読売ジャイアンツ



巨人・上原浩治

 新人年に打点と本塁打の2冠に輝き、安打数でもトップ(当時は最多安打の表彰なし)で新人王を獲得した1958年の長嶋茂雄がドラフト以前の最強。ベストナインも獲得し、ミスタープロ野球の第一歩を踏み出した。一方、ドラフト後で言えば、99年入団の上原浩治だろう。前半戦だけで12勝を挙げ、歴代4位タイとなる15連勝もマーク。最終的に20勝4敗で90年の斎藤雅樹以来9年ぶり、新人投手としては80年の木田勇(日本ハム)以来19年ぶりの20勝投手となった。最多勝はじめ投手主要4冠を達成。20世紀最後の沢村賞も受賞している。

阪神タイガース



阪神・田淵幸一

 2019年にセ・リーグ新人年間安打記録を更新して盗塁王にも輝いた近本光司、01年に打率.292、39盗塁で盗塁王を獲得した赤星憲広などがいるが、やはり右の大砲として法大から69年ドラフト1位で入団した田淵幸一が最強新人だろう。東京六大学リーグの本塁打記録を22本(当時)と大幅に更新してから、鳴り物入りで阪神へ。1年目から117試合に出場し大学時代と同じ22本塁打を放った。田淵は美しい放物線で阪神ファンを魅了。打率.226と低かったが、本塁打の印象が強くこの年の新人王を獲得。その後、75年には本塁打王を獲得するなど3代目ミスタータイガースとして活躍した。

広島東洋カープ



広島・長冨浩志

 過去に9人の新人王を出している広島だが(ほかにも佐々岡真司、小林幹英が特別表彰を受けている)、中でも最もインパクトがあったのが、1986年の新人王の長冨浩志だろう。今となっては「生意気盛りでした」とご当人は振り返るが、当時、投手王国を誇った広島にあって、シーズン当初は中継ぎなど、思うような場所で起用してもらえず、マウンドでコーチに「僕、こんなのつまんないっす」と言い放ったビッグマウス。3試合目の登板にリリーフで7回14奪三振で初勝利を挙げて実力を証明し、オールスター後に先発に入ると、150キロの速球をビシビシ決めて、シーズン終盤には8連勝の離れ業。チームが巨人とのデッドヒートを制して逆転優勝する原動力ともなった。

中日ドラゴンズ



中日・近藤真一

 1年目のインパクトで言えば、近藤真一で間違いない。1987年8月9日に達成したプロ野球史上初となる初登板ノーヒットノーランは、おそらく今後破られることのない大記録だろう。しかも社会人出身、大卒ではなく、18歳の高卒(愛知・享栄高)ルーキーが成し遂げた快挙だった。相手が巨人、ナゴヤ球場だったことも中日ファンの記憶に深く刻まれる要因となっている。この年の成績は4勝5敗と負け越し。だが、8月からの成績であり、4勝のうち完封がノーヒットノーランを含む3勝。5球団がドラフト1位で指名した逸材は、相思相愛だった中日でその実力を見せつけたのだった。

東京ヤクルトスワローズ



ヤクルト・伊藤智仁

 三菱自動車京都からドラフト1位で入団した伊藤智仁は、1年目の93年、4月20日の阪神戦(神宮)でデビュー。7回2失点で初登板初勝利を挙げる順調な滑り出しで、中継ぎもこなしながら、4試合連続完投(うち3試合完封)など投げまくった。最大の武器は、鋭く曲がるスライダー。たびたび「消える」と表現されたほど、打者の手元で突然変化した。超人的な肩の可動域も誇り、「腕が遅れて出てくる」と多くの打者がうなった。ただ、投げ過ぎがたたり、伊藤は7月に右ヒジを痛めてしまう。以後、一軍に戻ることはなかったが、この年の新人王は伊藤。デビューからの3カ月間だけで14試合登板7勝2敗、4完封、109回126奪三振に防御率0.91と、圧倒的な成績を残した結果だった。伊藤は以降もケガに苦しめられ続けたが、中継ぎとして復活し、97年にはカムバック賞も受賞している。

横浜DeNAベイスターズ



大洋・桑田武(後ろは巨人・長嶋茂雄)

 2000年に打率.346で首位打者と新人王をダブル受賞した金城龍彦を選びたいところだが、金城のこの記録は入団2年目のものであり対象外。“1年目”ということであれば、1959年の桑田武の成績が光り輝く。ルーキー史上最多の31本塁打を放ち、本塁打王と新人王を獲得した。31発は前年に巨人・長嶋茂雄が樹立した新人記録(29本)を塗り替えるものだった。松原誠、田代富雄、村田修一、筒香嘉智と受け継がれたホエールズ&ベイスターズ和製大砲の元祖だ。

写真=BBM