宮田莉朋直伝のマル秘テクで3位表彰台獲得の木村武史「佐藤社長と抱き合ったのは一生の思い出」
今回のWEC富士は、ケッセル・レーシングにとって初のサーキットであり、したがって木村にとってフェラーリ488のGTEマシンで富士を走るということも今回が初めての機会となっていた。そのなかで、この週末はFP1でクラス10番手、FP2ではクラス12番手とスロースタートの模様。
しかし、ブロンズドライバーの木村にとっては、土曜日の公式予選出走という大仕事が待っている。このままでは苦戦を強いられるのではと勘繰ったが、FP3では5番手とタイムアップ、公式予選でも5番手タイムを記録し見事フェラーリ勢トップの座を獲得してみせた。
その木村に、そのタイムアップの真相を聞くと、そこには今回同チームからスポット参戦を果たした宮田莉朋から伝えられたテクニックの存在を明かしてくれた。
「宮田選手の独特の乗り方があるんです。それがエンジニアも驚くような、ファクトリードライバーよりも速い走らせ方で、特に13コーナーからパナソニックコーナーまでを綺麗に荷重をかけていく乗り方なんです」
「それを実践したら、実際に速いんですよ。私は、これまでセクター1と2が得意だったのですが、今回は逆にセクター3の方が速いくらいになりました」と、速さの秘密を語る木村。
実際に予選セッションの公式映像を見返してみると、セクター3のを上っていく他のマシンの動きは、アクセルやステアリング操作の際に生まれるピッチやロールの動きが分かりやすく、トレースするラインも棘の立つように鋭角に切り込んでいくマシン達が多い。
一方で木村の走行を見てみると、他のドライバーらに比べでペダル操作によるピッチやステアリング操作によるロールが滑らかに見える。またライン取りについても、マシンを余計に振り回さないようにトレースしている印象だ。
こうして、二転三転するコンディションにも惑わされず、宮田莉朋のアドバイスもすぐさまものにして決勝レースまでの走行を重ねていった木村。
決勝レースでは「フェラーリは結構タイヤが保つんじゃないかな」との予想も口にしていた木村だが、その予想は見事に的中。57号車フェラーリは、スティント後半のペースダウンに苦しむライバルらをコース上でオーバーテイクして2番手でチェッカーフラッグを受けた。
木村自身は今回、スタートドライバーを務め、スタートで起きたルイス・ペレス・コンパンクのドライブする83号車フェラーリ(リシャール・ミル・AFコルセ)のスピンも間一髪のところで避けるファインプレーならぬファインドライブも見せた。
そして、4番手のポジションでペースが落ち着いてきたタイミングには、後続のポルシェやアストンマーティン勢を1秒以内の僅差に従えて周回を重ねたが、寄せ付けないペースコントールでポジションを守りぬく力走を披露。
決勝後、トロフィーを抱えてチームのピットに戻ってきた話を聞くと「コンパンク選手が飛び出してくるのは、想定していたんです、本当に。なので、しっかり大きく避けていてよかったです」と自身のスティントを振り返る。
「私は、ハードタイヤ3本と右前だけミディアムタイヤを履いて走ったのですが、ペース自体も悪くなかったですし、第2スティントは40秒台を連発できて嬉しかった」
「今回の表彰台の決め手は、トヨタさんが宮田君をウチで乗せてくれたことです。レース後に佐藤社長(佐藤恒治トヨタ自動車社長)と抱き合ったのは、人生の忘れられない思い出になりました」
木村に続いて第3、4スティントを担当したスコット・ハファカーも、スティント後半にタイヤの性能が下がってきた77号車ポルシェ911 RSR-19(デンプシー・プロトン・レーシング)と、98号車アストンマーティン・バンテージAMR(ノースウエストAMR)をオーバーテイクし3番手へ躍り出る好走を見せた。
レース終盤には宮田が85号車ポルシェ911 RSR-19(アイアン・デイムス)を抜き去って表彰台のポジションをさらに上げる活躍もあり、57号車フェラーリは2番手でフィニッシュ。レース後には、フルコースイエロー時の減速が不十分であったとして10秒のタイムペナルティを受けたものの、トラブルを抱えながらも好走した宮田のリードのおかげで表彰台に留まることができた。
6月に行われたル・マン24時間レースでも、一時はレースをリードするなど、WECに参戦を開始してから着々と力をつけてきたケッセル・レーシングと木村武史。今季は開幕戦のセブリングと今回の富士で2度の3位表彰台を獲得、8月26日にはELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズ第3戦アラゴンでLMGTEクラス初優勝を勝ち取った彼らが、表彰台の中央に立つ日も近いかもしれない。