松下信治は、夢を諦めていなかった。

 2020年のシーズン途中にFIA F2のシートを失った松下が、それ以降、日本にベースを移して全日本スーパーフォーミュラ選手権やスーパーGT・GT500クラスに参戦していることは皆さんもご存知のとおり。そんな活動のスタイルも足かけ4年目を迎え、「ああ、彼はこのまま日本に根を張るのかな」と勝手に推測していたのだが、いまもモータースポーツの国際舞台で戦う夢を諦めていないという話を人づてに聞いたので、改めて一対一のインタビューを申し込んでみた。

「これまでずっと、僕はF1を戦うためにレースをしてきました」 。松下は、そう語り始めた。

■「僕も、もう29歳です」

「だから、たとえ100人中99人、いや100人中100人に『F1は無理でしょ』と言われても、自分としては『F1に行きたい』と言い続けることが大事だし、それが格好いいことだと信じています」

 松下は「格好いい」という言葉を使ったが、それは彼自身の覚悟であり、プライドであり、生き方であると私は受け止めた。

「日本に素晴らしいドライバーがたくさんいることはよく分かっていますし、スーパーフォーミュラもスーパーGTも素晴らしいレースだと思います。でも、ファンの多さとか、世界的な注目度でいえば、やっぱりF1ですし、それはフォーミュラEでもWECでもインディカーでも同じこと。きっと、僕は他国籍のドライバーと、いままで見たこともないようなサーキットを巡りながら戦うことが好きなんだと思います」

 ホンダの育成ドライバーとしてGP2とF2を計3シーズン戦っても結果を残せず、2018年にはホンダの意向で一旦は帰国することになった松下は、それでもF1を諦めきれず、ホンダの担当者のところに何度も出向いて「(F2に)もう1度乗らせてください!」「ヨーロッパに行かせてください」と頼み続けた。

 その結果、2019年にはホンダのサポートでF2に復帰するという異例の展開をみたが、ここでもスーパーライセンス取得に必要なポイントを獲得できず、翌年はホンダの支援を受けることなく、自分自身でスポンサーを集めてF2に挑戦。しかし、シーズン途中にクラッシュを喫し、資金面で行き詰まって帰国の途に就いた。

「2020年にヨーロッパに行くときは、すべてを捨てる覚悟だったので、日本に帰ってきてもレースはできないだろうと思っていました。ところが、コロナ渦の影響で外国人ドライバーが来日できなくなったり、誰かが欠場したという話が出てきて、すぐにまたスーパーフォーミュラに出場できることになったんです。しかも、いきなり表彰台に乗ることができたので、2021年も参戦しないかという話になり、同じようにしてスーパーGTにも乗れることになりました」

 それでも松下は海外レースに参戦する夢を諦めずに抱いている。ここまで海外にこだわる理由は、いったいどこにあるのか?

「食べ物でも景色でもファッションでも、なんでもそうですが、国によって全然違いますよね、海外って。だから、新しい土地に行くたびに『ああ、こういう世界があるんだ』という発見がある。サーキットにしても、自分がまるで知らなかったコースで戦ってみて『あ、オレってこういうコースが得意なんじゃん』って気づくことがある。僕の場合は、(2016年GP2のレース2で優勝した)モナコがまさにそれでした」

 そうした夢を叶えたいから、松下は「F1に行きたい」と言い続けてきた。

「『そんなの無理』とか、『そんなの格好悪い』という理由で、夢を語るのをやめたくないんです。それに、2020年のFIA F2に参戦したときにパーソナルスポンサーとして応援してくださった企業の方々からも『夢は諦めないで欲しい』と言っていただいています。僕自身、夢は人生でいちばん大切なことだと思っていますし、どんなに難しいことでも、自分が諦めなければ、最後にどうなるかは分からないと思っています。そのスタンスは、いまだに変わっていません」

 ただし、F1に挑戦することは年齢的な面でさすがに難しくなってきたと捉えているようだ。

「僕も、もう29歳です。F1に初参戦する年齢って20歳とか21歳ですよね。その意味でいえば、いま、F1チームがターゲットとして見据えているのは、現在F2で頑張っているドライバーだと思っています。それに、ホンダの育成ドライバーでなくなった僕が、F1参戦に必要な資金を捻出するのも難しい。とはいえ、ケビン・マグネッセンとか、ニコ・ヒュルケンベルグとか、ある程度、年齢がいってもF1で活躍しているドライバーはいます。フェルナンド・アロンソもそうですし……。だから、自分も年齢的に活躍できないとは思っていないし、自分の野望を語るのは自由だし、そもそも可能性がゼロ%だとも思っていません」

■「偉大な先輩」佐藤琢磨の存在と、インディカーとの“意外な縁”

 そんな松下が、いま、より現実的なステージとして見据えているのがインディカー・シリーズだという。

「なぜかというと、佐藤琢磨さんという偉大な先輩がいるからです」

 実は松下、琢磨の活躍がF1ドライバーになろうとするきっかけのひとつだったという。

「琢磨さんも46歳です。それでも、今年はチップ・ガナッシから声がかかるほど、その実力が認められている。それも世界という大舞台で。僕にとっては、本当に憧れです」

 今年は松下とインディカー・シリーズをつなぐ“意外な縁”にも恵まれたそうだ。

「スーパーフォーミュラのチームメイトであるラウル・ハイマンのエンジニアが、実はチーム・ペンスキーの人で、インディカーの経験も豊富だそうです。それで、いまそのエンジニアにインディカーのセッティングについて、いろいろと教えてもらっています」

 いずれにせよ、本気でインディカー・シリーズを目指すなら『百聞は一見にしかず』を実践するしかない。「はい、そのつもりで、近々、インディカー・シリーズを視察したいと思っています」 。なんと、話はそこまで具体化しているのか!

 もっとも、インディカー・シリーズ参戦の道を切り開くためにも是非やっておかなければならないのが、国内シリーズで戦績を残すことだと松下は考えている。

「GP2に行かせていただいたのは、全日本F3チャンピオンになったから。だから、まずはスーパーフォーミュラかスーパーGTでしっかりとした成績を残して『アイツがインディカーに行きたいというなら、しょうがない』という状況を作りたいと思っています」

 将来の夢をかなえるためにも、松下の一層の奮起を期待したいところだ。