7月15〜17日、三重県の鈴鹿サーキットで開催されたファナテック・GTワールドチャレンジ・アジア・パワード・バイ・AWS第2ラウンド。このレースから、GTワールドチャレンジ・アジアは『ジャパンカップ』というシリーズ内でのカップ戦がスタートしたが、その開幕となる鈴鹿に、SROモータースポーツ・グループ代表のステファン・ラテルが来日した。2019年以来ひさびさに日本のサーキットに姿をみせたが、GTワールドチャレンジ・アジアの現状、そしてカスタマーレーシングカーであるGT3/GT4への日本メーカーの関与、また鈴鹿10時間の復活などを聞いた。

■「非常に大変だった」コロナ禍での2年間
──おそらく2019年以来の日本だと思いますが、ひさびさの来日の感想を教えてください。
ステファン・ラテル(以下SR):私はご存知のとおり、ずいぶん前からしばしば日本に来ているんだ。1994年に、初めて鈴鹿でドライバーとしてレースを戦い、鈴鹿500km(注:94年鈴鹿耐久シリーズ第2戦インターナショナル鈴鹿500km。ベンチュリ400GTRで参戦し総合6位・GT2クラス2位)以来たくさんのレースにやってきた。いま、スパ・フランコルシャンと鈴鹿サーキットという、世界でも最も重要なコースの関係ができあがっているのは、我々にとっても素晴らしいことだと思う。

──GTワールドチャレンジ・アジアはこの2年間開催できませんでした。多くの苦労があったと思いますが振り返っていただければ。
SR:この新型コロナウイルス感染拡大にともなうパンデミックの2年間、SROモータースポーツ・グループはヨーロッパとアメリカでレースを行い、それはうまくいっていた。また日本のスーパーGTとのコラボレーションも継続していたし、バーチャルシリーズを立ち上げ、うまくいっていた2年間だったと思う。しかし、アジアについてだけは完全にストップしてしまっていた。

 SROモータースポーツ・グループ・アジアを担当してくれているベンジャミン(フラナソビッキ)は香港をベースにして活動してきたが、サーキット、オーガナイザーとこの2年間、交渉に次ぐ交渉を続けて来た。カレンダーを作っては見直し、フラストレーションが溜まる厳しい状況だったと思う。また彼は香港をベースにしていたので、3週間隔離されたりと、非常に大変な2年間だったと思う。

 ファナテック・GTワールドチャレンジ・アジア、マカオで行われていたFIA GTワールドカップも交渉を行ってはキャンセルとなっており、非常に大変だったと思うし、大変な2年間だった。しかしこうして今回、ここに戻ってくることができた。その点は満足している。

──今季アジアでは、ジャパンカップという取り組みをスタートさせ、第2ラウンドの鈴鹿からは多くのエントリーがありました。このアイデアはどこから来ているのでしょうか。
SR:私のアイデアではなく、ベンジャミンが考えついてくれたアイデアなんだ。彼はアジア担当の責任者だが、アジアのどこにGTカー、そしてチームがあるのかを考えた。香港、タイ、マレーシア、インドネシア、そして日本にはある。ただ、中国はコロナ禍のなかで国が“閉じている”状況だ。日本は比較的オープンだったので、そこでまずマレーシアで開幕し、日本で4戦をやり、最後にインドネシアを戦うスケジュールを組んだが、日本で4戦戦うのであれば、『ジャパンカップ』というものを設定しようというものだった。ベンジャミンが考えてくれたアイデアだ。

──今回は25台が参戦し、ジャパンカップも盛り上がっていますが、手ごたえはありますか?
SR:すごく良いと感じている点としては、GT4がSROにとって非常に重要なものだと思っていて、今回も9台がエントリーしてくれている。以前マレーシアでも35台がエントリーしたことがあったが、GT4はそのとき3台しかいなかった。ただこうしてGT4が増え、バラエティが増えたことはジャパンカップの多様性を含め、成功したと思っている。

──今回のレースから、ピレリの新しいDHFタイヤが使用されると聞いていますが、どんなものなのでしょうか。
SR:現在、GT3もGT4も車両が改善され、どんどんダウンフォースが増えている。つまり、タイヤに対してもどんどん負担が増えているということだ。ピレリは2〜3年ごとに進化版のタイヤをリリースしているが、その最新のものがDHFタイヤなんだ。またこのタイヤは環境に対応した材料を使っており、新たな基準にもマッチしている。

■鈴鹿10時間復活の状況は「非常に難しい」
──ファンの多くが気にしているのが、鈴鹿10時間の復活です。今回は鈴鹿での開催ですが、その件について話したりしたのでしょうか。
SR:もちろん戻ってきたいと思っている。しかし現在は非常に難しい状況だ。例えば、以前であればインターコンチネンタルGTチャレンジ(IGTC)については、参加しているメーカーが減ってしまっている。また、移動に関する費用が高騰していることも理由のひとつだ。例えば、スパ24時間の後、鈴鹿までクルマを持ってくるとしよう。時間を考えると飛行機しか手段がないが、現在信じられないレベルで費用が高くなっている。その場合船便で持ってくる必要があるが、時間がかかりすぎてしまう。

 一方で現在、カーボンニュートラルの問題も生まれている。メーカーの参加数、また全体の参加台数が増えてから、こちらとしてもカレンダーを作り直してIGTCをやりたいと思っている。もちろん鈴鹿とも話をしているが、現在の状況は非常に難しい。

 ちなみに、もし鈴鹿にもう一度戻ってくる時には、現在ヨーロッパで走っているバレンティーノ・ロッシを連れて戻ってきたいね(笑)。日本のファンはすごく喜んでくれるだろう。あくまで個人的な期待だがね。

──ヨーロッパではやはりロッシの人気は凄まじいでしょうか?
SR:ものすごいよ。何千人、何万人のファンをひとりで呼んでくる人物だ。

──今年1月には、東京オートサロンでトヨタが新しいGT3カーを作ると発表しました。また、GT4とは言っていませんが、ニッサンが近いスピードがあるZをモータースポーツでの活用の研究として開発しています。GT3/GT4について、日本メーカーの動きをどう感じていらっしゃいますか?
SR:まず言いたいのは、日本国外での日本メーカーのGT3/GT4の活動としては、レクサス、ニッサン、ホンダといったメーカーの車両が走っているが、ヨーロッパのメーカーはGT3/GT4に対し、メルセデスもフェラーリもランボルギーニもポルシェもアウディもBMWも、長期的なビジョンに立ち、長いスパンで参加してくれている。

 しかし日本のメーカーは少し参加しては、すぐ止めてしまう。こればかりなので、正直理解するのが難しいところがあるね(苦笑)。もちろんトヨタがGT3カテゴリーに参入するのであれば大歓迎だが、できることならば長い計画で取り組んでもらいたいと思っている。また、トヨタで言えばGT4でGRスープラが導入されたが、カスタマーレーシングカーとして大成功だと思っている。使用しているチームがたくさんあるからね。このように取り組んでもらいたいと思っているよ。ただトヨタについて言えば、どのクルマでGT3をやるのかまだ見えてこないね(笑)。これは今後の情勢を見ていくしかないだろう。

 また、もしニッサンがZでGT4カテゴリーに戻ってくるのであれば、それは素晴らしいアイデアだと思うし、もちろん大歓迎だ。GT4はGT3よりも小さなクルマが合っており、アルピーヌA110しかり、ポルシェ・ケイマンも同様で、Zも合っていると思う。それにニッサンはGT4カテゴリーが生まれたとき、370Zで取り組んでいた。我々としてはZがGT4に出るのであれば、“戻ってきてくれる”という捉え方だ。

──現在日本でGT3/GT4を使っているスーパーGT、スーパー耐久とは連絡をとっていらっしゃいますか?
SR:もちろんスーパーGTとも話をしている。今季、GTワールドチャレンジ・アジアでジャパンカップを開催するにあたり、坂東サン(GTアソシエイション坂東正明代表)にも同意をもらっている。スーパーGTと対抗するつもりはないし、GTレースが広がっていけば、すべての人の利益になるはずだからね。当然、GT300のバランス・オブ・パフォーマンスは我々のものを使っているので、常にコミュニケーションはとっている。

 スーパー耐久については、自分自身は連絡をとっていないが、ベンジャミンが連絡しているはずだ。スーパー耐久はこのシリーズとも、スーパーGTともまったくスタイルが違うからね。

──私もそうですが、日本のファンのなかにもGTワールドチャレンジ・アジアが復活することを喜んでいるファンがたくさんいます。ファンへ何かメッセージをお願いします。
SR:鈴鹿、そして富士、SUGO、岡山と日本のファンの皆さんがサーキットに来てくれるならば、とてもうれしく思う。もちろん日本でもGT3/GT4は走っているが、GTワールドチャレンジ・アジアは今までの日本にはなかったスタイルのレースだ。GTカーのスプリントレースは日本にはないからね。

 もちろん我々はスーパーGTの大成功を知っているし、これと競合するものではない。しかしこのGTワールドチャレンジ・アジアにたくさんのチームが参戦し、それを観戦してもらうことで、日本におけるGTレースのマーケットを広げることになる。これはIMSAでも同様で、台数が増えて参加する人が増えれば、みんなの利益になると思っている。たくさんの人々がGTワールドチャレンジ・アジアを観てくれればと願っているよ。

ステファン・ラテル Stephane Ratel
SROモータースポーツのCEO&ファウンダー。フランス出身。レーシングドライバーとして活動するかたわら、1994年にベンチュリのワンメイクレースを立ち上げ、95年からはBPR GTシリーズの共同創設者に。以降ヨーロッパを中心にFIA GTなどのプロモーターを務めた。2006年にGT3コンセプトを築き上げ、その規定は世界的にヒット。いまやSROモータースポーツ・グループは世界各国のGTレースのプロモーターを務めている。これまではずっと長髪がトレードマークだったが、2022年の来日直前に散髪。さっぱりとして来日した。