1には、グループA規定の全日本ツーリングカー選手権(JTC)の終了に伴って戦う場を失っていた、このシリーズの“主役”といえる『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR32型)』をはじめ、『トヨタ・スープラ(JZA80型)』、『ニッサン・フェアレディZ(Z32型)』といった280psを発揮するスポーツカーたちが日本車勢としてエントリー。

 さらに、外国車では『フェラーリF40』、『ランボルギーニ・カウンタック』、『ポルシェ911ターボ』、グループCカーを転用した『ポルシェ962C』までが参戦した。

 とにかく“なんでもあり”な雰囲気の漂う車種が揃っていた。どの車両に優位性があるのかがわからない、シリーズ自体が手探りな状況だったからこそ、『ニッサン・シルビア(S13型)』もGT1クラスへと挑めたのかもしれない。

 そんな1994年のJGTC GT1クラスに参戦した『ニッサン・シルビア(S13型)』は『CCI あめんぼうシルビア』という車両名の1台だった。

 この『CCI あめんぼうシルビア』は、由良拓也率いるムーンクラフトがエントラントとして走らせたマシンで、基本的には1993年にも数戦行われた全日本GT選手権向けにニスモが製作したN3規定車両の転用だった。

 そのN3規定車をベースにして、エンジンはSR20DET型のままながら、リストリクター径をGT1クラス用に合わせて拡大した(1993年はGT2にあたるクラス2での参戦だった)。これによって最高出力がN3規定仕様時の390psから400psまで向上し、トルクも40kgmから50kgmに増えていた。

 さらにフロントスポイラー、リヤウイングが由良拓也自らデザインしたものに変更されるなど、各所にムーンクラフトオリジナルのモディファイも施されていた。

 この『CCI あめんぼうシルビア』をドライブしたのは服部尚貴と大井貴之のふたり。服部はこの年、このGTのほかにチーム・ルマンから全日本F3000へと参戦していたほか、GTと同じムーンクラフトの走らせる『ジャックス・シビック』で新生・全日本ツーリングカー選手権(JTCC)を戦っていた。

 また、服部は1993年にはJTC ディビジョン3のチャンピオンを同じくムーンクラフトの『ジャックス・シビック』で獲得している。大井はビデオマガジン“ベストモータリング”、“ホットバージョン”の制作スタッフでありながら、N1耐久シリーズで活躍していたドライバーだった。

 そんな服部と大井のドライブする『CCI あめんぼうシルビア』は、1994年の開幕戦富士から戦いをスタート。このレースでは、予選7位からスタートして4位でフィニッシュ。開幕戦をまずまずの順位で終えた……かに思われた。

 その後、第2戦仙台を10位という結果で終えた。服部のみの参戦となった第3戦 富士では開幕戦と第2戦を受けて、最低重量が見直されるという大きな規定変更があった。

 ここでルール上、『CCI あめんぼうシルビア』は車重を100kg軽くできることになり、エンジンフードをカーボン製にするなど、軽量化を実施する。しかし、実際には70kgほどしか軽くならなかったとされる。

 また、このラウンドからトランスミッションも5速から6速に変更された。軽量化よりもこちらのほうが恩恵が大きく、スカイライン勢と対等に走れるほどストレートスピードも伸びた。マシンとしてのポテンシャルはアップしたものの、決勝ではそのトランスミッションが壊れてしまい、リタイアに終わってしまった。

 第4戦SUGO、最終戦MINEでは改良の効果が結果に結びつくことが期待されたが、それぞれ8位とリタイアというリザルトとなり、結局、開幕戦の順位が最高位のままシーズンが終了する。

 そして、『CCI あめんぼうシルビア』によるGT1へのチャレンジは、1994年限りで終了。1995年にも『ニッサン・シルビア(S13型)』自体はGT1クラスに参戦したが、徐々にGT2、GT300へと戦うフィールドを移していったのだった。