◆ 実際にあった“驚きの事件”まとめ

 「新型コロナウイルス」の影響により、当初の予定より3カ月も遅れてスタートしたプロ野球の2020年シーズン。

 残念ながら完全な形ではなく、当面は「無観客」での開催となっているものの、7月10日には観客を動員した試合開催も解禁予定となっており、少しずつではあるが明るい兆しが見えつつある。


 今年は開幕が遅れたことにより、様々な「特例ルール」が盛り込まれた中でのペナントレースに。これまでにない戦いの中で思いもよらぬ出来事も増えてくることが予想されるが、その前に、ここでは過去のプロ野球で起こった“あっと驚く事件”について振り返ってみたい。

 というわけで、今回も『プロ野球B級ニュース事件簿』シリーズの著者であり、ライターの久保田龍雄氏にお願いをして、プロ野球史に残る“仰天事件”をまとめてもらった。


◆ 「3ボールなのに四球」

 審判も人間。時には判定を間違えることもある。まだ3ボールなのに四球と判定したり、逆に四球を3ボールと思い込んだ結果、コアなファンの注目を集める“珍記録”が一度ならず生まれている。


 プロ野球史上初の「3ボール四球」が記録されたのは、1953年8月21日の近鉄vs大映(後楽園)だ。

 2−2の延長10回、大映は一死後、7番・山田潔がフルカウントまで持ち込む。ところが、苅田久徳球審は何を思ったか、3ボールなのに四球を宣告。これがきっかけで、試合は思わぬ展開を見せる。

 1球損した形の近鉄の投手・田中文雄は、次打者・新井竜郎にショートへの内野安打を許し、さらに飯島滋弥は四球で満塁とピンチを広げたあと、島田雄三にサヨナラ打を浴びた。皮肉にも、サヨナラのホームを踏んだのは、山田だった。


 2度目は、1968年4月29日の大洋vs阪神(甲子園)。

 3点を追う阪神は4回一死一塁、遠井吾郎がカウント2−2から5球目を見送った際に、一塁走者の池田純一がスタート。だが、捕手・伊藤勲は四球と勘違いしたのか、二塁への送球をしなかった。

 すると、井上忠行球審までつられてしまったのか、一塁を指差して四球のジェスチャー。遠井が半信半疑で一塁に向かった直後、ネット裏の公式記録員が慌てて連絡を入れたが、すでに次打者に1球目が投じられたあとだった。

 ちなみに、この日が記念すべき初球審だった井上審判は、「ボール、ストライクの判定に一生懸命で、誤りに気がつかなかった」と語っている。


◆ 最近ではヤクルトの青木宣親も…!

 その後、1978年の柴田勲(巨人)、1985年の掛布雅之(阪神)を経て、最近では2007年7月29日のヤクルト−中日戦(神宮)で、通算5度目の「3ボール四球」が成立する。


 1−2の3回、ヤクルトの先頭打者・青木宣親は、カウント1−1から3球続けてファウル。ところが、スコアボードはなぜか2ボール・2ストライクを表示していた。

 「あれ?と思いましたけど、誰も何も言わないから」と、青木。その後、2球ボールで本来であればフルカウントにもかかわらず、四球で出塁を果たしている。

 試合後、森健次郎球審は「その時点で気づきませんでした。掲示板(の表示)とかいろいろありますが、すべて私の責任です」と平謝り。青木が二盗に失敗し、誤審が得点に絡まなかったことは、唯一の救いだったか。

 なお、前出の柴田や、掛布へのものも含め、これまでの5例中3例は「中日が提供する側だった」という偶然も興味深い。


◆ 「四球だったのに三振」

 今度は逆に、「カウント4-2から三振」を喫した不運な選手たちを紹介する。

 第1号は東映の青野修三。1967年6月14日の東京戦(東京)、5回一死で打席の青野はフルカウントになったが、斎田忠利球審は2ボール・2ストライクと勘違い。スコアボードの表示を訂正させた。

 青野は1球ファウルのあと、次の球を選んでボール。だが、本人も四球に気づかず、一塁に歩こうとしない。公式記録員が慌てて連絡したときには、青野は4ボール・2ストライクから空振り三振に倒れていた。


 第2号は広島の水谷実雄。1972年5月7日・大洋戦(川崎)の3回二死、水谷はファウルでフルカウントまで粘り、坂井勝二が投じた8球目は外角低めに外れるボール。

 だが、本人も岡田功球審も四球に気づかない。公式記録員が「四球だ!」と叫び、放送席に電話を入れたが、投球テンポの速い坂井は9球目を投じてしまい、カウント4ボール・2ストライクから水谷はファウル。

 ここで広島・根本陸夫監督が四球をアピールしたが、時すでに遅し…。水谷は次の10球目をファウルのあと、11球目を見逃し三振。「打つのに夢中で全然気がつかなかった」と、バットを叩きつけて悔しがった。

 なお、四球と知りながら黙っていた捕手の伊藤勲は、「三振だから良かった。本塁打でも打たれていたら、えらいことだったな」と安堵の表情。その後、巨人の吉村禎章が1987年10月18日の広島戦で、カウント4ボール・2ストライクから本塁打を放ち、見て見ぬふりをしていた阿南準郎監督を、「人間、正直じゃなきゃいかんよ」とボヤかせている。


 第3号はクラウンの山村善則。1978年6月21日・ロッテ戦(川崎)の9回、先頭の山村はフルカウントから村田兆治の7球目を選んだ。

 だが、本人も道仏訓球審も四球に気づかない。直後、ベンチ裏から根本陸夫監督がタイムをかけ、四球をアピールしたが、距離が遠く、道仏球審の耳に届かない。

 村田はすぐさま8球目を内角にズバリ。かくして、山村は4ボール・2ストライクから見逃し三振に。四球が転じて三振の“ツキ男”村田には、無四球完投のオマケまで付いてきた。


 ちなみに、三振ではなかったが、広島・鈴木誠也も2018年8月9日の中日戦で、4ボール・2ストライクから二ゴロ。アウトになった“不運な選手”の一人に名を連ねている。


◆ バッターが“勘違い”したケースも…

 最後に、審判は間違えなかったのに、打者が勘違いしたというケースもある。

 1969年9月6日に行われた、ロッテ−近鉄(日生)の5回、近鉄の4番・土井正博はまだフルカウントなのに、四球と勘違いして一塁へ。「オイオイ!」と小松正雄球審に呼び返され、一塁手前から頭をかきながら打席に戻る。

 ところが、仕切り直して再び打席に立つと、フルカウントから八木沢荘六のカーブをひと振り。快音残した打球は、なんと、勝利を決定づける2ランになった。


 一方、日本ハム時代の張本勲は、1974年5月24日の太平洋戦(後楽園)の7回、フルカウントから外角の際どい球を選んで四球になったのに、打席で仁王立ちしたまま。

 この時は、中村浩道球審が見るに見かねて「フォアボール!」と大声で促したため、張本はそこでようやく我に返り、一塁へ。ベース上で何度もヘルメットを叩き、自身に「喝!」を入れていた。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)