10月28〜29日に三重県の鈴鹿サーキットで行われた2023年全日本スーパーフォーミュラ選手権第9戦『第22回JAF鈴鹿グランプリ』。熾烈なチャンピオン争いが繰り広げられていたJAF鈴鹿グランプリで日本レースプロモーション(JRP)は、第9戦の決勝前に先行開発マシンSF23によるデモンストレーションランを行った。

『スーパーフォーミュラWhite Tiger SF23/Red Tiger SF23デモンストレーションラン』と銘打ったこのデモランでステアリングを握ったのは事前の告知通り、ホンダエンジン搭載車/白虎に佐藤琢磨、トヨタエンジン搭載車/赤虎に中嶋一貴という豪華な顔ぶれ。2度のインディ500ウイナー(2017年、2020年)と、ルマン24時間3連覇ドライバー(2018〜20年)の共演となった。

 しかしこのデモランがいつもと様子が違った。デモ走行の途中から鈴鹿サーキットのグランプリコースを逆走し始めたのだ。最初は何が起きたか分からなかった場内のファンも、いきなり逆走を続ける琢磨と一貴に興味津々、ざわつき始めた。

 最初はメインストレートから、それぞれのマシンで通常通りに走り始めた琢磨と一貴だったが、琢磨を前に1周走り終えた後、シケイン手前のショートカットから東コースに進入。NIPPOコーナーを駆け降りるように東コースから鈴鹿サーキットを逆走し始めた。

 場内放送のピエール北川氏の盛り上げも相まって、次第に逆走の様子はざわつきから拍手に変わり、両ドライバーがどのように反対回りの鈴鹿を走っていくのか、コースとスクリーンを凝視していた。

 これまでに、鈴鹿サーキットのコースを自転車競技で逆方向に使用した過去例はあるようだが、今回のデモランでほぼすべてのファンが初めてレーシングマシンが鈴鹿サーキットを逆走する様子を見たことだろう。

 チェッカーを受けた2台は1コーナーから戻ってマシンをメインストレートに停めると、ファンの拍手を浴びながらマシンを降りた。

 琢磨はいきなりどうしたんですか?とマイクを向けられると「いや、スーパーフォーミュラのガチの予選を見た後で、僕らオジサンドライバーがゆっくり走っても面白くないでしょ?って。一貴君にもお願いして(笑)、やらせてもらうことにしました」と微笑む。

「でも僕もこのマシンに乗って(乗り味を)感じてみたかったし、HRS(ホンダレーシングスクール鈴鹿)の卒業生たちが戦っているマシンがどんなものか知りたかった。そしたら、タイヤが温まるまでマシンが軽くて、タイヤからスモーク出たりして(笑)」

「でもタイヤが温まってダウンフォースが出たらピタッと吸い付くように落ち着いて走れました。逆走もとっても楽しかった(笑)。これ(SF23)はF1に1番近いマシンって言われているし、今シーズンも素晴らしいレースだったように、ここから世界に羽ばたいて行けるシリーズとマシンだと思います」と総評。

 これを受けて一貴も「後ろから見て琢磨さん遊んでるのわかったし、速ぇーなぁって(笑)。鈴鹿逆走は初めてだったけど楽しかったです」。と話し、両名ともに後進のドライバーのSF最終決戦の健闘を願った。

 この逆走デモは、結果的に成功裏に終わった。今回デモランのオファーを受けた琢磨は、鈴鹿逆走を提案し、JRP上野禎久社長に直談判。上野社長も虚を突かれたようだったが、各方面と念入りな交渉を行って実現となった。

 特に安全面においては当然のように反対の声も上がったというが、JRP側は妥協することもなく折衝と調整を続け、金曜日に中嶋一貴と塚越広大の両ドライバーによってリハーサル走行を行っていた。リハーサル走行ではドライバーも、いくつかのコーナーで不安を感じる箇所もあったというが、日曜日には無事逆走デモの開催となったのである。

 イベントプロモーターとして、ある意味スーパーフォーミュラの全権を掌握していると言って良いJRPが、琢磨の発案をにべもなく突き返したりせず、粘り強く実現すべく努力したことは、大いに評価されて良いのではないか。

 トップフォーミュラ50周年を迎えた今シーズン、『スーパーフォーミュラNEXT50』プロジェクトが始まって、カーボンニュートラルの実現のためにマシン開発も進めている真っ最中だが、ここ数年の観客減少に歯止めをかけ、活性化した魅力あるシリーズに生まれ変わろうと改革を進めている時でもある。

 今回の逆走デモランも危ないからダメ!と一刀両断すれば、済んでしまった話かもしれないが、スーパーフォーミュラがどうすれば生まれ変わって、多くの観客動員、人気回復となるのかと模索するなかで、柔軟な対応でこの逆走デモランを実現させた。

 この対応がなかったら、永遠に鈴鹿サーキットを逆走するマシンなんて見られなかったかもしれない。

「本当は内緒で逆走やって、周りをえ!って驚かせたかったんだけど、流石にそうはいかない(笑)。事前に色んな人にお願いをして調整してもらって実現出来ました。でもファンも喜んでいたようで、ホントに良かった。僕も楽しめましたよ」と琢磨は微笑む。

 佐藤琢磨は突飛な発想や発案をすることがある。琢磨本人のSRS(鈴鹿サーキットレーシングスクール、現HRS)入校時の面接お願い(書類選考で自身の不利を確信した琢磨は急きょ入校説明会で面談を直訴した)もそうだし、今回の逆走デモランの提案もそうだろう。『No attack, No chance!』をモットーとしているのは知られているが、良くも悪くもそのおかげで『大変なことになった!』という関係者も少なくなかっただろう。

 だが常人があきらめていた事に、風穴を開ける役目をしているのは間違いない。それはレースの世界でうまく行った事も、行かなかった事もあったはずだ。しかしそうやってレースを続けてきた琢磨は、少しずつでも周りを変えた事で、今まで走り続けている。日本でレースをする事は少なかった琢磨だが、そんな琢磨のあり方がJRPとスーパーフォーミュラを少し刺激して実現した鈴鹿の逆走デモランだった。

 若いドライバーたちには、このベテランドライバーがいったいどのように映っただろうか?