2023年のスーパーGT GT500クラスと全日本スーパーフォーミュラ選手権でタイトルを獲得し、史上5人目となるダブルチャンピオンというセンセーショナルな活躍をみせ、名実ともに日本トップクラスのドライバーとなった宮田莉朋。今季2024年は、FIA F2選手権とELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズに挑戦するほか、WEC世界耐久選手権ではトヨタ・ガズー・レーシングのリザーブドライバーに就任したことは既報のとおりだ。

 そんな宮田の今年最初の挑戦は、1月25〜28日にアメリカ・フロリダ州のデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで開催されたIMSAウェザーテック・スポーツカー選手権開幕戦『デイトナ24時間レース』だった。ル・マン24時間とスパ24時間と並ぶ“世界三大耐久レース”のひとつである同イベントに、レクサスを代表する強豪チーム、バッサー・サリバンからGTDクラス出場した彼にデイトナ24時間レースや海外挑戦の心境をきいた。

 なお、このインタビューはデイトナの決勝レース中に行ったものだ。

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──2024年は思い切ったチャレンジになりますが、「いつかは海外で」というお考えを以前からお持ちだったのでしょうか?

宮田:「このような決心ができたのは、モータースポーツファンの両親の影響が大きく反映されていると思います。世界選手権やアメリカのレースを観戦させて貰えたことや、僕自身がカートの世界選手権に参戦した経験からモータースポーツ文化はヨーロッパからはじまり、いつかは僕もそこで……という想いは抱いていました」

「また、日本は世界屈指の自動車王国としてレース文化が根付き、数多くのファンが熱狂し応援してくれているなかで、僕は研鑽を積み、みなさんの応援に支えて頂きダブルタイトルを獲得することができました。その一方で、ヨーロッパで日本とは違った文化を体験してからは良い意味でその違いを楽しみ、新たにその中へ自分も飛び込んでみたい、そこで活躍するには一度日本を出てみたいという気持ちを、ジュニアフォーミュラに参戦していた頃から思いを募らせていました」

「昨年はスーパーGTのGT500クラスとスーパーフォーミュラの両シリーズでチャンピオンを獲得できたこともあり、海外のレースへ挑戦するならば、今だという思いで今シーズンは思い切って生活も活動の拠点も海外へ移して挑戦します。日本でダブルタイトルを獲得する前に、WECのチャレンジプログラムには選出していただいていたのですが、ダブルタイトルを獲得した後ではより気持ちも強くなり、次に進むべきステップはアメリカやヨーロッパだな、という思いがあります」

「日本人ドライバーで海外に出て挑戦するドライバーは多くありませんが、僕はずっとその願いを叶えようと思いながら走っていましたので、デイトナ24時間レース(GT3)、WEC(ハイパーカー)、ELMS(LMP2)、FIA F2という素晴らしい挑戦の機会を作ってくださった皆さまに心から感謝をしています。日本で積み得た経験を活かし、海外でもポテンシャルを発揮できるようになればと思っています」

──ヨーロッパと日本のレース文化の違いを先にお話しいただきましたが、いまおられるアメリカのデイトナは、ヨーロッパや日本のレースともまったく違いますね。

宮田:「まず規模が違いますよね(笑) でも、基本的にレーシングドライバーとしての仕事は世界共通ですし、目指す方向は同じだと思っています。ただ、その目指すものや、関わる人々や人数やプロセスも違いますし、ひとつひとつ学んでいきたいと思います。日本人としての第一の壁は言語だと思います。ここアメリカでは英語ですし、ヨーロッパでしたら訪れる国により言語が変わります。そのようなシチュエーションもレース活動を通して、より多く吸収できれば良いな、と願っています」

「父はイギリスで仕事をしていたこともあり英語を話し、母は外国語を勉強するのが趣味で、旅行などで使用するには困らない程度の英語やイタリア語を話せるという両親の影響もあり、僕は子どものころから英語を勉強していまして、家族で海外旅行に行く中で幼少の頃から外国語は僕の家庭でも身近な存在でしたね。インターナショナルスクールに通った経験や、海外で生活をした経験もありませんが、今年は人生初となる海外生活やレース活動を通して、英語や外国語のスキルの上達にも努めたいと思います」

──ところで、デイトナ24時間レースには初出場となる宮田選手ですが、映像で観る31度のバンクは非常に寝ている感じに見えますが、実際に走るとどんな感じなのでしょうか?

宮田:「NASCARだとバンク角はものすごく急に感じるのかもしれませんが、GT3マシンだと以外と普通に走れていますよ。もちろん繊細なドライブコントロールは必要となっていますが、全開で走って楽しんでいます。予選は非常に寒く、一方で本戦は非常に蒸し暑いので、予選の時とは違った勢力図が描かれるのではないかと予測していますし、この急激な気候の変化がレースを大きく左右するのではないかと『ロア』(Roar:咆哮・轟音をたてるといった意)テストの時から感じていました」

■自宅のシミュレーターもヨーロッパへお引越し

──無事に最終スティントを終え、どんなお気持ちですか?

宮田:「チームメイトの14号車(GTDプロクラスのチャンピオンカー)も序盤にアクシデントに巻き込まれるなど、ずっと荒れたレースが続いたレースでした。僕がピットアウトをする際にはFCY(フルコースイエロー・コーション/IMSAシリーズではセーフティカーが入る)という状況で、せっかく広がったギャップが縮まってしまいましたが、コース上ではオーバーテイクをはじめ、僕のできることは発揮できたと思っています」

「24時間レースで一番大切なことは、マシンを破損させず最後までドライバーがバトンをつないでゴールをすることなので、僕の最後のスティントまではそれをしっかり遂行できたと思います。GTDクラスのポールポジションからスタートし、常時上位争いに絡んでおり、初デイトナで自分の中での課題のタスクは無事に果たせたと思います」

「初出場ということで、何もかもが初めてのことだらけでまだエンジョイするというところまではいけませんでしたが、しっかりと走り切れたと感じています」

(※編注)レース終盤、宮田組12号車レクサスRC F GT3は、最終スティントを担うパーカー・トンプソンがピットアウトする際にエンジンルームから火の手が上がり、フィニッシュまで残り1時間弱となったタイミングで無念のリタイアとなった。

──海外に拠点を移されるようですが、新居は所属するトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ(TGR-E)のファクトリー近くになる感じでしょうか?

宮田:「日本に生活拠点を置きながら海外のレースに挑戦しようと決めた2日後にFIA F2に参戦することが急きょ決まり、それによってヨーロッパ、恐らくTGR-Eがあるケルン(ドイツ)になると思いますが、これからアパートを探したり、ビザの申請をすることになります」

「デイトナのロア(公式テスト)や他のレースのテスト等もあり、海外暮らしの私生活の準備のケアがまだまったくできていない状態です。今後、ケルンを拠点にヨーロッパのレースに参戦する予定をしています」

「昨年の12月にTGR-Eでシート合わせをし、今年の1月にはイギリスへ飛び、F2のシート合わせをし、またケルンのTGR-Eへ戻りミーティングやシミュレーターをドライブしたり、かなり慌ただしくも充実した日々を過ごし、新シーズンの準備に追われています。年明けからヨーロッパ、そしてアメリカのデイトナを訪れ、移動の日々で日本の家を引き払う準備もしなくてはならないのですが、家族には随分と迷惑をかけてしまっています」

──プロのシムレーサーでもある宮田選手ですが、以前に取材を受けていた日本のご自宅にある立派なシミュレーターのセットは、ドイツの新居にも持って来られるのでしょうか?

宮田:「僕の私物とレンタルで使用させていただいている機材が混ざっており、レンタルしている物に関しては返却し、私物はドイツの自宅が決まったら運び込み、足らない物に関しては新たにヨーロッパで購入して、新居のシミュレーターセットを完成させるつもりです」

──新たな挑戦に向けての目標をお願いします。

宮田:「今年から日本を飛び出し、世界を舞台に挑戦させていただくのですが、豊田会長をはじめ、トヨタ自動車の皆さまには感謝しかありません。僕が皆さんへ恩返しをさせていただれるとすれば、その与えていただいた環境でベストを尽くし、チームと一緒に力を合わせて良い仕事をするだけです」

「一歩一歩、日々努力を重ねていけば成績もついてくると思います。昨シーズンは、実際にそれを毎日心掛けてダブルチャンピオンを獲得することができましたので、あとはアメリカやヨーロッパの環境に馴染めば自分のレースができると思います。“ステップ・バイ・ステップ”、気負わず自分らしくを心掛けてチームと一緒に頑張りたいと思います!」

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 初出場のデイトナ24時間レースながら、スーパーGTとスーパーフォーミュラのダブルチャンピオンがパドックを駆け抜ける度に、サインや記念撮影を求める数多くのファンに囲まれ、それに対し笑顔でひとりひとりに丁寧に対応する姿が非常に印象的だった。また、地元アメリカのみならず、フランスやドイツをはじめ、数多くの世界のメディア関係者も宮田のポテンシャルに期待を高め、話題を集めていた。

 GTDクラスのポールポジションからスタートし、クラス優勝を充分に狙えるポジションにつけていたにもかかわらず、残念ながらゴール間近にエンジンルームからの出火によりリタイアとなってしまったが、先のコメントにもあるように宮田自身は与えられたミッションを完遂。確かな手応えを持って、ヨーロッパでの次なる挑戦へ向かった。