東芝時代に背負った『17』を着け、2018シーズンは新天地・オリックスで決意の40セーブに挑む

 迷いはなく、即答だった。2018年の目標を問うと「40セーブです」と増井浩俊はきっぱりと言った。

“数字は挙げない”という選手も少なくはない。数字ばかりを追い求め、自らを見失い、調子を崩す。そんな悪循環を避けるべく、地に足を着けて一歩ずつ進むためだが、右腕は自らの経験から「目標を立てることは大事」と感じている。

 そもそも目標を立てるタイプではなかった。明確に目指す場所を定めたのは、東芝に所属していた社会人3年目の2009年のことだ。

「僕はエースではなかったですし、大した投手でもなかったんです。それでも『来年、絶対にプロに行く』という目標を立て、チームメートに伝えました。口にすることで意識も高く持てるし、言ったからには達成しないといけない。だから、あの1年間は必死で野球に取り組みました。そこからですね。目標を立てる大事さを感じたのは」

 静岡高時代は甲子園出場なし。駒大では東都大学リーグ通算8勝12敗の成績で、東芝でも当時エース・磯村秀人の陰に隠れていた。

 だが、目標を掲げた09年、ボールのキレと制球をより磨くと、実力が開花。都市対抗で2試合の先発を任されるまでに成長すると、同年9月のワールドカップ日本代表にも選出。ドラフトで日本ハムから5位指名を受け、掲げた場所にたどり着いた。

 先発、救援、そして抑えと複数ポジションで結果を残してきたプロ入り後の活躍は周知のとおり。そして、15年のプレミア12、17年のWBCにも名を連ね、今や日本を代表する投手となり、そして今オフに「本当に悩んだ」末にFA移籍を決断した。その背景にはこんな思いがある。

「自分を成長させるためにも、いろんな経験をしたほうがいい。1つのチームで長くやるよりも、違うチームでやることで得られること、感じることがあると思うんです」

 成長とは自らの殻を破ること。だからこそ、15年にマークした39セーブを上回る“キャリアハイ”の「40」を掲げる。

 奇しくも、オリックスで背負う番号は、東芝時代と同じ『17』だ。阪急・オリックスでは、かつて山田久志氏が着けた偉大な番号に「何番でもよかったんですけど、こんなに良い番号をいただけて感謝しています」と言いながら、9年ぶりに背負う番号に「親しみもある」と笑顔を見せた。

 プロ入りを手繰り寄せた社会人時代と同じ“17”を背負い、チームを勝利に導くべく、掲げる40セーブへ。新天地でも信念を貫き、自らを成長させていく。

文=鶴田成秀 写真=BBM