歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

追いつめられた歴戦の江夏



広島・江夏豊(1979年撮影)

 1988年の最終戦ダブルヘッダー、いわゆる“10.19”で近鉄が優勝を逃したことについては紹介した。どんな優勝もドラマチックなのだが、その点で突出しているのが近鉄。しかも、頂上決戦で敗れた場面ほど印象に残るチームでもある。21世紀に入って北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁本塁打で最後のリーグ優勝を決めたが、もしかすると、それ以上に“10.19”、そして79年の日本シリーズ第7戦(大阪)における惜敗は語り継がれるのではないか。それは近鉄ファンだけでなく、多くの野球ファンを感動させた名勝負ということでもあるだろう。

 その79年、近鉄は創設30年目にして初のリーグ優勝。もちろん日本シリーズ進出は初めてだ。対するは2度目の進出となる広島。そして3勝3敗で迎えた第7戦は、1回表に広島が1点を先制、3回表にも1点を追加するも、近鉄も5回裏に2点を奪って同点に。だが、続く6回表には広島も2点を加えて、ふたたび2点リード。その裏には近鉄も1点を返して、反撃を開始する。広島は7回裏の途中から江夏豊、近鉄は8回表から山口哲治と、それぞれの抑えの切り札を投入。一転、投手戦となっていく。

 その均衡が崩れたのは9回裏だった。近鉄の猛追を振り切って広島が初の日本一を決めた、というように、この9回裏を簡単に紹介することもできよう。この9回裏に江夏が投じた球数は、21球。これこそが今も語り継がれる凝縮された頂上決戦のドラマなのだ。最終的な勝者は広島、そして江夏だ。だが、21球のうち19球までは、近鉄の日本一を予感させるものだった。

 まず1球目。江夏がカウントを取りにいったストレートを、六番の羽田耕一がセンター前へ。近鉄の西本幸雄監督は代走に“足のスペシャリスト”藤瀬史朗を送る。続く七番はアーノルド。江夏は外国人打者への定石どおり、ボール球から入った。2ボール1ストライクからの4球目、つまり、この回の5球目。藤瀬が二盗を敢行する。江夏とバッテリーを組んでいたのはベテランの水沼四郎。その送球はワンバウンドし、遊撃の高橋慶彦が止められず、中前へ転がる。藤瀬は三塁へ進み、3ボール1ストライクとなったところで、江夏はアーノルドとの勝負を避ける。アーノルドは見送り一塁へ。西本監督は代走に吹石徳一を、広島の古葉竹識監督はブルペンに池谷公二郎と北別府学を送る。ともに79年シーズンは2ケタ勝利で優勝に貢献した右腕。これに江夏は「ワシを信頼しとらんのか!」と激怒する。そんな江夏に歩み寄ったのが一塁手の衣笠祥雄だった。

江夏の不屈、近鉄の不屈



一死満塁、石渡に投じた2球目、カーブの握りでウエスとしてスクイズを阻止した

「お前がやめるときはワシもやめてやる」という衣笠の言葉に落ち着きを取り戻した江夏だったが、八番の平野光泰への3球目、この回9球目に吹石が二盗。走者が三塁にいるため水沼は二塁へ投げられず、無死二、三塁に。広島バッテリーは満塁策を取り、平野を敬遠。広島の内野陣はマウンドに集まり守備位置を確認する。必死に笑おうとしたプロ13年目、歴戦の江夏だったが、ひきつった顔しかできなかったという。続いて、代打の佐々木恭介。1ボールからの2球目、この回13球目を佐々木は見送ってストライクとなっているが、これが「今でも夢に見ることがある」と佐々木が悔やむ見送りだった。最後は空振り三振。なおも一死満塁、打順は一番に戻って、打席には石渡茂。その2球目が、この回の19球目だった。江夏の右足が上がった瞬間、三走の藤瀬が走り出し、石渡はスクイズの構え。とっさに江夏はカーブの握りのままウエスト、石渡はバットに当てられず、藤瀬も三本間で挟殺された。

 この19球目までは江夏が描いた不屈の物語だった。20球目、そして21球目は、近鉄が描く不屈の物語の序章が始まった瞬間だったのかもしれない。最後は空振り三振に倒れた石渡は、「なかなか忘れられるものじゃない」と悔やむが、翌80年、佐々木は自己最多の19本塁打、石渡もロッテとのプレーオフで打ちまくり、連覇に貢献している。ただ、またしても近鉄は日本シリーズで広島に苦杯。近鉄のドラマは、その後も続くことになる。

文=犬企画マンホール 写真=BBM