イチローキラーとも言われていた当時の下柳

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月24日だ。

 鉄腕・下柳剛。阪神時代の2005年には最多勝にも輝いている左腕だが、1991年に入団したダイエーでは、まずはリリーフで頭角を現した。96年から日本ハムに移籍し、2年目の97年は61試合に投げ、先発1試合のみ、ほかはすべてリリーフながら規定投球回にも到達し9勝を挙げた。

 そのオフ、下柳の交渉はもめにもめた。2回の交渉で、いずれもサインを拒否。カッカした様子から「越年、いやキャンプボイコットもありでは」と言われていた。

 それでも3回目となった12月24日、クリスマスイブにようやくサイン。目安にしていたらしい1億円を超え、推定1億500万円。さらに2年の複数年契約、出来高もついた。

「中継ぎという仕事をきちんと評価してくれた。今度から連投にもきちんとポイントがつくというし、ありがたいことです」と下柳。当時の球界では中継ぎに対する評価が低く、それに対する不満も大きかったようだ。

 ただ、この日サインする気はまったくなく、実印も家に置いてきたらしい。「拇印じゃまずいと言われ、球団にあった三文判で押しました」と記者たちを笑わせた後、「サンタさんはおるんやねえ。いい子にしておいてよかったよ」とニヤリ。

写真=井田新輔