ここで谷元が登板する場面なのに……

 旅先である。新潟県の新津温泉という「石油の匂いのすることで有名な温泉」に立ち寄ってきた。昔、新潟は石油を掘っていて、その名残りなんだそうだ。塩分の高いトロトロの湯質だった。愉快なことにシャワーがなくて、肌にに石油の匂いがかすかに残っている。
 
 旅の友は『昭和プロ野球徹底観戦記』(山口瞳・著、河出書房新社)だった。青春18きっぷで鈍行に揺られながら、のんびり本を読んできた。昭和の人気作家、山口瞳の野球エッセイ集成だ。山口瞳の文章は昔から大好きだが、モノが野球だと格別だ。
 
 僕は谷元圭介の中日移籍にともなう、いわゆる「谷元ロス」の状態が続いていて、ちょっと気分を変える必要があった。試合を見ていて、「あぁ、ここは本来、谷元が登板する場面だったなぁ」なんて思うとたまらない。代わりに頑張ってる田中豊樹や石川直也には申し訳ないのだが、じんわり泣けてくるのだ。
 
 傷心の自分には緑豊かな車窓の風景や、石油くさい温泉や、山口瞳の滋味あふれる文章が「心の夏休み」だった。ちょっと一節、引用させていただく。
 
「私は鈴木武という選手が好きである。彼の野球が好きである。鈴木武より足の速い遊撃手はいる(たとえば、河野、木塚)。打率のいい勝負づよい選手がいる(豊田、レインズ)。守備範囲の広い選手がいる(広岡)。
 
 しかし、私には鈴木武の野球がいちばんおもしろい。近鉄時代、昭和二十九年に彼は71盗塁で盗塁王になった。これは年間最多盗塁の第4位である。しかし、彼には、盗塁して2塁でアウトになると思ったら、くるっとうしろをむいてスタコラ1塁へもどってセーフになるという妙技があった。そのくらい足がはやくカンがよかった。
 
 なぜ、私がことさらに鈴木武の名をあげて”おもしろい野球”を強調するかというと、この数年、野球は「野球」でなくなって「勝負」になってしまったからだ。(えのきど中略)私が高いお金をだして、残り少ない人生のとぼしい時間をさいて球場へ出かけるのは野球がみたいからである。勝負がみたいならTVのスポーツ・ニュースを見ればよい」(「野球がみたい」、『昭和プロ野球徹底観戦記』より)
 
 鈴木武は兵庫県出身の遊撃手だった。1953〜60年近鉄、60〜63年大洋。実働11年、1131試合出場、生涯打率は.243という渋い選手だ。外野を割られた場面で「2塁ベース上にわざとボンヤリ突ったって、走者の速度をゆるめスライディングを怠らせてタッチするプレイも鈴木武に多かった」とも書かれてるから、いわゆる玄人好みのする職人プレーヤーではないか。
 
 あぁ、確かに職人気質のクセモノっぽい選手は減ってしまったなぁと思う。今はアスリートタイプが増えた。(球団のメディア対策もあって)コメントひとつ取っても、真面目で無難なことしか言わない。しかし、エッセイ「野球がみたい」の初出は『漫画讀本』(64年1月)だから、半世紀以上前に山口瞳は「野球が『野球』でなくなった」と指摘していることになる。面白いなぁ。

ファイターズの方針で欠落する選手のタイプ

 クセモノ型選手はいわゆるスポーツ的な修辞とは縁遠い。「悔いを残さないように」「思いきり腕を振って」「一球にすべての思いを込めて」投じられたような球を「チームメイトの頑張りを思ってどうしても打ちたいと思い」「これまで支えてくれたすべての人に感謝しながら」「「ファンの皆さんの後押しのおかげで」打つというニュアンスの力学からはちょっと外れている。何かちょっと文脈が違うのだ。例えばトリックプレーを仕掛けるとき「ファンの皆さんの後押しのおかげで、2塁ベース上でボンヤリして見せ、偽装アウトを取りました」ってちょっと変だ。「これまで支えてくれたすべての人に感謝しながら、隠し球でアウトを取りました」ってギャグになってしまう。
 
 山口瞳が53年前に嘆いているくらいだから、このタイプはプロ野球の絶滅危惧種なのだろう。絶滅危惧種ながら細々と命脈をたもってきたような。技術に誇りを持ち、その一芸で金を取るような選手。自分を曲げない頑固さを持った選手。僕が見てきたこのタイプ選手で、いちばんスケールが大きい(したがって「職人」の枠から出てしまう)のは落合博満じゃないかと思う。試合の勝ち負けより落合を見てるほうが面白かった。が、それはいくら何でも大物すぎるとしたら……。
 
 ファイターズでパッと浮かぶのは広瀬哲朗だ。90年代ゴールデングラブ賞の名遊撃手。広瀬はひとを食った選手だった。凡ゴロをさばいても、打者走者の様子を見てなかなか投げないのだ。ボールを遊ばせている。あきらめて流してた打者走者が、あれっ、これはもしかするとセーフになるかと思って、途中からダッシュする。と、強肩にモノを言わせて間一髪の送球でアウトにするのだ。野球の基本からいったら大間違いだと思う。すんなりアウトを取らないと何があるかわからない。が、面白いのだ。広瀬は看板プレーの「ヘッドスライディング」をはじめ、魅せるプレーを心がけた。「ファンの皆さんの後押しのおかげで、送球を送らせてぎりぎりアウトを取りました」はやっぱり成立しない。「すぐ送球しろよ」と怒られそうだ。
 
 ファイターズの育成路線(高年俸の主力選手はじゃんじゃん「卒業」させ、若手に切り替える)で、もしかするといちばん欠落するのが、このクセモノ型かもしれないなと思う。どうしても構成的に若さのカルチャーになるだろう。あるいは飯山裕志のような「ベテランだけどひたむき」という世界か。そこまで考えて、また胸の奥がチクッと痛んだ。「谷元ロス」からまだ立ち直れないでいる。思いを巡らすうち、ついそこに戻ってしまう。