プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月21日だ。


第1戦を終え記者団に囲まれる長嶋。「長嶋のための日本シリーズ」の予感もあったが

 球史に残る伝説の日本シリーズについて綴る。10月21日は最終戦だが、流れを理解していただくために11日の第1戦から振り返っていきたい。

 1958年、3年連続となった巨人─西鉄の日本シリーズだ。過去2回は、巨人を追われるように去り、監督に就任した三原脩率いる西鉄が、その三原の後任として巨人監督となった水原円裕(茂)監督の巨人を2年連続で倒している。実は、2人の因縁はプロ入り前からあり、「巌流島決戦」とも言われて世間の注目も高かった。

 この年、西鉄は首位・南海に一時11ゲーム差をつけられてからの大逆転優勝。対して巨人は、本塁打王、打点王に輝いたゴールデンルーキー・長嶋茂雄に引っ張られての優勝だった。三原監督と球団フロントの確執もウワサされた西鉄に対し、雪辱に燃え、長嶋人気も盛り上がっていた巨人。「今度こそ巨人だろう」という声がほとんどだった。

宿敵・稲尾対策的中


 10月11日、後楽園での第1戦は、西鉄・稲尾和久、巨人・藤田元司のエース対決となる。稲尾はシリーズ前に発熱し、体調を崩していたというが、三原監督はそれを味方にさえ、隠した。巨人にとって稲尾は、日本シリーズのたびに煮え湯を飲まされてきた“天敵”だ。その不調をわざわざもらしてどうする、ということだろう。

 初回、巨人は二死一塁で四番の長嶋に回った。ここで右打者の長嶋は、右腕・稲尾が自信を持って投げた外角へのスライダーをなんとアウトステップしながら右翼フェンスにぶち当て、三塁打。「ショックだった。打たれるはずのない球」と稲尾。これでリズムが狂ったか、3回裏には広岡達朗にソロを浴び、4回裏にもヒットを集められると、早々に降板した。

 2年続けての屈辱で、巨人ナインには多かれ少なかれ西鉄への苦手意識が植え付けられていた。ただ、新人・長嶋にそれはない。初戦の戦いはそれを証明するような試合となった。

 その後、西鉄は長嶋に2ランも許し、2対9と完敗。巨人が稲尾から奪ったヒットはほぼライト方向。「大振りせず右方向を狙え」という巨人・水原監督の“稲尾対策”がずばり当たっての勝利だった。

 翌12日、同じく後楽園での第2戦は、初回で勝負が決まった。巨人打線が西鉄の先発・島原幸雄ら3投手に襲い掛かり、一挙7点。打線は大きなカーブで緩急を使った巨人先発・堀内庄に抑え込まれ、3対7で連敗となった。

巨人が早くも王手


 舞台を西鉄の本拠地平和台に移した、10月14日の第3戦は、巨人の先発・藤田のシュートが冴えた。西鉄先発の稲尾も意地を見せ、3回表、広岡のタイムリーによる1点のみに抑えたが、西鉄自慢の野武士打線がとにかく打てない。ゴロの山を築き、0対3で3連敗。早くも日本一に王手をかけられた。

 ただし、「いいピッチングができた。だいぶ調子も戻ってきた」と稲尾は自信を取り戻し、内心はうかがえなかったが、三原監督もまた、「あせることはない。まだ首の皮一枚残っている」と平然としていた。

 その夜、流れを変える“恵みの雨”が振る。

 西鉄は降りやまぬ雨に朝8時には試合中止を決定。ただ、その知らせが巨人に届いた10時ごろには、雨は完全にあがり快晴となっていた。一気に決めたかった巨人は「これは三原の策略だ!」と激怒。水原監督は、三原監督に直接電話を入れ、「これなら試合はできるじゃないか」と抗議したというが、三原監督はそれをさらりと受け流しつつ、水原監督の怒りに、巨人が3連勝しながらも余裕がないことを察知。「いけるかも」と思ったという。

 西鉄にとって、この雨の最大の効用はエースの稲尾を1日休ませられたことだ。当時連投は当たり前。先発、リリーフで使えば、あと4戦、すべてに投げさせることも可能となった。いや、少なくとも三原監督はそう思ったはずだ……。

接戦も西鉄待望の初勝利


 1日空け、16日の第4戦も流れは巨人にあった。

 先発・稲尾の立ち上がりを攻め、初回2点、2回に1点を追加。0対3とリードされたとき、いつもはにぎやかな西鉄ベンチも、さすがにお通夜のようになった。このときベンチ裏で巨人の祝勝会に準備が始まる。賞品を運ぶ物音や係員の声が西鉄ベンチに届く。

「ふざけるな! まだ、これからじゃないか」

 野武士たちの負けん気が一気に沸騰した。

 その2回裏、西鉄は巨人先発・大友工を攻め、二死満塁。代わった藤田も攻めて一気に同点とした。さらに5回には豊田泰光が勝ち越しホームラン、6回にも関口清治の犠飛で1点を追加し、5対3とする。7回表には巨人も広岡のソロで追い上げるが、その裏、豊田が2打席連続弾。稲尾は4失点ながら完投し、西鉄が6対4と勝利した。

サヨナラ弾を放ったのは……



第5戦三塁線への際どい打球をファウルとジャッジされ、猛抗議する長嶋(左。右は水原監督)

 翌17日の第5戦、西鉄は先発に西村貞朗を送るが、初回、与那嶺要に3ランを浴び、またも先制を許した。それでも二番手の島原が踏ん張り、追加点を許さない。対して巨人先発の堀内も好投し、このまま巨人が逃げ切るかと思われた。

 三原監督は0対3の4回から稲尾を投入する。“流れを変えるため”の起用だろう。期待に応え、稲尾が好投を見せると、打線もようやくエンジンがかかり、7回に中西太が2ランで追い上げた。

 しかし8回は三者凡退に終わり、2対3で迎えた9回裏、西鉄の攻撃だった。先頭打者の小淵泰輔の打球は三塁線へ。サードの長嶋はファウルと判断したが、塁審の判定は「フェア」。長嶋が抗議しているうちに小淵はセカンドに達した。もちろん、水原監督も猛抗議するが、当然、判定は変わらない。

 ここで巨人は投手を藤田にスイッチした。続く三番の豊田は珍しく送りバントをし、走者を三塁に進めたが、中西が三ゴロで二死。打席には、このシリーズ14打数1安打とまったく当たっていなかった関口が真っ青な顔で入った。巨人ベンチは、早くも胴上げ準備で腰を浮かせていたが、関口がショートの左を抜く起死回生のタイムリーでついに同点。その後、試合は延長戦に突入した。

 勝負が決まったのは、延長10回裏。巨人はこの回から藤田に代え、大友を投入。一死後で迎えたのが、投手の稲尾だ。全力で振った稲尾のバットがとらえた打球は左翼席に飛び込むサヨナラ本塁打。西鉄は2勝3敗とした。

三原の仕掛けた心理戦?


 舞台は再び後楽園に戻り、20日の第6戦。当時、日本シリーズは前日に発表したスターティングメンバーを変えないのが不文律のようなものだったが、三原監督が試合当日になって負傷を理由に玉造陽二を花井悠に代えたことで水原監督が激高。コミッショナーに抗議し、急きょ行われた両軍の話し合いでは「卑怯な真似はするな」と三原監督を怒鳴りつけた。

 試合は結局40分遅れで開始。三原監督の“狙いどおり”か否かはわからないが、待ち時間でリズムを狂わせたのは、1回表は守備側となる巨人だった。遊撃の名手、広岡のまさかの悪送球で走者を許すと中西が先制の2ラン。

 それでも、その後は巨人先発・藤田が立ち直り、西鉄先発の稲尾と見ごたえのある投手戦を演じる。両軍のスコアボードに「0」が並んだ。

 9回裏二死一、三塁で迎えたのが、長嶋だった。三原監督は敬遠のサインを出したが、稲尾は拒否して勝負を選び、捕邪飛に打ち取り、2対0の完封勝利。ついに3勝3敗となった。

 宿舎で三原監督は稲尾を呼び、「あすは分かっているな」と言い、稲尾は迷いなく「はい」と答える。もちろん、翌第7戦の先発だ。

奇跡のドラマ完結



4勝1敗でMVPにも輝いた稲尾

 迎えた21日の第7戦。巨人は先発マウンドに堀内を送ったが、流れは完全に西鉄だった。初回いきなり中西が3ラン。水原監督はたまらずマウンドに藤田を送るも、5回表に守備の乱れもあって2点を失い、さらに8回には稲尾の犠飛で西鉄が1点追加。勝負を決めた。

 前日完封、第3戦から5連投の稲尾の疲れは、すでに限界を超えていた。握力がなくなり、気づかぬうちにボールをポトリと落としてしまうシーンもあったが、「逆に無心になれた」と振り返る。8回まで巨人のスコアボードに「0」を並べ、迎えた9回裏の先頭打者が長嶋だった。ここで長嶋の打球はセンター方向への強烈な打球。センターが突っ込み過ぎたこともあって脇を抜ける。

 このときの長嶋は速かった。瞬く間にダイヤモンドを1周し、ホームに滑り込み、ランニングホームランだ。

「センターがボールをそらしたのが見えた。スタンディングでもセーフは分かっていたんですが、僕は滑り込んだ。負けるのは分かってましたから、そのはけ口でした」と振り返る。

 燃える男・長嶋の怒りのスライディングだった。

 試合はそのまま6対1で西鉄の勝利。3年連続で巨人を破っての日本一だ。引き分けなしでの日本シリーズの3連敗からの4連勝は当時史上初。その後も1989年までなかった。

写真=BBM