一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

太田幸司が脅迫された?



表紙は広島・佐伯和司


 今回は『1971年2月15日号』。定価は80円。
 
 前回と同じ号から行く。
 感動の永田雅一のスピーチの舞台裏のような話だ。

 永田がロッテを移譲することを決めたのは別れのスピーチの前日の1月24日だった。
 東京スタジアム内の会議室で、永田オーナー、中村長芳オーナー代理、武田球団社長、森口、三浦取締役が出席した。
 ここで永田から「大映再建のため、ロッテ製菓に経営を肩代わりしてもらうしかない」と説明。一同了承し、永田の辞表を受け取った。
 
 大映本社の累積赤字は40億円以上。この赤字を少しでも解消するために、永田オーナーが持つ球団の53パーセントの株をロッテに譲渡し、経営を肩代わりしてもらうしかない、という説明だった。

 ロッテはすでに7億円(一説には10億)を無利息、無期限という条件でオリオンズに貸していたが、さらに全面経営となると15億円はかかると言われていた。

 ロッテ製菓の中にはリスクの大きい球団経営に対する反対意見のほうが大きかったが、仲介に入った岸信介元首相へ配慮もあり、重光オーナーが引き受けるべし、と決断した。
 ただ、重光オーナーは「資金は出しても野球経営に乗り出すつもりはない」と、球団のオーナーとはならず、新しいオーナーは中村オーナー代理が就いた。

 永田オーナーのお別れ会見の直後、中村新オーナーの会見も開かれ、
「私は12球団一、若いオーナーだと思います。若さと実行力については誰にも負けないと思っています」
 とあいさつした。

 永田との確執があった濃人監督は、
「永田さんがオーナーをやめられ悲しくてたまらない。とかく私が永田さんを裏切ったように言われるが、そんな単純なものではない。永田さんへの恩は忘れていない。ただ、現実問題として4月6日の帰国だけは何とかならなかったか」
 ロッテはこの年、指宿キャンプの後、SFジャイアンツの招待もあってアリゾナキャンプが決まっていたが、帰国予定が4月6日、開幕は10日だった。

 話を変える。 
 1月22日、小比類巻三沢市長に「白鳥を殺した三沢市民の猛省をうながすため、太田の右腕を折る」という脅迫状が届いた。
 近鉄2年目の太田幸司である。
 書かれている内容からは事情がよく分からないが、それは太田も同じだったようだ。
「羽曳野署の人が来て十分注意するようにと言われましたが、僕と白鳥は何の関係もありません。なぜ僕が脅迫されなくてはいけないのか。有名税にしたってひどすぎる。三沢に白鳥がいることすら僕は知らなかったのに」
 と話していた。しばらく私服警官が太田の周辺を警備していたという。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM