背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

控えの捕手ナンバー



西武・大久保博元

 現役でも捕手が多いナンバーだ。ただ、いずれも不動の正捕手とは言えず、これは系譜においても同様。巨人で大ブレークした大久保博元も、西武の二軍で不動の四番だった時代の番号だった。

 西武の系譜は異色で、西武となって初の日本一に貢献した助っ人のテリーもいるが、さかのぼるとコーチのナンバーに。花井悠が現役引退後も「45」のままコーチとなったためで、戦前から選手としてプレーしていた鬼頭政一コーチが継承、1969年には指揮も執った。

 南海で野村克也の陰に隠れていたのが柴田猛で、のちにヤクルトで監督を務めた野村をコーチとして支えている。

【12球団主な歴代背番号「45」】
巨人 太田敏彦、小川邦和、角三男、岡崎郁、今村信貴☆

阪神 川藤幸三、ゲイル、パリッシュ、清水誉、藤谷洸介☆

中日 柿本実、水谷則博、栗岡英智、森田幸一、杉山翔大☆

オリックス 太田枝雄、宇野輝幸、米村理、五島裕二、飯田大祐☆

ソフトバンク 柴田猛、山田勉、岡本克道(劼能)、トゥーシェン(李杜軒)、谷川原健太☆

日本ハム 嵯峨健四郎、佐々木貴賀、増渕竜義、今浪隆博、平沼翔太☆

ロッテ 得津高宏、横田真之、堀幸一、定詰雅彦、宗接唯人☆

DeNA 篠田荘平、奥江英幸、大久保弘司、福本誠、綾部翔☆

西武 花井悠、テリー、大久保博元、水田圭介、本田圭佑☆

広島 岡義朗、ランス、高橋英樹、松本高明、桑原樹☆

ヤクルト 鈴木康二朗、角盈男、山本樹、日高亮、ハフ☆(2018〜)

楽天 新里賢、川井貴志、菅原秀☆
(☆は現役)

ロッテでは打者の出世番号



ロッテ・堀幸一

「45」の苦労人も多い。筆頭は巨人の岡崎郁だろう。進学を希望しながら長嶋茂雄監督の説得で入団も、胸膜炎で一時は任意引退に。療養を経て復帰すると“恐怖の六番(七番とも)打者”として一軍に定着、「5」へと巣立っていった。

 巨人には、“ライオン丸”シピンの加入で「11」を剥奪されて「45」となったものの、60試合に投げまくって新人王に輝いた1年目の角三男(のち盈男)もいる。左の変則サイドスローという印象が強いが、当時は荒れる速球が武器のオーバースロー。1年だけ在籍した3チーム目のヤクルトで「45」を着けて引退した。ヤクルトでは若手時代の鈴木康二朗も着けていたナンバーだ。

 角と同様に「45」で1年目からブレークしたのが中日の森田幸一。その中日と阪急の2チームで「45」を着けたサイドスローが柿本実で、「20」だった南海では芽が出ず、中日で「45」となって腕を下げると、移籍2年目から2年連続で20勝を超えた。

 20勝投手では東映で64年に21勝を挙げた嵯峨健四郎もいる。ただ、注目を集めたのは打撃で、連続シーズン90打席無安打は現在もプロ野球記録。とにかく打てず、投球ではなく打撃に悩んで胃腸炎にもなった苦労人だ。

 いずれも着けた期間は短かったが、投手では楽天で星野仙一監督から「困ったときのボブ」と言われて谷間の先発で初優勝、日本一に貢献した川井貴志が足かけ11年と長い。

 ロッテの「45」は出世ナンバーだ。60年代から90年代にかけて得津高宏、横田真之、堀幸一と若手時代の好打者が並ぶ。94年に正捕手となり、のちに移籍した阪神で「45」に戻して引退した定詰雅彦を経て、2013年に田村龍弘が継承。「45」で不動の正捕手となって、17年から「22」を背負っている。

写真=BBM