兄、森下の無念を背負って



大分商高の147キロ右腕・川瀬堅斗は思い入れのあるブルペンで、練習を続けている

 一塁ファウルグラウンドにある三カ所ブルペンの左端は、大分商高野球部の聖域だ。歴代エースが投げてきたプレートには、汗と魂が詰まっている。

「笠谷(笠谷俊介、ソフトバンク)さん、マサト君が投げてきた場所です。自分も背番号1を着けた1年秋以降、引き継いで使わせてもらっています」

 147キロ右腕・川瀬堅斗が「マサト君」と親しみを込めて呼ぶのは今秋、広島からドラフト1位指名を受けた同校OBの明大・森下暢仁である。川瀬の兄・晃(ソフトバンク内野手)と、森下は大分商高で同級生。2人は1年夏、控え選手として甲子園に出場しているが出場機会なし。弟は当時(小学5年生)から大分商高のグラウンドに足を運んでいた。

 現在の担任(情報処理科)でもある渡邉正雄監督からこう言われたメッセージを、川瀬を片時も忘れたことはない。

「大商(ダイショウ)に来て、一緒に甲子園に行こう!!」

 主将だった兄は3年夏、県大会決勝で敗退。以来、川瀬は兄、そして森下の無念を背負って野球を続けてきた。中学時代に在籍した湯布院ボーイズでは135キロを計測。県内の強豪私学からも声がかかったが、川瀬の信念がブレることはない。2017年4月、大分商高に入学。父のように慕う、渡邉監督との高校3年間が始まった。1年秋からエースとなったが、11月に腰の疲労骨折が判明。復帰までの約7カ月は走ることもできず、つらい日々であったが、体幹トレーニングや食トレに励んで体重5キロ増の81キロとたくましくなって戦線に戻ってきた。

 復帰すると最速147キロを計測。夏の県大会前には森下が母校へ訪れ、川瀬を直接指導している。「マサト君は自分にとって師匠のような存在です。投球フォームをはじめ、チェンジアップの抜き方など、丁寧に教えてくれます。日ごろから、LINEでアドバイスをしてもらっています」。森下とは兄のように接してきた。森下も弟のように川瀬をサポートしてきた。こうして迎えた夏の県大会では主戦で投げたが、藤蔭高との決勝で惜敗して、甲子園にあと一歩、届かなかった。実際のところ夏に間に合わせるのが精いっぱいであり、猛暑の中で体力が限界だったという。

偉大な先輩からも力を


 2年秋の新チームからは主将に志願した。投手ながら負担のかかる役職に就いたのも、森下の影響が大きかった。明大で主将に就任すると、抜群のリーダーシップで今春は東京六大学リーグ戦で優勝、そして全日本大学選手権でも38年ぶりの日本一へと導いた。川瀬も背中で、チームを引っ張っていく覚悟を決めたのだ。今秋は県大会準優勝で、九州大会では1回戦(対大崎高)で3失点完投すると、初の連投となった翌日の2回戦(対福岡第一高)も2失点で一人で投げ切っている。

 九州大会4強。センバツの一般選考枠は「4」であり、この時点で出場に有力な立場としていた。しかし、準決勝の試合内容によっては「微妙」となってしまう。川瀬は未知の世界である3連投を申し出て、中1日の準決勝(対鹿児島城西高)を3失点完投した。さすがに明豊高との決勝では登板回避し、大分商高は5対13で敗退。しかしながら、23年ぶりのセンバツは当確と言っていい。

 前回出場時、1997年の主戦投手は「鉄腕・安達」と言われた安達公則投手だった。同校卒業後は九州国際大、東京ガスで活躍し、同社コーチも務めたが、今年8月に39歳で急逝した。

 渡邉監督はこの秋、ピンチを迎えるたびに空を見た。

「川瀬に勝たせてください、と。何度も天国にいる安達さんに助けられました。春夏連続で甲子園に出場する夏の準々決勝(対別府大付高)で、安達さんは延長18回を投げ抜き(284球)、翌日は完封(117球)。大商にとって伝説の投手から力をもらいました」

 九州大会準優勝は安達さん以来、23年ぶり。川瀬も大先輩に対して、思いを寄せる。

「お会いしたことはありませんが、父からは話を聞いていまして、以前から知る尊敬する先輩です。安達さんの分も甲子園では活躍して、センバツが決まれば、ベスト8の壁を越えられるように頑張っていきたい」

 大分商は春夏を通じて20回の甲子園出場を誇る古豪。過去最高成績は春1度、夏4度の準々決勝進出であり、川瀬は歴史を塗り替えようと、冬場も黙々と練習を重ねている。来春には150キロ突破が目標。卒業後の進路はプロ志望で「兄、マサト君と同じ舞台でプレーするためにも、努力を続けたい」。歴代エースが踏み締めた一塁側ファウルグラウンドのブルペンで、鍛錬を続けていく。

文=岡本朋祐 写真=BBM