熱血漢。生徒のために全力で指導を続ける開星高・野々村監督は8年ぶりの現場復帰。68歳だが、気力はまったく衰えていない

 島根県高野連は4月10日、理事会にて春季地区大会(4月17〜19日)と県大会(4月24日〜5月2日)を中止すると発表した。新型コロナウイルスの感染拡大による影響である。

 3月1日付で8年ぶりに監督に復帰した開星高・野々村直通監督(68歳)は、現在の社会情勢についてこう語っている。

「日本は国難というべき、大変な事態に直面しています。当たり前が、当たり前でなくなっている。野球ができること、試合ができることが奇跡だったわけです」

 開星高の前身、松江第一高の野球部が創部した1988年からチームを率いてきた。かつては毎年、広島の江田島(旧海軍兵学校)へ連れていき、命の尊さについて指導。「今こそ生きる大切さを学ぶとき」と、生徒には技術よりも、精神的な部分の教育に重きを置く。

 野々村監督と言えば、思い出されるのは2010年春のセンバツだ。開星高は前年秋の中国地区大会で優勝し、上位進出を狙っていた。にもかかわらず、21世紀枠で出場した向陽高(和歌山)に初戦敗退。試合後、野々村監督は「末代までの恥」「腹を切りたい」と不適切発言をし、結果的に責任を取る形で辞任した。

 その後、約8000人の監督復帰嘆願の署名が集まり、翌11年4月に復帰(12年3月の定年退職で退任)した。実は8000人のうち、2000人は和歌山からだったという。当時の開星高には同県出身の部員がおり、父兄が野々村監督の“熱血ぶり”を伝えると、向陽高の父兄は理解を示し、署名に協力してくれたという。一連の不適切発言は、容認されるものではない。ところが、「毎回、命がけだった」と語るように、勝負に執着してしまうあまり、口に出してしまった不器用な感情表現だったのだ。

 生徒とは真心を込めて向き合う。美術科の元教員で、松江市内では画家として「似顔絵ギャラリー」を経営するなど、芸術家としてピュアな心を持っている。ミーティングではユーモラスな表現で、生徒たちを和ませながらも、人としての生き方を説く。12年の退任後は教育評論家として活躍し、言葉に力がある。

 グラウンドには「めざせ 日本一」の文字が掲げられていた。塩見清太主将は言う。

「監督を日本一の男にしたい。言葉一つひとつに意味がある。自分たちとしても、考える機会になっています。新型コロナウイルスできつい部分もありますが、野々村監督からの指示を土台に、チームをまとめていきたい」

 主将・塩見以下、部員たちは野々村監督の目をしっかり見て、話に聞き入り、必要なことはメモに取る。新型コロナウイルスの感染拡大により、今後も活動が制限されることが予想されるが、最後の夏を控える3年生にとっては、中身の濃い4カ月となるに違いない。

文=岡本朋祐 写真=宮原和也