◆ 故障に泣いた広島育成時代

 ロッテは26日、三家和真の現役引退とスカウト就任を発表した。

 三家は11年育成ドラフト4位で広島に入団したが、2年目に戦力外通告を受け、14年からはNPB復帰を目指してプロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの信濃、石川などでプレーし、16年11月に行われたロッテの秋季キャンプでアピールに成功してNPB復帰の切符をつかんだ苦労人。

 広島の育成時代は故障に泣き、1年目の秋に右膝を負傷し、秋季キャンプ、翌年の春季キャンプはチームに帯同せず広島でリハビリに専念。長いリハビリを経て復帰してからも、二軍で出場機会がなかなか恵まれなかった。

 夏のある日には、遠征に帯同できず、寮のテレビでひとり寂しく甲子園の中継を観戦し、遠征に向かうチームメイトを見送ることもあった。

 ロッテに加入した後、遠征に帯同できなかった当時のことについて「正直、気持ちで落ちていたわけではないですけど、何しているんだろうなというのはありました。このままやったらホンマヤバイなというのはありました。周りが遠征にいくわけですから。メンバーに入っていないわけですから、悔しい気持ちはありました」と振り返る。

 その後、戦力外となり14年からはNPB復帰を目指し、BCリーグの信濃、石川でプレー。広島時代に二軍でプレーしていた当時の仲間たちが一軍で活躍する姿に「練習や試合を一緒にしていた仲間だったので、いい刺激になりました」と、彼らと同じフィールドに立つため必死に汗を流した。

そして16年11月に行われたロッテの入団テストを経て、NPB復帰を掴んだ。ロッテに加入してからは、1年目の17年がファームで107試合、18年がファームでチームトップの111試合に出場するなど、広島時代に比べて故障が減った。

 三家は18年4月の取材で「体もでかくなったんじゃないですかね(笑)。高校を出てすぐの時に比べると、厚みとかデカさもそうですけど体が強くなっている。1回ケガもしているので、ケアの面はだいぶ意識しています」と自身でも“体が強く”なったことを実感。

 体が強くなりファームでは2年連続で100試合以上に出場したが、一軍では17年に4試合出場するも18年は出場がなかった。

◆ プロ初安打&プロ初本塁打を放った2019年

 ロッテ移籍3年目を迎えるにあたり、「体にしろ、技術にしろ何かを変えないとダメだと思って、勝負しないといけないと思った。内川さんといったらスゴイ打者。ひとつでも多く吸収できればと思って、お願いしました」と同僚の吉田裕太を通じて、内川聖一らが行う自主トレに参加した。

 同自主トレでは「せっかくトップを掴んでいるので、バチンと出さないといけないところを、1回緩んで振っていると言われた。そこも自分で気付いていた。そこもどうにかしたいなと思っていて、3人に同じところを言われました」と内川、鈴木、上林の3人から右打席での癖について指摘された。自主トレが終わった後も、癖の修正に励んだ。

 「教わったことを継続して、続けていって、あとは結果がついてくれば僕もうれしい。内川さん、鈴木誠也にもいい形で見せる事ができたらいいんですけど、すぐに結果が出るかは分からない。継続することによって、見えてくるものがある」。19年の春季キャンプ前にこのように話していた三家は、二軍では課題にしていた右打席で本塁打を放つなど、少しずつではあるが結果を残していった。

 「常日頃からファームにいるときから今岡監督(当時)は、ファームの選手みんなに対して、いつ呼ばれるかわからないんだぞ。今日ファームで打った選手が一軍にいくこともあるし、常日頃から一軍と同じ緊張感を練習しておけというようなことを言われていた。今岡さんが言っていたことをいつも意識して準備はしていた。(一軍に)呼ばれる感覚はなかったが、練習では準備していた」。

 19年6月21日に2年ぶりに一軍昇格を果たす。同年7月3日のオリックス戦で、山田修義が投じた初球のスライダーを振り抜くと、打球はレフト横に抜ける二塁打。スイッチヒッターの三家が放ったプロ初安打は、自主トレから力を入れてきた右打席だった。「打席数だったら7打席目だが、年数にしたらBC入れて8年間かかっている」。

 同年7月21日の日本ハム戦では、左腕・・堀瑞輝が投じたスライダーをレフトスタンドに運ぶ嬉しいプロ初本塁打。その後も、8月1日のオリックス戦から3試合連続安打を放つなど、19年は25試合に出場して、打率.286(22−6)、1本塁打、5打点の成績を残した。

◆ インパクトをテーマに取り組んだ2020年

 20年シーズンに向けて、“インパクト”をテーマに取り組んだ。

 内川との自主トレでは、「インパクトの強さを課題をもっていくなかで、いろいろ指導していただいて、今こういう状態にあるんだなというのがわかりましたし、すごくいってよかったなと思います。こういう風になっているからインパクトがズレていたのか、そこで感じた部分は大きかったと思います」と多くのことを学んだ。

 自主トレから帰ってきた1月23日の三家の左打席を見ると、19年に比べて構えたときの肘の高さなど、若干変わったようにも見える。そのことについて聞くと、「変えたというより、インパクトを強くする風にした結果、そうなっているのかなと思います。右もそうですけど、左の方にインパクトが弱い部分があったので、教わったことを体現しようと思って、『今のはよかった』、『今のは違うな』というのを繰り返してやったのが、ああいう感じになったのかなと思います」と明かした。

 春季キャンプは二軍スタートとなったが、2月8日の楽天モンキーズとの国際交流試合に途中出場。ソフトバンク・内川聖一との自主トレ後も、インパクトに課題点を挙げていた左打席で、センター前にきっちりとタイムリーヒットを放った。「打席立ったときにインパクトのことを考えるかと言われたら、そんなことは考えていなかったんですけど、良い当たりでピッチャーの横を抜けていったので、ちゃんと捉えていないとああいう打球は出ないと思う」と振り返った。

 その後は、3月に一度一軍の練習試合に出場したが、ファームで過ごす時間が長かった。新型コロナウイルス感染者の代替選手として10月7日に昇格したが、一軍での出場はなく、課題として取り組んできた部分を一軍の舞台で試すこともできなかった。

 広島で2年、BCリーグで3年、ロッテで4年間プレーし、12月26日に現役を引退した。気がつけばロッテでプレーした期間が最も長かった。今後はスカウトとして球団に残る。

 三家は球団を通じて「スカウトとしては右も左も分かりませんが、マリーンズで活躍できる選手を見つけられるように色々なところに足を運んで情報を集めて頑張りたいと思っています」と意気込んだ。

 現役時代は一軍での出場経験は少なかったが、故障が多かった広島時代から黙々とバットを振り、ロッテに加入してからは明確に課題を持ってバットを振っている姿が印象的だった。スカウトという新たな仕事で、ダイヤの原石を発掘して欲しいところだ。

文=岩下雄太