予想以上に早かった大谷の故障

 大谷がDL入りしたニュースを耳にした時は「こんなに早いとは」という印象だった。これまでも松坂大輔(中日ドラゴンズ)やダルビッシュ有(シカゴ・カブス)、田中将大(ニューヨーク・ヤンキース)など多くの日本人投手が悩まされた故障のため、大谷にも故障の可能性はあると思っていたが、こんなに早いタイミングでやってくるとは全くの想定外だ。
 
 故障リスクは誰にでも付きまとう。大谷の場合は、我々が考える領域のはるか上をいくレベルのボールを投げている。ストレートの球速はもちろん、スプリットなど変化球のレベルも高い。
 
 今季最速101.1マイル(約162.7キロ)を記録。あれだけ速いボールを投げるための必要条件は全て備えていたが、唯一、心配だったのが筋力量だ。193センチ、92キロで肩関節の柔らかい大谷だが、そこに付随する筋肉がもう少し必要だったのかもしれない。
 
 ただ、ピッチングスタイルとの兼ね合いもある。腕の筋力があった方がいいが、筋力がつくと、今度は重さが出てくる。腕が重くなると、振りのスピードが遅くなり、球速が落ちる可能性があるのだ。
 
 大谷は170キロに届こうかというボールを目指していた投手なので、筋力と肩関節の可動域のどちらを優先するかは難しい。つまり、故障のリスクが常に伴う投手だったいうことになる。
 
 世間一般的にも言われている日米の公式球の違いも故障を引き起こした要因の一つになる。メジャーのボールは日本プロ野球より一回り大きく、適応するのが大変だっただろう。
 
 大谷自身がどの球種を投げる際にストレスを感じていたかはわからないが、スプリットだけでなく、スライダーに負担も大きかったのではないか。メジャーのボールはしっかりグリップしないと抜けてしまう。抑え込もうと思えば、肘には負担があったはずだ。

“再発”が懸念点、トミー・ジョン手術も有効な一手

 今回の故障で気になるのは、大谷は2017年10月に右肘の靭帯に炎症が起き、PRP注射を受けていたということだ。一度、処置したにもかかわらず再発したことは大きな問題だ。エンゼルス側も、過去の故障を考慮して大事に起用してきたはずだろうからショックは大きいだろう。
 
 今後は治療法を巡る議論がなされるだろう。私の意見としては、手術を回避してPRP注射で復活した田中将大のようにはいかないと思う。大谷は一度注射を打って再発した分、劇的な変化は望めないのではないか。
 
 そう考えると、靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)をするというのも一つの方法だ。
 
 エンゼルスは大谷と6年契約を結んでいる。今年トミー・ジョン手術を受け、リハビリに1年を費やし、3年目のシーズンに復帰して調整登板を重ねていく。4〜6年目の3年間で活躍するというシナリオを描くのである。
 
 もちろん、手術をせずに復帰できるのであればその方がいい。長期のリハビリをしない分、無駄な時間を過ごさずに済むからだ。その場合、これまでは1週間に1度先発登板し、4試合程度に指名打者(DH)として出場していたが、登板は2週間に1度に抑え、打者としての出場を増やしてくことになるのではないか。今季終了までは出場シフトを変えて臨み、来季に備えるということである。

再発防ぐ取り組みは? 負担少ないフォームに修正を

 手術するにせよ、しないにせよ、投手として復活を目指す限り、再発しないための取り組みが必要になる。
 
 つまり、正しい知識を持って、正しい投げ方をするということだ。
 
 大谷は投球動作の際の体重移動が上手いタイプではない。そのため、肘にストレスがかかっていた可能性も否定できない。私は現役時代、レキサス・レンジャーズなどで投手コーチを務めたトム・ハウス氏から奪三振記録を持つノーラン・ライアンがどのような身体の使い方をしていたかを教わり、学ぶことができた。身体にストレスが掛からないように投げるピッチングフォームを身につけていた。
 
 大谷も自身の投げ方を見直し、負荷がかからないフォームに少しずつ修正していく必要があるかもしれない。修正によって、今までの積み重ねで失うものもあるかもしれないが、本人がどう意識していくかだ。
 
 米国は、日本に比べて手術を一大事ととらえていない。腱の移植に関しては新しい部品にしてエンジンが良くなると前向きにとらえているところがある。そして、多くの選手が手術やリハビリを乗り越えて一段と成長しているケースがある。
 
 エンゼルスはあらゆるケースを想定し、大谷の復帰への準備をしているだろう。6年契約を踏まえて、最善の方法を導き出してくれるはずだ。来年、再来年に向けて現状から悪化することなく、好転することを願う。
 
小宮山悟(こみやま・さとる)
 
1965年、千葉県生まれ。早稲田大学を経て、89年ドラフト1位でロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)へ入団。精度の高い制球力を武器に1年目から先発ローテーション入りを果たすと、以降、千葉ロッテのエースとして活躍した。00年、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)へ移籍。02年はボビー・バレンタイン監督率いるニューヨーク・メッツでプレーした。04年に古巣・千葉ロッテへ復帰、09年に現役を引退した。現在は、野球解説者、野球評論家、Jリーグの理事も務める。
 
 
氏原英明