一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

広島・松田恒次オーナー死去



表紙は巨人・堀内恒夫


 今回は『1970年12月7日特大号』。定価は90円。
 前回と同じ号からもう1回、出す。
 現在NPBで導入が進む現役ドラフトの元祖の話だ。

 11月19日、東京・日生会館で「プロ野球選抜会議」が行われた。
 要は力がありながらチーム状況もあって出番の少ない男たちに移籍でチャンスを与えようという制度。ロッテの永田雅一オーナーが提案し、「十二球団の戦力均等を図る」という目的もあった。

 12球団が供出したリストは130人(非公開)。ただ、これがかなり低調に終わった。
 ウエーバー順で行われたが、同年の参加報酬プラス200万円と決まっていた1巡目の指名はゼロ。プラス100万円の2巡目からようやくチラホラ出始めた。
 広島・根本陸夫監督は、
「ウチが出した選手も全部残り、うちがほしい選手は一人もいなかった」
 と話していた。実際、広島、東映、西鉄は一人も指名していない。

 一番の成功と言われたのが、一時はヤクルトのクリーンアップも打った高山忠克を取った阪神だった。
 まあ、この選手は……だが。
 
 本当に使える選手がいなかったのかは正直謎。当時、おそらく他球団の二軍選手の情報はあまり知らなかったのでは、と思えるからだ。

 実質的にもっとも得をしたと言われたのは、南海だ。野村克也兼任監督が指名したのは、ほぼブルペン捕手だったロッテ・里見進。そのときロッテ・濃人渉監督は明らかに渋い顔になった。
 野村は「うちは控え捕手がいなかったからね。こういう縁の下の力持ち的な選手は必要だよ。僕は初めからそんな大物選手は出ないと思っていた。だから大収穫と言っていいよ」と話していた。当時専門のブルペン捕手はおらず、若手かベテランのほぼ出番のない選手が務めていた。
 ただ、野村の真意はもう少し深いのでは、と言われていた。

 里見は、一軍実戦の戦力にこそなっていないが、ロッテの誇る三本柱・成田文男、木樽正明、小山正明の陰の恋女房。球をたっぷり受けて特徴も知り尽くす。
 さらにいえば、この男、バッティングピッチャーも務め、ロッテの強力打線を支えていたという。ロッテの打者たちは「コントロールはいいし、球質もバッティングピッチャーにもってこいなんだ」と話していた。

 里見にはロッテの投打の情報がたっぷり頭に入っていたはずだ。南海は優勝に向け、最大の強敵から陰の功労者をゲットしたともいえる。
 ただ、不思議なのは、里見が1年でロッテに戻っていることだ。のちの号で理由が出てくるかもしれないが、深読みすれば推測はある。

 プロ野球の世界でブルペン捕手は日陰の存在だが、性格のいい人が多い。野村─ブレイザーから情報を根掘り葉掘り聞かれても、それに答えなかったのではないか。
 聞き出したとしたら逆に1年で戻した意味が分からない。

 1970年11月15日、広島の松田恒次オーナーが死去した。
 それまで赤字だった広島を黒字に変えた伝説的オーナーだ。
 死因は肺感染症と関節リュウマチと書いてあった。
 根本監督は、
「何をどう言っていいのか分からん。あまりにも突然だ。自分のオヤジに死なれたように悲しい」
 と沈痛な表情で語った。
 
 では、また月曜日に

<次回に続く>

写真=BBM