一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

飯島秀雄、最後の挑戦



表紙は左列上から巨人・王貞治、東映・皆川康夫、近鉄・土井正博、右列が巨人・長嶋茂雄、広島・佐伯和司、ロッテ・江藤慎一


 今回は『1971年7月19日号』。定価は100円。
 
 オールスター投票が1枚にハガキに9人ずつではなく、1ポジションの2人のみとしたことで大混乱となっていた。
 要は個人の人気投票の要素が強くなり、太田幸司(近鉄/投手)、島本講平(南海/一塁手)ら、実績はないが人気の若手の票が伸び、巨人のON、長嶋茂雄、王貞治にように不変の人気といえばいいのか、9人を書くなら必ずこの人、という選手の票が伸びてこないのだ。
 太田は0勝1敗、島本は一軍に1試合も出ていなかった。

 さらに1位票の絶対数も減ってくるので、組織票の存在感が増す。
 7月4日時点では抜かれていたが、1日時点で全体の1位が東映のセカンド・大下剛史だった。
 大下は隠し球でも知られた渋い好選手だが、打率は.241でチームも4位に過ぎない。
 実は、大下の1万3358票のうち、1万票が地元である広島の消印、さらに、そのほとんどが出身の町からのものだったという。

 ちなみに4日時点で長嶋が8814票、王が6929票だった。
 王は「あまりいい気分じゃない」と渋い表情だったが、長嶋は、
「いままでこんなことなかったから、かえって面白いんじゃないの」
 と、まったく気にしていなかった。

 なお、組織票ならヤクルトの声もあったが、この年はまったくヤクルト選手の票が伸びず。
「三原脩監督は、若手選手が多いので、オールスターに出さず隠しておきたいのでは」と勘繰る声もあった。

 69年にロッテに入団し話題となった100m選手の飯島秀雄がイースタンながら初めて打席に立った。ヤクルト戦で代走の後、打線が大爆発して一巡してしまい、打順が回ってきたのだが、これまで飯島は同様のケースで「出るか」と言われても「無理」と断ってきたという。
 このときも断ったのだが、大沢啓二二軍監督に「出ろ」と言われ、しぶしぶ左打席に。結果は、空振り三振。その後、センターの守備にも就いた。
「代えてくれると思ったが、大恥をかいちゃった。守備はなんとかこなせるがバッティングは難しい。打席に入ると球が速く見えますね」
 と飯島。大沢監督は「お客さんも喜んでくれるし、こういうショー的要素もいいだろう」と話していたが、実際はもう少し深い話のようだ。
 採用した永田雅一オーナーがいなくなったこともあり、代走屋としての飯島は開店休業状態。
 飯島に目をかけていた大沢二軍監督は10日ほど前から飯島に左での打撃練習をさせていた。なんとか出場の可能性を広げてやりたいと思っていたのだろう。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM