◆ 猛牛ストーリー【第96回:齋藤響介】
リーグ3連覇を果たし、2年連続の日本一を目指すオリックス。監督、コーチ、選手、スタッフらの思いを、「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。
第96回は、ドラフト3位の新人・齋藤響介投手(18)です。二軍戦で好投し、26日の本拠地での西武戦でプロ初登板・初先発が予定されています。
2度の大きな試練を乗り越えた高校時代の恩師の指導に応えるため、悔いの残らないように強気で攻めます。
◆ 登板は叶わずも味わった一軍の雰囲気
「早くそういう舞台に立ちたいと、さらに強く思うようになりました」
8月22日、大阪市此花区の球団施設で明るく語ってから約1カ月。その舞台に立つ瞬間がやってきた。
岩手県滝沢市出身。盛岡中央高校から、今季ドラフト3位で入団した。最速152キロのストレート、スライダーなどを武器に、ウエスタン・リーグで11試合に登板し、1勝2敗。36イニングで被安打20、奪三振32、与四死球14、防御率2.25。
初めて一軍に昇格したのは8月19日の日本ハム戦(京セラドーム大阪)。当日朝に連絡を受け、小林宏二軍監督に挨拶する時間もなく、デーゲームに駆け付けた。
点差がついた試合なら初登板の可能性もあったようだが、この日は2−1の競った展開で出番はなし。翌日も延長11回一死満塁に中川圭太の内野安打で1−0でサヨナラ勝ちという試合で、登板機会はないまま21日に登録抹消された。
サヨナラの瞬間はブルペンにいたため見届けることは出来なかったが、3連覇を目前にした一軍の雰囲気だけは味わうことが出来た。阿部翔太や山﨑颯一郎とのキャッチボールは貴重な時間だった。
「すごく緊張しましたが、2人ともキャッチボールで抜ける球がなく、勢いもすごくあって凄いなと思いました」と振り返る。
わずか2日間だけで、先輩投手らのルーティーンなどをじっくりと見て参考にする時間はなかったが、「早く自分もその舞台に上がりたいという気持ちは大きくなりました」。その気持ちをマウンドで表したのが、9月1日の阪神戦(杉本商事BS舞洲)だった。
先発し自己最長の7イニングを投げて、被安打1、奪三振7、与四球1、無失点。球数76球で、二塁を踏ませなかった。
「気持ちはいつも通り『先頭打者は絶対に出さない』『抑えてやろう』と臨みました。全体的によくて、真っ直ぐで勝負することができましたし、スライダーとカーブで組み立てることができました」と齋藤。
落ち幅が少なかったというフォークボールは3球ほど。野口恭佑に唯一の安打を許した5回一死一塁から、髙山俊を外角へのフォークで二ゴロ併殺に仕留め「ちょっとだけ落ちたので、ゲッツーが取れました」とほほ笑んだ。
球数は1回から11、9、7、9、9、15、16。「(阪神打線の)早打ちにも助けられました」と振り返ったが、岸田護投手コーチは「(早打ちになるのは)しっかりとストライクゾーンにどんどん投げ込んで来るので、(打者は)早く追い込まれてしまいますからね。プロに慣れてきたこともありますが、気持ちで強く勝負することができています」と、技術・精神両面での成長を評価した。
◆ 財産となった「高校時代の教え」
野球を始めた滝沢小学校3年から続けている「ショートアーム」。「なんとなく、この投げ方が一番しっくりときて、一度も投げ方は変えていません」という。
下半身の使い方などを教わることはあっても、フォームを指摘されることはなかったというから、指導者にも恵まれたのだろう。
プロに入って約9カ月。いつも笑顔を絶やさず、受け答えもソフト。普通、先発投手はピリピリして雰囲気で分かるものだが、齋藤は先発登板の約30分前、合宿所から球場に向かう通路で会っても笑顔で挨拶をしてくれるほど表情に余裕がある。
まだあどけなさが残る18歳だが、マウンドに立つとその表情が一変する。口元を引き締め、打者を鋭く睨む。数十分前と同じ人物とは思えないほどの集中力だ。
どこでスイッチが入るのかを聞くと「高校時代の試合では、前日にしっかりと準備をして、当日は集合した学校のグラウンドで、一人ひとりがアップをしてリラックスした状態で球場に向かいます。スイッチが入るのは、球場に着いてからですね」という。
「全体練習以外は、投手も野手も個人個人でメニューを考えて、一人でアップをするんです。監督さんが『個人で考えよう』という指導をしてくださって。オリックスのキャンプでも個人で考えて練習をする時間がありましたから、高校時代の教えは役立ちました」
その恩師、奥玉真大監督は大きな試練を乗り越えて高校野球の指導者にたどり着いた。
桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」に憧れて入ったPL学園から東北学院大学を経て社会人野球へ。父の跡を継いだ酒屋は2011年の東日本大震災で被災。迫る津波から公民館の3階に逃れ、発災3日目に自衛隊のヘリで救出されるなど九死に一生を得たが、18年には腹部に悪性腫瘍が見つかった。
手術は成功し、19年から盛岡中央高の監督に。同校からのプロ入りは、2005年の高校生ドラフトで楽天から3位指名を受けた銀次以来。齋藤は奥玉監督にとって初めてプロに送り出した選手だ。
「3連覇を果たしたチームで1年目から先発をさせていただけるのは光栄なことで、感謝しかありません」と奥玉監督。「入学時から球速はそれほどありませんでしたが、ボールの質と身体のしなやかさ、バランスのよさを感じました。佐々木敬之バッテリーコーチが育成プランを立てて、二人三脚で育ててくれました」という。
また、「普段は優しくいい子なんですが、マウンドに上がると強気にどんどん勝負していきます。遠慮せずインコースにも投げ込み、弱気なところは見せません。プロ入り後、映像で見ていると、大人の体つきになって、投球の安定感を感じます。高校時代より、ゾーンにイメージ通りに投げることができています」と成長を喜ぶ。
齋藤は奥玉監督について、「震災や病気のことは直接、聞いていませんが、野球部は全員、知っています。グラウンドには(PL学園・中村順司監督の)『球道即人道』が掲げられ、監督からは野球の技術よりも礼儀など私生活面をいろいろ教わりました。野球面では、バントやカバーリング、声掛けなど、基本的なことが重要だとの指導を受けました」と感謝する。
◆ 成長した姿を見せる時
初登板を前に、うれしい出会いがあった。
24日、練習を終え翌日先発予定のドラフト1位の新人・曽谷龍平と一緒に合宿所に帰ろうとして降りた地下駐車場で、通りかかった西武の球団職員から声を掛けられた。
「応援しているよ」。初対面の男性は、盛岡中央高校出身の伊藤和明一軍ヘッドS&Cコーチ。銀次と同級生で、盛岡医療福祉専門学校などを経て、プロ野球の世界で活躍する先輩だった。
元プロ野球選手でないためOBと知らず、どぎまぎする齋藤に「頑張れよ」と続けた伊藤さんは「チームは違いますが、後輩ですから」。宮崎キャンプから気にかけてくれていたと聞いた齋藤は「うれしかったです」とはにかんだ。
奥玉監督は、西武に知己が多い。
松井稼頭央監督はPL学園の1年後輩で、世話係だった。今春、宮崎キャンプを訪問して監督就任を祝い、PL出身の平石洋介ヘッドコーチも含めて激励してきた間柄。
また、かつてコーチを務めた富士大学出身の山川穂高や外崎修汰、佐藤龍世ら教え子が西武に在籍している。「26日は、もちろん響介に頑張ってほしいですね。イメージ通りにいかなかったとしても、成長するための結果だと思いますので、しっかりと準備をしてほしい」とエールを送った。
9月22日から秋季岩手県大会が始まり、27日には準々決勝が控えるため奥玉監督は来阪できず直接、勇姿を見てもらうことは叶わないが「しっかりと準備をして、悔いが残らないように投げたい」と齋藤。テレビを通して、恩師に成長した姿を見せる。
取材・文=北野正樹(きたの・まさき)