「何苦楚魂」で駆け抜けた生き様



NPBの新人研修会で力強いメッセージを送った岩村

 1月11日、東京都内でNPB(日本野球機構)の新人研修会が行われ、現役時代にヤクルト、メジャー・リーグで活躍したBCリーグ福島ホープス監督・岩村明憲氏が講師役を務めた講義で最後に力強い口調でメッセージを送った。

「貪欲に野球の勉強を重ねれば、僕よりはるかに高いプロ意識を持ってくれるんじゃないかなと思う。これから君たちが日本の野球界のリーダになる。その先にWBC、東京五輪がある。下積みの時間をムダにせず大事にやってほしい」

 岩村は昨年限りで21年の現役生活に幕を下ろした。宇和島東高では捕手だったが、プロ入り後は三塁へのコンバートを命じられた。尊敬する池山隆寛(現楽天二軍監督)という大きな壁を乗り越えて定位置を獲得。2004年には44本塁打を放つなど同年から3年連続30本塁打以上と活躍した。海の向こうの米国に渡ると08年にはレイズで二塁の定位置をつかみ、ワールド・シリーズ進出に貢献。日本球界を経由してメジャーでの活躍を夢見る選手たちは多い。真剣なまなざしで耳を傾ける新人たちの姿が印象的だった。

 講義で何度も強調したのが「プロ意識」の重要性だった。05年8月26日の横浜(現・DeNA)戦(神宮)。同日未明、母・美千代さんが肺ガンで58歳の若さで亡くなり、一睡もせずに試合に臨んだ。若松勉監督(当時)は実家に戻るように命じたが、「プロとして目の前の試合を放棄することはできないし、母もそんなことは望んでいないと思った」と試合に出場して5回に勝ち越し2ラン、7回にも2打席連続のソロ本塁打と勝利に貢献。岩村は当時を振り返り、新人たちにこう訴えたという。

「心ここにあらずの人間がなかなか集中できない。亡くなった母親が『あんたよかったよ。残ったら正解だよ』と結果で教えてくれたんじゃないかなと思っている」と話した後に一呼吸おいて続けた。

「後悔もあります……母親の顔、寝てる姿を見てやりたかった。でも亡くなっても自分のバットで(ファンを)喜ばせるのは選手しかいない。君たちがこういう状況になるのもゼロじゃない。もちろん帰ってほしい。そんな不幸話はいらないけど、どちらかを選択しないといけない。プロ意識です」

 愛する母親との別れに立ち会わずに試合に出て本塁打を打ったことを美談にしたいわけではない。プロ野球選手として周囲に与える影響力の大きさを考えた上で、悩み抜いての決断。そのプロ意識を伝えたかった。

「また20年後に『オレらが新人研修のときに岩村が来たな』って覚えてもらうように響く言葉を考えていたけど特別な言葉はない。ネガティブな発想は簡単。ポジティブに前向きにやってほしい。『天然やろ』と思われるぐらいポジティブでOK。例えば打撃で悩んでいるといろいろな指導者がいろいろ言ってくる。真面目に全部聞いていると頭でっかちになって打席でバットが振れなくなる。イップスに陥る。不調のときはシンプルに物事を考えること。その人が乗り越えられるから与えられる試練、壁だと思う」

 尊敬する中西太氏から受け継いだ「何苦楚(なにくそ)魂」で駆け抜けた岩村の生き様、その言葉はプロの世界に飛び込む新人たちの心に響いたに違いない。

記事提供=ココカラネクスト編集部 写真=BBM