10年ひと昔と言うが、それだけ年月を重ねればプロ野球のチームも様変わりしてしまう。ここでは年末特別企画として、10年前、2007年のペナントレースを12球団ごとに振り返っていこう。

【2007年度チーム成績】
落合博満監督
セ・リーグ2位
144試合 78勝 64敗 2分 勝率.549

【BASIC ORDER】
投手 中田賢一(先発)
投手 岡本真也(中継ぎ)
投手 岩瀬仁紀(抑え)
捕手 谷繁元信
一塁 T.ウッズ
二塁 荒木雅博
三塁 中村紀洋
遊撃 井端弘和
左翼 森野将彦
中堅 李炳圭
右翼 福留孝介

“本当の強さ”はまだ……」



落合竜3度目の日本シリーズで悲願達成。完全試合リレーで地元・名古屋で日本一を達成した

 日本ハムに4勝1敗でリベンジに成功――。山井大介から岩瀬仁紀へとつなぐ劇的な“完全試合リレー”で、中日は53年ぶりの日本一を見事に完結させた。さらに、苦しみながらも初のアジアシリーズを制覇し、2007年シーズンに幕を下ろした。12球団では最も多くの試合をこなし、その最後も笑顔で締めくくった。

 だが、そんな栄光の陰で、チームが最初の目標として掲げていた、球団初の「リーグ連覇」を達成することはできなかった。ペナントレースでは巨人、阪神と熾烈な三つ巴を演じた。そして、ゴール目前で巨人との一騎打ちになったが、先に力尽きてしまったのは中日のほうだった。

 屈辱の2位フィニッシュ。結果的には、この悔しさをエネルギーに変えることによってクライマックスシリーズで阪神、巨人を相手に無傷の5連勝で勝ち抜き、日本一へと駆け上がったとも言える。だが、落合博満監督は「就任4年の中で、今年が一番、選手の動きが悪かった」と振り返った。短期決戦では勝ったが、指揮官が求めていた“本当の強さ”には、まだまだ課題が残っていたと言えるだろう。

 その裏には、落合監督が07年の戦力に寄せていた大きな期待があったからでもある。韓国を代表するヒットメーカー・李炳圭を補強し、中村紀洋もテストの末に迎え入れた。「今年のキーマンは李。アイツをどの打順で使うかで、攻撃のバリエーションも変わってくるだろう」と、落合監督も自信をのぞかせていた。

 だが、いざフタを開けてみると、そのキーマンが不振にあえいだ。助っ人のほとんどがその壁にぶち当たるのと同様に、李も日本の投手が多投する低めの変化球にバットがクルクルと回った。チームの課題でもあった攻撃力。もちろん、李の問題だけではない。荒木雅博はケガなどで2度の二軍落ち。不動の三番・福留孝介も7月24日に登録抹消になり、戦線を離脱した。

 そんな戦力ダウンを、立浪和義が代打で存在感を示し、主砲のT.ウッズを軸に中村紀と森野将彦が踏ん張ってカバーしたが、やはり打線が思うようにつながらないという弱点は、解消することができなかった。

踏ん張った先発右3枚



8月3日の横浜戦(横浜)で通算100勝を達成した川上

 ならばと、自慢の投手陣を中心に中日は白星を重ねていった。ベテランの山本昌の不調は誤算だったが、エース・川上憲伸、朝倉健太、中田賢一の右3枚が踏ん張った。特に中田はチームトップの14勝を挙げる成長を見せた。加えて5月から小笠原孝が、7月から山井が先発ローテに定着し、試合を作った。

 もちろん、守護神・岩瀬の存在も大きかった。史上2人目となる9年連続50試合登板を果たした鉄腕は、やや不安定な投球を見せたこともあったが、最終的には史上初の3年連続40セーブという圧巻の仕事ぶりだった。

 また、シーズン序盤こそ、ミスの目立った守備面でも、中盤以降は英智が右翼に収まり、遊撃の井端弘和を中心に安定感を取り戻した。

 8月以降は、とにかく我慢の戦いだった。阪神とは対照的に、大きな連敗はないが大型連勝もない……という戦い方に終始した。そして迎えた勝負の10月。そこに新たな課題が見つかった。長いシーズンといえども、どのチームにも「絶対に落としてはいけない試合」は必ず存在する。だが、天王山といわれた9月26日の巨人戦(東京ドーム)に敗れるなど、07年の中日は“その試合”をモノにすることができなかった。

 アジアシリーズを制覇した翌11月12日。唯一無二の存在でもある福留がFA宣言してカブスへ。その穴を埋める戦力として西武の和田一浩をFA補強。新たな形で08年の戦いに挑むことになった。

写真=BBM