モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、グループCカーの『プジョー905』です。

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 2023年現在、ハイパーカーの『9X8』を開発し、FIA世界耐久選手権(WEC)に参戦しているプジョー。そんなプジョーが今からおよそ33年前、初めて本格的に開発したスポーツプロトタイプカーが今回紹介するグループCカーの『プジョー905』だった。

 プジョーのグループCカー、『プジョー905』が実戦へと投入されたのは1990年のことであった。『プジョー905』は、1991年より規定が本格的に施行された3.5リッターNAエンジンを搭載する新グループCカーとして生み出されたマシンだったが、1990年の世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に先行参戦することが認められ、同年WSPCの終盤2戦を戦った。

 デビュー戦の1990年WSPC第8戦モントリオールラウンドに姿を現した『プジョー905』は、のちに1990年代に隆盛したGT1時代には、トヨタ陣営でマシン製作の指揮をとったアンドレ・デ・コルタンツが中心となって開発され、それまでのターボや大排気量NAエンジンを搭載した旧グループCカーとは一線を画す車両として作られていた。

 車両のモノコックは、剛性を高めるためにシェルがサイドウインドウの下部まで持ち上げられて、乗降用のドアが廃されていた。そのためドライバーはサイドウインドウから乗り降りをする構造となっていて、まるでフォーミュラカーのような作りをしていた。

 さらに、『プジョー905』は空気をマシンのノーズ部から取り込んだ空気を内部を通してラジエターへと当てるレイアウトにしていたため、ボディの上面にラジエターインテークが存在せず、非常にスムーズなラインを構成していた。

 そんな新規定に合わせて、より進化したメカニズムに市販車イメージを取り入れたコンセプトカー的なデザインも相まって、『プジョー905』の初期モデルは、その当時の近未来的な雰囲気を醸し出すグループCカーだったのだ。

 試験的に参戦した1990年WSPCモントリオール、メキシコ戦をそれぞれリタイア、13位という結果で終えた『プジョー905』は、シーズンオフににほぼ見た目をそのままにマシンをエボ1へと進化させ、1991年の世界スポーツカー選手権(SWC)へと挑み、本格的な戦いをスタートさせた。

 しかし、この年から登場したジャガーXJR-14の存在によって、前年からテスト参戦していて新規定グループCカーにおいて先駆けだったはずのプジョーは、一気に劣勢に立たされることになる。

 開幕戦の鈴鹿の予選からXJR-14は驚異的な速さを見せ、決勝レースこそXJR-14のトラブルもあり、『プジョー905』が勝利したものの、第2戦モンツァと第3戦シルバーストンではXJR-14が連勝を飾ったのだ。

 この戦況を見てプジョーは、第4戦ル・マン24時間レースの後に設けられたインターバルを利用して、『プジョー905』に大改造を施した(ちなみにこの年のル・マンは、プジョーは905で参戦したものの、あっという間にリタイア。ジャガーや同じく新規定車でシリーズ参戦していたメルセデスは、旧規定の車両を持ち込んでいたため、同条件での直接対決とはならなかった)。

 まず、ラジエターへのフレッシュエアの取り入れをボディ上面にインテークを設けて行うオーソドックスなものにしたほか、フロントのオーバーハングを縮めてフロントウイングを装着。さらにリヤウイングも2段式の大型なものとするなど、初期の『プジョー905』を否定するかのごとく、大きくマシンデザインを改めた。

 こうして大きくモディファイされ、エボ1“Bis”となった『プジョー905』は、1991年のSWC第5戦ニュルブルクリンクに登場した。このラウンドでこそ結果は出なかったが、第6戦マニクールと第7戦メキシコではそれぞれ1-2フィニッシュを達成。最終的にシリーズタイトルを獲得することはできなかったが、大改造の成果は確かに示した。

 翌1992年はSWCからジャガーとメルセデスが撤退。実質的なライバルは前年最終戦のオートポリスから参戦をスタートしたトヨタのみという状況でシーズンがスタートした。

 シリーズは開幕戦モンツァこそトヨタに勝利を奪われてしまったものの、第2戦シルバーストン以降は第3戦のル・マン24時間レース制覇も含めてすべてのレースを制し、圧勝でシリーズチャンピオンに輝いた。

 また1992年にはシーズン最終戦にエボ2というマシンも試験的に投入している。モノコックが新設計となったこのエボ2は、特にフロントセクションが特徴的だった。左右フロントタイヤとノーズの間にグラウンドエフェクトを利用するべく、空気を積極的に取り入れる大きなスペースが設けられ、フェンダー付きフォーミュラカーとでもいうべきスタイリングを有するマシンだった。

 このエボ2は、第4戦ドニントンで展示され、最終戦マニクールの予選のみを走った実験的な車両だったが、醜いと評されたその見た目も含め話題を呼んだ1台でもあった。

 1993年になるとSWCは消滅し、シリーズで新規定グループCカーが戦える舞台もなくなってしまったのだが、ル・マン24時間レースへと参戦。ここで前年のライバルだったトヨタとこの年最初にして最後の直接対決を繰り広げた。

 この1993年のル・マンに向け、プジョーは905エボ1 Bisにエボ2で試された横置き6速セミオートマチックトランスミッションを搭載するなどしてモディファイを施し、エボ1Cとした改良版を用意して、戦いへと臨んだ。その結果、『プジョー905』は表彰台を独占。トヨタを圧倒して新規定グループCカーによる最後の戦いを締め括った。

 そんな歴史がおよそ30年前にあったことを知ると(これは以前、本連載のTS010の回でも記したが)現在、かつてのプジョーのようにハイパーカーでは先駆者であるトヨタがシリーズをリードして、かつてのトヨタのように挑戦者としてあとから登場したプジョーが、今のところ劣勢を強いられている現状も、また違った見方ができるのではないだろうか。