モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本GT選手権(JGTC)を戦った『BLITZ SUPRA』です。

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 全日本GT選手権(JGTC)〜スーパーGTでのJZA80型時代から、現在のGRスープラに至るまで、途中長いレクサス時代を挟みながらもGTで計15シーズン戦い続けているトヨタのフラッグシップスポーツカー、スープラ。

 そんなスープラは、JGTCが本格的にスタートした1994年の第1戦より参戦しているのだが、この始まりの1戦に挑んだスープラは、トヨタワークスの車両ではなかった。

 その車両の名は『BLITZ SUPRA』。チューニングパーツメーカーであるブリッツのレース部門、ブリッツレーシングが生み出した1台だったのである(1994年の開幕戦に限ってはシフトポイントの『グレコレーシング スープラ』もエントリーしていたのだが、ここではブリッツの車両を紹介させていただく)。

 ブリッツは、そもそもスポーツランドSUGOで開催された1993年のN1耐久シリーズ最終戦に当時、市販車が発売された直後だったJZA80型のスープラを持ち込んでいた。そしてブリッツはその翌年、1994年に向けてこのスープラを使ってJGTCへの参戦を決断する。

 GTアソシエイションより台数確保のために参戦を打診されたことや、ブリッツとしてN1よりも改造範囲の広い上位クラスであるGTで技術を向上させること、そしてパーツなどの支援を受けていたTRDの意向もあり、GTへの挑戦が決まったのだった。

 だが開幕戦時はブレーキのスペックアップやホイール径の拡大、エアロパーツの装着などのモディファイはされていたものの、N1+αといえるようなスペックの車両での参戦であった。

 そのためトップ争いを展開するには至らず、名手福山英朗をもってしても仙台ハイランドで行われた第2戦での7位が最上位という状況であった。そこでブリッツは第3、4戦を欠場。スープラのモディファイに取り掛かった。

 エンジンは、市販車譲りの直列6気筒ターボエンジンの2JZ-GTEから直列4気筒ターボの3S-GTへと換装。これは、もともとアメリカのIMSAシリーズで活用され、第4戦スポーツランドSUGOより登場したTRD製の“ワークススープラ”にも搭載されていたものであった。

 ただこの3S-GTをTRDから供給されたまま使うのではなく、タービンをKKK製に交換、ECUのソフトをブリッツで独自開発したものへと変更している。

 さらにミッションオイルクーラーの追加や大型インタークーラーも装着。さらにミッションもXトラック製のシーケンシャルとなったほか、エアロもモディファイされ、MINEサーキットで開催された最終戦へと挑んだ。

 この最終戦でマシンのステアリングを握ったのはトム・クリステンセン。のちにル・マン24時間レースを9回も制することになるドライバーである。1994年は全日本F3000や全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に参戦し、1993年のN1耐久でブリッツのスープラを本山哲とともにドライブした経験を持つなど、当時は日本を中心に活動していたドライバーだった。

 クリステンセンがドライブし、大きくモディファイが施されたスープラだったが、やはりトップグループとの差は大きく苦戦。やはり量産車ベースのN1耐久仕様が元では純レーシングマシンたちには敵わず。15位で完走するのが精一杯だった。

 そして翌年以降、途中参戦のTRD製車両を中心にスープラは参戦車両が拡大していく。BLITZ SUPRAは1994年限りでその役目を終えることになった。確かに目立った成績は残せなかったが、今に続く貴重な第一歩を踏み出したのは、このブリッツが生み出した1台だったのである。