背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

原点は伝説の豪傑



巨人・森昌彦

「昨年までキャッチャーをやっていました。今年から捕手をやらせてもらいます」

 戦局の悪化により球界からカタカナを追放しようということになった1941年の開幕前、激励会でエスプリの効いた……もとい、才気煥発な挨拶で、暗い時代に爆笑を誘ったのが、巨人の吉原正喜だ。こんな性格だから誰からも愛され、試合では闘志あふれるプレーで豪快伝説には事欠かず。熊本工でバッテリーを組んでいた川上哲治とともに入団したが、のちの“打撃の神様”も吉原の“おまけ”だったと言われる。だが、この年のオフ、応召して大陸へ。44年、ビルマで玉砕した。

 戦後、森昌彦に継承されて、巨人はV9という空前絶後の黄金時代を謳歌、「27」は球界に捕手の背番号として普及し、チームを問わず多くの名捕手が「27」を背負った。その起源は、巨人の初代でもある吉原だろう。

【12球団主な歴代背番号「27」】
巨人 吉原正喜、森昌彦、二宮至、福王昭仁、宇佐見真吾☆(2018〜)

阪神 松広金一、若生智男、嶋田宗彦、山田勝彦、尾仲祐哉☆(2018〜)

中日 伊藤四郎、水谷伸久(寿伸)、大河原栄、谷繁元信、大野奨太☆(2018〜)

オリックス 沖克己、戸倉勝城、中嶋聡、日高剛、アルバース☆(2018〜)

ソフトバンク 河西俊雄、服部武夫、門田博光、吉永幸一郎、細川亨

日本ハム 深見安博、皆川康夫、大宮龍男、川名慎一、中嶋聡

ロッテ 三宅宅三、八木沢荘六、牛島和彦、古谷拓哉、山本大貴☆(2018〜)

DeNA 佐々木吉郎、平松政次、竹田光訓、田辺学、久保康友

西武 関口清治、竹之内雅史、伊東勤、細川亨、炭谷銀仁朗☆

広島 長谷部稔、山本浩司、金城基泰、原伸次(伸樹)、會澤翼☆

ヤクルト 町田行彦、根来広光、加藤俊夫、大矢明彦、古田敦也

楽天 小倉恒、河田寿司、岡島豪郎
(☆は現役)

名捕手の宝庫



西武・伊東勤

 司令塔として黄金時代を支えた伊東勤の後継者となった炭谷銀仁朗を筆頭に、西武ではその系譜は現在も続いている。

 古田敦也を最後に欠番となっているヤクルトでは、大矢明彦も長く背負った正捕手ナンバーで、後継者の成長を待つ。

 谷繁元信はFAで移籍した中日で初めて「27」となって、古田と同様に監督としても着け続けた。その中日はFAで日本ハムから大野奨太を迎えて後継者とし、大野も初めて「27」の重責を背負う。中嶋聡を筆頭に「27」のままチームを渡り歩いた名捕手も少なくない。

 捕手では“ゴール”とも言える「27」だが、好打者の“スタート”となったケースもある。広島の山本浩二(浩司)、南海の門田博光は「27」でキャリアをスタートさせ、球史に残る長距離砲に成長した。

 古くは大下弘とのトレードという形で52年の開幕後に西鉄から東急へ移籍して「27」となり、史上唯一の2チームにまたがる本塁打王に輝いた深見安博もいる。西鉄からクラウンにかけて背負い続けたのが変則打法の“死球王”竹之内雅史だ。

 少数派の投手では、2投手が完全試合を達成している。規定投球回到達のために登板した試合で達成した八木沢荘六のロッテでは、先発でも結果を残したクローザーの牛島和彦、2010年の“史上最大の下剋上”に貢献したセットアッパーの古谷拓哉らがリレー。1安打でも許せば降板という“偵察登板”の予定が1人の走者も許さないまま達成した佐々木吉郎の大洋では平松政次が継承して通算200勝。「27」の系譜では異彩を放つ存在だ。

写真=BBM