モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、ル・マン24時間レースやBPR GTグローバルシリーズで活躍した『マクラーレンF1 GTR』です。

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 以前、この連載において全日本GT選手権での活躍をご紹介した『マクラーレンF1 GTR』。そんなマクラーレンの“ロードバージョン”であるF1が発売されたのが、いまから30年前、1993年のことだった。

 『F1 GTR』のベースとなったマクラーレンF1とは、ブラバムやマクラーレンのF1マシンを手がけ、栄冠を手にしてきたデザイナーであるゴードン・マーレイが生み出したスポーツカーだ。

 これはよく知られている話でもあるが、そもそもマクラーレンF1というクルマはレースを想定して生まれた車両ではなかった。

 生みの親であるマーレイは、その当時発売されていたフェラーリやジャガー、ブガッティなどのいわゆるスーパーカーと呼ばれるクルマをオフィスまでの通勤路で実際に普段使いしたうえで、それまでの扱いにくいスーパーカーとは一線を画す、日常で扱いやすく、音楽も楽しみながらドライブできて、かつ高性能な究極のロードゴーイングカーを目指し、F1の開発をスタートさせていた。

 こうした経緯からマーレイは、もとからレーシングカーにするための設計にはしていなかったが、カーボンコンポジットのモノコックや大パワーを絞り出す6.0リッターV型12気筒のエンジンなど、F1はレーシングカーとしても優れたメカニズムも持ち合わせており、その結果、マクラーレンF1でレースをしたいというユーザーの声が大きくなり、F1のレーシングバージョンを仕立てることになった。

 そうして生まれたのが『マクラーレンF1 GTR』なのだ。

 『F1 GTR』を開発するにあたってマクラーレンは風洞実験を行い、リヤウイングを装着したほか、フロントにもスポイラーを装備。

 さらに、もともとカーボン製だったロールケージをACOの要求によってスチール製に変更したほか、ブレーキやサスペンションにもチューニングを施した。またエンジンについてはディチューンを行っていたほどだった。

 このようにレーシングカー化へのモディファイは、かなり最小限にも思えるものだったが、『F1 GTR』は1995年のBPRグローバルGTシリーズでレースデビューを果たすと12戦10勝という圧倒的な戦績でシリーズを制してしまう。

 さらに同年のル・マンには7台の『F1 GTR』が出場し、トランスミッションに問題を抱えながらも、雨や圧倒的にラップタイムの速かったプロトタイプカー勢のアクシデントなどにも助けられ、見事初出場ながら初優勝を飾った。

 このとき、優勝車である59号車の『F1 GTR』をドライブしていたドライバーのひとりが関谷正徳で、関谷は初めてル・マン総合優勝を達成した日本人となったのだった。

 ベース車の素性の良さもあり、デビュー初年度ながらこのとき世界のスポーツカーレースの主流となりつつあったGT1カテゴリーを席巻した『F1 GTR』。

 しかし、翌1996年にはポルシェが生み出した『911 GT1』など、強力なライバルが現れ、『F1 GTR』はさらなる純レーシングカー化を迫られることになっていく。