■クロマティ、巨人からラブコールを受ける
 
 1974年にモントリオール・エクスポズに入団したクロマティは、外野のレギュラーとして活躍した。1983年までにMLBで1063本の安打を放ち、打率も.280を記録。その現役バリバリのクロマティが、1984年に突如日本球界の読売ジャイアンツと契約した。
 
「実はサンフランシスコ・ジャイアンツとは2年契約を結びかけていました」
 
 クロマティが当時、契約に向けて動いていたのはMLBの球団だった。しかし、自身のエージェントから日本の読売ジャイアンツの〝ヒラノさん〟という人物から電話があったと知らされたという。
  
 「なんで自分に電話をしてきたのかなという感じでしたけど、日本に行くなんてないない、私はサンフランシスコに行くんだと思っていました」と当時の心境を明かした。
 
 しかし、そのとき巨人は結成50周年の節目の年。さらに王貞治監督を引き合いに出し、積極的なアプローチは続いた。「フラミンゴスタイルのフォームで、多くのメジャーリーガーも知っていた」と王監督の印象を語った。
 
 一方で、日本の野球については、ファンが多く、読売ジャイアンツというチームがあることしか知らなかったという。それでも、巨人はクロマティを口説き落とすことに必死だった。
 
 
■巨人入りの決め手は・・・
 
 そして、サンフランシスコに行って契約を結ぶ2日前、巨人から希望条件を問われた。「いくらをお望みですか?」
 
 鉛筆で紙に「とても大きな数字、すごい数字」を書いたという。
 
 「そうすれば、相手も怖がって逃げると思ったのです」
 
 その紙を渡したときの巨人軍の反応はまさかの「オーケー」。さらに妻からもサインを促された。
 
 「とても難しい決断でしたが、日本のジャイアンツと2年契約を結んだのです」と決断の瞬間を振り返った。
 
講演の最後には、参加者から「なぜ他のMLBのチームに行かずに巨人に入団したのか」と質問され、指でお金の形を示しながら「ビッグマネーね」とちゃめっ気たっぷりに明かしたクロマティ氏。
 
 「(日本に来ることは)自分にとってのチャレンジでした。人生ではいつもチャレンジしていますし、チャレンジすることが大好きなのです」と満足気に日本での生活を振り返った。