エースのリリーフ転向が裏目に

 東京ヤクルトスワローズは、19日に横浜スタジアムで横浜DeNAベイスターズと対戦。山田・バレンティンの2人で3発のソロ本塁打を放ち、ベテラン・石川も5回2失点と試合を作ったが、救援陣の脆さが露呈し、逆転負けで今季最多の13連敗を喫してしまった。
 
 大型連敗中のチームの救援陣がリードを守り切れない姿を見て、ヤクルト・小川泰弘投手と、NPB記録の18連敗を記録した際の千葉ロッテマリーンズのエース・黒木知宏投手の姿が重なって見えた。黒木は90年代後半からロッテのエースとして君臨し、闘志あふれる投球で人気を誇り”ジョニー”の愛称でファンから親しまれていた投手だ。
 
 90年代のロッテは成本年秀・河本育之のWストッパーで試合を締めていたが、成本は1997年から、河本も98年シーズン開幕早々に故障離脱し、補強したスコット・デービソンも5月に故障でシーズン絶望となってしまい、リリーフ陣の穴が大きくなっていた。
 
 そのような状況の中、ロッテのブルペン陣では吉田篤史・藤田宗一・竹清剛治・近藤芳久といった投手が奮闘していたが、首脳陣は連敗が始まり救援陣の脆さが露呈したことからエースの黒木をクローザーに転向させて連敗脱出を図ったが、これが大きく裏目に出てしまった。
 
 6連敗を記録した98年6月18日の一戦では、先発の武藤潤一郎が好投を見せたものの、新クローザーの黒木が救援に失敗しまさかの逆転負け。そして、翌日の試合では打線が15安打10得点を奪ったものの、投手陣がリードを守り切れず悪夢の逆転サヨナラ負けを喫する。その後も黒木はリリーフ登板を続けたが、度重なる救援失敗など、いずれも勝利に結びつかず先発に再転向。そして、7月7日に黒木は中4日で16連敗中のチームを救うべく先発マウンドに上がる。
 
 先発復帰した黒木はプレイボール直後から快調に飛ばし、イチロー・田口などを擁するオリックス打線を相手に9回途中まで1失点の快投。そして、9回二死2ストライクと勝利まであと1球まで迫ったが、139球目となる低めの直球をローボールヒッターのハービー・プリアムに左翼スタンドへ運ばれ、同点に追いつかれてしまう。そして、延長12回に近藤が広永益隆に代打満塁本塁打を浴びてしまい勝負あり。ロッテは17連敗でNPBワースト記録を更新してしまった。
 
 勝利まであと1球のところで本塁打を浴びた黒木はマウンドに崩れ落ちてから立ち上がれず、その姿は全国で大きく報道され「七夕の悲劇」として現在まで語り継がれている。

あの連敗から19年経った今、ヤクルトでは…

 現在のヤクルトはどうか。守護神・秋吉亮が故障で離脱し、当時のロッテと同じくリリーフ陣が非常に手薄になっている。現在のヤクルトには秋吉の代わりになるリリーフもおらず、真中監督はエース右腕・小川を抑えに配置転換した。
 
 しかし、ヤクルトもこの配置転換が大きく裏目に出る。奇しくも黒木がマウンドに崩れ落ちた日と同じ7月7日に、小川は5点のリードを守り切れない大炎上を喫してしまう。
 
 この日の試合は9回に5点のリードを奪っており、エース・小川が最終回に登板ということで多くのヤクルトファンが勝利を確信していた。しかし、小川はバティスタ・菊池にソロ本塁打を浴びると、その後も四球や安打で出塁を許し続け、最後は代打・新井に逆転3ランを浴び逆転を許してしまう。直後の9回裏の攻撃で打線も三者凡退に倒れてしまい、あっけなく試合終了。勝利濃厚の場面から、まさかの逆転負けとなった。
 
 そして、小川は7月9日の試合で再び新井に試合を振り出しに戻される一打を浴び救援失敗。その後、両軍決め手を欠き試合は引き分けに終わったが、小川はまたも勝利目前で痛恨の一打を浴びてしまった。その後の12日の巨人戦では5点ビハインドで登板し1回を無失点に抑えたが、13日に小川は登録抹消となり後半戦は先発に再転向することが決まった。
 
 大型連敗中の黒木と同じような境遇をたどり、先発に再転向となった小川。次回登板ではリリーフ転向時の雪辱を晴らし、チームを勝利に導く投球を見せることはできるだろうか。