「まだ振り返らない」、チームの未来を築く現役選手の自覚

 涙に暮れることも、沈みこむこともなかった。そればかりか、いつもより笑顔が多かった。ZOZOマリンスタジアムで引退会見をした6月20日、花束贈呈をする鈴木大地と角中勝也の表情は寂しさでいっぱいだったが、彼らと並んだ井口資仁だけは、笑顔で写真に収まった。
 
 何度も繰り返した言葉は「今はまだ振り返りません」。しんみりとした空気は井口が自ら断ち切った。まだまだ現役選手としてやるべきことがある。その心意気に、周りの者は前を向き、今後の希望を見出したのだった。
 
 ここ数年は自らの引き際について考えていたという。最後のシーズンにすると決めた2017年。新年を迎えて、自主トレ、春季キャンプ、オープン戦、公式戦開幕、勝利、敗北、喜び、悔しさ……。プロ野球選手として長いあいだ日常となっていたことが、ひとつずつ最後の出来事に形を変えて通り過ぎていく。引退表明をするまでの日々には、人知れず噛みしめていた思いがあった。
 
 「行く先々で、前に来たときはこうだった、入団したときはこうだった、と、いろんなことを思いましたね。今年の開幕戦の福岡では、21年前にここでデビューしたんだなとか、自主トレのときは、もうここで辛い練習をしなくていいんだなとか(笑)。寂しさはありません。悔いを残さず、やり切ろうという気持ちです」
 
 引退表明後、鈴木大地や益田直也らは「もっと一緒に野球の話をしたい」と井口に直談判した。どの球場に行っても、井口に向けられる声援は迫力を増した。最後のユニフォーム姿を目に焼き付けようとする人々がたくさんいる。

みんなと刻むカウントダウン、「引退表明からの日々が一番良かったと言いたい」

 井口が早い時期に引退を発表したかったのは、感謝をこめたプレーを数多くの人に観に来てもらいたい気持ちからだった。ひとり胸の内で刻み始めたカウントダウンが、今は皆のものとなっている。
 

 
 それでもまだ過去を振り返らないのは、自身がマリーンズの未来を築く現役選手であるからだ。ここ数年は、積極的に若い選手を食事に誘うことが多くなっていた。声をかける相手はレギュラークラスの選手ではない。
 
 居場所を掴みきれないでいる選手たちに、食事の席でゆっくり真剣に野球の話をした。自らの引き際を考えながら、今後のチームを支えなくてはならない者たちに対して、継承を続けてきた。
 
 「僕も新人の頃は全然ダメでした。でも、きっかけを見つけてからは良くなった。チームの中でやりたいことをやるのは簡単ではないですけど、自分のカラーは自分でアピールしなくてはいけない。きっかけや引き出しをひとつでも与えて、殻を破りきれない部分をフォローできたらと、いつも思っています。彼らの実力はこんなものではないと思うので、もっともっと元気を出して、必死に戦って、持っているものを全て出してほしいですね」
 
 引退試合は9月24日にZOZOマリンで開催される。
 
「引退試合のことは、まだあまり想像がつかないですけど、最後に振り返ったときに、“引退表明からの日々が一番良かった”と言えるようにしたいです」
 
 井口がユニフォームを着ている時間が限られているからこそ、引退表明からの日々が一番良かったと言ってもらえるように、今この瞬間が最高になるように、自分たちの成長した姿を見せられるように。送り出す側がすべきことは、まだ残されている。